2005年8月31日 (水)

白川静、お前もか

 白川静氏は漢字に關しては偉い先生だと思ふが、その思想について全面的には賛成しかねる。例へば次の發言。

 「中國が文明の時代に入つたのは今から三千年以上も昔のことです。以來、近代化の時代にいたるまで、大規模な戰爭がほとんどない平和な世界が東アジアでした」「つまり東アジアは秩序正しい禮節の世界だつた。それが變調をきたしたのは近代になり、西歐による侵略があつたためです。ヨーロッパは民族も多いし事情も複雑で、戰爭に明け暮れた歴史がある。日本はそれをまねて中國を侵略した。東アジアの秩序を亂した。これは明らかな誤りです」(白川静、平成17年8月19日附日本經濟新聞夕刊のインタヴュー記事「日本の進む道」より。國語表記は變更)

 白川氏は何の論證も無く「戰爭は惡」と決めつけて仕舞つてゐる。そもそも支那大陸に三千年以上、「大規模な戰爭が無かつた」と斷言して良いものかどうかも疑問だが、なぜ大規模な戰爭が無い事がそれほど立派なのか。白川氏ほどの碩學にしてこのやうな淺薄な發言しか出來ないのであれば、私は益々、西洋の文學哲學に惹かれて仕舞ふ。例へば次に引く岩男淳一郎氏のやうに。

 それにしてもこのやうな物語集を繙くにつけ思ふ。今も昔も、海の向かうの横文字を操る人間たちは、實は神では決してない、ただひたすら人間にこそ、なんとなくなんぞではなく、恐ろしく眞劍に飽くなき興味を抱き續けたのだ。そのあげく、その數々の名作に見る驚くほど陰影にとむ人間像を刻み上げたのではないか。向かうには無數の『メゾン・テリエ』が生まれ、こちらでは夥しい『城の崎にて』しか生まれ得ないのは、ただひとへに人間探求の一途さの違ひに依るのではないか、などとふと思はれるのである。(岩男淳一郎『絶版文庫發掘ノート』、33頁、サッケッティ『フィレンツェの人々』の箇所より。同上)

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2004年12月 7日 (火)

クリスマス近づく

 槇原敬之のクリスマス・ソングに「『クリスチャンでもないのに』、さう思つてゐたけれど」と云ふ一節がある。私も以前は「キリスト教徒でもあるまいに、何がクリスマスだ」と業腹に思つてゐたのだが、今は考へを改めた。日本人にとつては、サンタクロースも幼子イエスも聖母マリアも八百萬の神の一人に過ぎない。國際化時代に生きる普通の日本人ならクリスマスを祝つて當然なのである。

 日本でクリスマスが正月に近くなければ、これほど盛大には祝はれなかつたかもしれない。ヨーロッパでもクリスマスの祝ひは土着の農耕的祝祭とキリスト教の教義が習合して生まれた。しかし、西洋と日本の間には大きな相違がある。

 例へばヨーロッパでは春の復活祭をクリスマスと同じくらゐ盛大に祝ふ。其の頃になると、レコード店にキリストの復活の經緯を歌ふバッハのマタイ受難曲が大量に竝ぶ。しかし日本では復活祭を祝ふ風習は無いし、レコード店にCD三枚組のマタイ受難曲が積上げられる事も無い。そもそも復活と云ふ概念は日本人に縁遠いのである。日本人は死ねば守り神となり、故郷の山の頂から子孫の暮らしを見守り續ける。復活する必要は無いのだ。

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2004年10月23日 (土)

驚き得ぬもの

 西洋人は、その知の歴史を通じて、常に、いかなるカテゴリーにもそれを成り立たせるための必要十分條件があると信じてきた。たとへば、正方形は長さの等しい四本の線分と四つの直角からなる二次元の對象物である。これらの特性を缺いてゐるものは決して正方形たりえず、これらの特性を備へてゐるものは必ず正方形である。/しかし、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは、その著書『哲學探究』のなかで、西洋における必要十分性の體系を打ち崩した。ヴィトゲンシュタインは、「ゲーム」「政府」「病氣」といつた複雜で興昧深いカテゴリーに當てはまる必要十分條件を確立することは決してできないだらうと述べた。/ヴィトゲンシュタインの議論には、最も分析的な西洋人哲學者たちさへ、大いに納得(といふよりむしろ狼狽)させられた。たとへ面白くないものでも、たとへ一人でプレイするものでも、たとへその主目的がお金を稼ぐことであつても、それはゲームたりえる。逆に、たとへ面白いものであつても、たとへ數名の人々が樂しい相互作用を通じて行ふ非生産的な活動であつても、それは必ずしもゲームとは限らない。一方、かうしたヴィトゲンシュタインの指摘が東洋で必要とされることはなかつた。「複雜なカテゴリーを規定する必要十分條件はない」と宣言したところで、東洋人がそれに驚くことなどまづあり得なかつただらう。(リチャード・E・ニスベット「木を見る西洋人 森を見る東洋人」、村本由紀子譯、ダイヤモンド社)

