2005年9月19日 (月)

三百人劇場閉館へ

 少々遲くなつたがこんな記事が。

 演劇上演や、名作映画の上映などで親しまれてきた東京都文京区本駒込の「三百人劇場」(257席、建設当時は302席)が老朽化のため、06年末で閉館することが決まった。

 閉館後、昴は別の拠点を探して活動を續けるが、詳細は決まつてゐないとの事。

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2004年4月29日 (木)

ジョン・リル氏に遭ふ

 5月28日、私はチューリッヒ空港のゲートで、搭乘開始を待つてゐた。すると、何だか見た覺えのある顏が前をよぎつた。あ! あれはジョン・リル氏ではないか! リルと云つても上海歸りの人ではない。ベートーヴェンを彈かせたら當代一とも云はれる英國人ピアニストである。話し掛けてみようか。だが、もし人違ひだつたら。いや、あの目玉、あの禿頭。上半身がワイシャツだけなので只の親爺さんにしか見えないが、紛れもなく、ASVから出てゐるピアノソナタ全集の寫眞と同一人物である。

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宗教と藝術

 ドイツ・ルネサンス時代のアルブレヒト・デューラーは、最も好きな畫家の一人である。近々、ミュンヘンに出かける豫定なので、アルテ・ピナコテーク美術館でまた彼の繪を見て來たい。以前、弊サイトの「呉智英氏の思ひ出」の中で書いたが、呉氏の『封建主義者かく語りき』(双葉文庫)のカバーの繪は、デューラーの「パウムガルトナー祭壇畫」から取つてゐる。また、福田恆存氏の『現代人は愛しうるか』(中公文庫)のカバーも、デューラーの「龍と鬪ふ聖ミカエル」をあしらつてゐる。同じルネサンスでも、イタリアの繪が明るい感じがするのに對し、デューラーやクラナハ、グリューネヴァルトと云つたドイツの畫家たちの作品は、いかにもドイツらしい重厚と暗さが印象的である。

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男は默つてベートーヴェン

 EMI、デッカ、フィリップス、ドイチェ・グラモフォンなどの大手レーベルが共同で「二十世紀の偉大なピアニスト」と云ふ全百卷くらゐの厖大なシリーズを出しつつあつて、このうち、本日はスティーブン・コヴァセヴィチの「Ⅰ」「Ⅱ」(各CD2枚組で都合4枚)その他を買つてきました。コヴァセヴィチはアメリカ人で、今年六十一歳。

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バズの墜落

 三歳の娘にせがまれて、ディズニーのアニメ『トイストーリー』をヴィデオ(日本語吹替版)でかれこれ四五囘觀る羽目になつた。世界初の全篇3D・CGアニメと云ふ事で、最初は畫像に對する興味だけで觀てゐた。たしかに映像は見事である。だが、ドラマの内容も同じくらゐ優れてゐた。最近、友人が續篇の『トイストーリー2』を送つて呉れたのでこれも一囘觀た。一般には續篇の方がアクションに富み、映像も高度だと云ふ事で評價が高いやうだが、私はドラマとしては斷然、正篇に軍配を上げる。

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明るいだけのモーツァルト

 モーツァルトを胎兒に聽かせると情操豐かな子が生まれるとか、子供に聽かせると頭が好くなるとか、果ては植物に聽かせると生育に好いだとか、いろいろと阿呆な事が云はれた事がある。今でも云つてゐる?

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文化の國境と普遍

 鈴木雅明指揮するバッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータ第1集(制作はスウェーデンのレコード會社、BIS)を聽く。立派な演奏である。クリスト教徒ならぬ日本人がバッハの教會カンタータを立派に演奏する事は不可解にも思へる。しかし再現藝術の場合、努力すればヨーロッパの一流演奏家に負けない演奏は可能である。

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