 世界は複雜であり、簡單な「必要十分條件」に還元出來るほど單純なものではないと云ふ信念は、日本人の間に廣く行渡つてゐる。だからニスベットが云ふ通り、「複雜なカテゴリーを規定する必要十分條件」の存在を否定したヴィトゲンシュタインの主張を讀んだところで、「驚くことなどまづあり得な」い。ところが實際には、西洋人の思考を自らのものとした訣でもないのに、ヴィトゲンシュタインの哲學に大仰に驚いてみせるインテリが我國には少なくない。滑稽千萬である。

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2004年6月14日 (月)

先づ彼我の差を知れ

闇黒日記
より。

 かつて小林を読みはじめたころ、私が最初につよいこだわりを感じたのは次の点についてであった。すなわち、彼は、近世初頭においてデカルトが提出した〈ボン・サンスbon sens〉を、あえて〈常識〉と訳していることである。つまり、〈良識=理性〉とのいわゆる学問的区別よりも、常識の意味の拡がりと意味の厚味を重視していたのである。私も初めは、デカルト自身が「〈ボン・サンス〉あるいは〈レゾンraison〉」(理性)と言っていることや、「われ考える、ゆえにわれあり」"Cogito, ergo sum"というかたちで完全に推論式化していることから、この小林のとらえ方にはつよい抵抗を感じた。それに、デカルトの思想は「大陸の合理論であり、F・ベーコンたちは「イギリス経験論」の立場にあるものとしてにあるものとして、やはり一応は、区別しておくべきだろうと、思っていた。ところが、この「大陸の合理論」と「イギリス経験論」という分け方は決して不動なものではないこと、両者はともに近世ヨーロッパの合理主義理論の二形態であり、いわば「同根」のものであることが私にもはっきりしてきた。とすれば、いわゆる学問的な「大陸の合理論」と「イギリス経験論」という区別は大した意味を持たなくなる。むしろ、両者の区別は、あまりにも西洋の近世哲学史的(大学教育的)であった。それは、あくまで時代思想の遠近法のなかで成り立つ、一種の約束事であり、〈制度的なもの)であったのである。[中村雄二郎「〈鏡〉としての小林秀雄――その「コモン・センス」観を中心に」(新潮平成十三年四月號増刊「小林秀雄 百年のヒント」所收)]

 西洋人になつたやうなつもりで「大陸の合理論」と「イギリス經驗論」の相違を喋々と論ずる以前に、西洋と日本の文化を隔てる深淵に眼を向けるべきだと云ふ事を、小林秀雄は知つてゐた。西洋思想を「正統の哲學」と「惡魔の思想」に二分する中川八洋流の見取圖は、それなりの參考にはなり、私も世話になつたのであるが、彼我の文化の差を認識するにはやはり不適當である。

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2004年4月29日 (木)

反民主主義の傳統

 バッハの大作『マタイ受難曲』の聽き所の一つは、民衆がイエスを罰するやう、総督ピラトに求める場面である。ピラトはイエスと盗賊バラバのいづれを赦免するかと民衆に問ふ。民衆はこぞつて云ふ、「バラバを」。

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論理輕視の宿痾

 ウェブサイト「言葉 言葉 言葉
」の掲示板に、ニルヴァーナ小林だかストロング金剛だか、兎に角名前をコロコロ變へるふざけた輩が登場し、意味不明の戲言を書き散らした擧句、己が發言を逆手に取られて「阿呆」と呼ばれた事への腹いせか、私の名を騙つて掲示板を荒らし捲つたらしい。管理人の野嵜氏にはとんだ迷惑をかけて仕舞つた。

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2004年4月28日 (水)

強い「敵」のゐない國

種蒔きの時に學び、収穫の時に教へ、冬に味はへ。
死者の骨の上に汝の車と汝の鋤とを行れ。
過度といふ道こそ叡智の宮殿に通ずる。
用心は無能にかしづかれた富める醜き老女である。
意慾するのみで實行せざる輩は、惡疫を發生させる。
切られた虫は鋤をゆるす。
水を愛する者をば川に浸せ。
同一の樹が賢者には見えて愚者には見えない。(以下略)
(ウィリアム・ブレイク「地獄の箴言」 壽岳文章譯『無心の歌、有心の歌』 角川文庫)

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太陽と十字架と

 幸田露伴は短篇小説「幻談」の冒頭で、マッターホルン初登頂で名高いウィンパー一行の遭難について、不氣味な話を記してゐる。マッターホルン征服の帰途、四人が誤つて絶壁から墜落した。殘つた四人が命からがら、幾らか危險の少ない處まで下りて來ると、遠くの空に大きな十字架が二つ、ありありと見えたと云ふ。

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ヒルティの『幸福論』

 スイスに來てほぼ一年が過ぎたが、素朴とか質實剛健とかいふ言葉がこれほど似合ふ國は無いと感ずる。私の住むチューリッヒの町竝は華やかではないけれども、心を落ち着かせて呉れる。暮らす人々は外來者に對して直ちにあけつぴろげな人懷つこさは見せて呉れないかもしれないが、朴訥で人情味があり、きれい好きで交通マナーが好い。

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西暦二千年に思ふ

 もうすぐ西暦二千年を迎える。日本の「ミレニアム騷ぎ」は實にくだらぬが、さりとて「クリスト教の暦が代替りするからといつて、日本人に何の關係があるか」と言ひ捨てることはできない。現代は鎖國時代ではない。日本は五十年以上も前にそのことを思ひ知つた筈だ。

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