三島の「天皇陛下萬歳」を「割腹、刎頚」と切離す事は出來ない。「天皇陛下萬歳」といふ言葉は、いはば崖縁に立つた三島を崖下へ突落とす役割を果したからである。人を食ふ事が大好きだつた、きざで傲慢な知識人が、今は一人のあはれな、平凡な、「前近代的」な日本人になつてしまつてゐて、その時、「天皇陛下萬歳」といふ言葉は確實に三島を動かした。これまで散々扱下ろしておいて、今更こんな事を言つても容易に信じて貰へまいが、東方總監をふん縛つてからバルコニーに立つて野次り倒され、揚句の果てに割腹するまでの三島を私はかはいさうだと思つてゐる。/そして、そのかはいさうな三島は眞摯であつた。逆上してゐたものの本氣であつた。本氣だつたからこそ、「文化概念としての天皇」ではなく、「天皇陛下萬歳」といふ簡單な言葉が彼を動かした。無論、それは重い荷物を持上げる時に發せられる「よいしよ」といふ掛け聲のやうなものでしかなかつたが、それでも、自衞官に野次り倒され、猿芝居の退路を斷たれ、本氣にならざるを得なかつた哀れな三島の、それは眞摯な叫びだつた。(『文學と政治主義』 地球社 233頁)
松原正氏は、論壇では保守派に属する論客とみなされてゐる。否、同氏自身が「私は一應右の目高に屬する」と明言してゐる。「右」である筈の松原氏が、同じく「右」である三島由紀夫を「散々扱下ろ」すとは面妖だと、いぶかしむ讀者がゐるかもしれぬ。しかし、そこが松原氏の眞骨頂なのである。
たとへ政治信條が同じであつても、知的・道徳的に怠惰で許し難い相手は遠慮なく斬る。逆に、政治的には「敵」である左翼であつても、例へば知的・道徳的に眞摯であつた中野重治の事は、堂々と高く評価する。政治主義的な人間から見れば迷惑千萬で愚かな事だらうが、眞の言論人や文學者はさうでなければならぬ。さうでなければ、世の中には政治だけ存在すれば十分で、言論も文學も不要と云ふ事になる。すなはち、言論人や文學者が政治主義に走つたり屈したりする事は、言論と文學との自殺行爲なのである。そして、まつたうな言論や文學が亡びれば、まつたうな政治も存在し得なくなる。
さて、三島由紀夫について松原氏は、「頭は惡くなかつたから、天皇や自衞隊について鋭い問題提起をしてはゐる」と肯定的な評価もしてゐる。だが、三島には「他者を愛する事」が出來なかつた、と嚴しく批判する。「己れしか愛せなかつたから、(中略)他者の中の、己が意のままにならぬ部分は、これを徹底的に無視した。彼が讚へたのは己が觀念の中にのみ存在する他者であつた」と松原氏は書く。すなはち、三島が天皇を崇敬し、自衞隊を持上げて見せるのは、結局は上面だけの事であつて、一皮剥けば、「己が意のままにならぬ部分は、これを徹底的に無視する」と云ふ身勝手かつ不敬、不遜な本性が顏を出すのである。
三島は昭和四十五年十一月二十五日に自害する一箇月前、文藝評論家の磯田光一にかう語つたといふ。「本當は宮中で天皇を殺したい、(中略)人間天皇を抹殺する事によつて、(中略)超越者としての天皇を逆説的に證明する」。三島は「人間宣言」をした昭和天皇が許せなかつた。「人間天皇」は、「己が觀念」にそぐはない天皇だつたからである。
中野重治は、昭和天皇が人間宣言をしたにもかかはらず、一般國民竝みの自由を享受出來ない事に深く同情し、「あそこには家庭がない。家族もない。どこまで行つても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんたうに氣の毒だ」と「五勺の酒」に書いた。「左翼」の中野は、「右翼」の三島よりも、天皇や皇室の置かれた困難について遙かに深く、親身になつて考へてゐた。
自衞隊についても同樣である。「屡々體驗入隊をした筈なのに、三島は自衞隊について甚だ無知であり、ありのままの自衞隊を見ずして、己が意のままになる自衞隊だけを見てゐた。」詰まり、著名作家の自分が市ヶ谷駐屯地のバルコニーで少し演説をぶちさへすれば、自衞隊は全員とは言はぬ迄も一部が直ちにクーデターに起ち、日本中が蜂の巣をつついたやうになり、「憂國之至誠」ゆゑの絶望を、世人は必ず承認するやうになると信じてゐた。
しかし現實には、集つた自衞官たちに「野次り倒され、揚句の果てに割腹する」仕儀となつた。民主國家の軍人であり、「烏合の衆にして野次馬」でもある自衞隊員が、精々「體驗入隊」でしか接した事の無い作家から演説で唆されたくらゐで、クーデターに踏み切る筈が無いと云ふ道理に思ひ到らなかつた。また、自分と共に起つと信じてゐた一部の自衞官がぎりぎりで裏切る事を讀めなかつた。文學者は眞の意味での人間通である筈だが、三島は自己愛ゆゑに眼が曇つていゐたのである。
作家の大西巨人は、小説「迷宮」(光文社文庫)の作中人物にかう語らせてゐる。「言論・表現公表者の作物は、必ず常に『社會一般に施す法として考へた場合のもの』として世に出されねばならず、また社會からそのやうなものとして享受されることを覺悟してゐなければなりません(中略)。それが、言論・表現公表者の責任です」。その通りである。言論人や文學者は自分の發言に道徳的責任を持ち、常に社會への影響に氣を配らなければならぬ。
死して三十年、以下のやうな愚劣な意見が、己れの名とともに開陳される事に、草葉の蔭の三島はどんな感懷を抱くであらうか。酷なやうだが、責任の一端はクーデターを安易に考へた三島自身にもあると思ふ。少し長いが、「ヤフー」の軍事カテゴリー掲示板より「22歳/男性」の投稿を引用する。(強調箇所は木村)
インターネットで戯言を言って,無駄愚痴を叩いて遊んでいる場合か!
今政府は油断している,隙がある.官邸を包囲せよ.国会を包囲せよ.
横田を,嘉手納を攻撃せよ!三島由紀夫の怨霊を鎮魂せよ.
諸君の子供時代の夢をを実現するときだ.青年時代希望に胸膨らませて,自衛隊に入隊した頃の,防衛大学に入ったときを思い出せ.血湧き肉踊る戦闘,空中戦で敵機を打ち落とす場面を夢見たはずだ.地対空ミサイルの飛跡,艦砲射撃の胸にきゅううーんとする音.敵艦轟沈,大都市空襲…新聞の大見出し,TVの生中継。胸を飾る勲章.赫赫たる戦勲,英雄,名誉.
防大で学んだ戦史,戦術,戦略,クラウゼヴィツの戦争論,現代兵器の知識,操作方法,自衛隊での厳しい実践訓練が無駄になることを怖れ,嘆き,不平不満の大多数の将校,将兵諸君!時は今だ.掲示板で恨み辛みを言うな,実行だ.決行だ.
時あたかも巷には失業者があふれている.去年の自殺者は3万5千人だ.彼らには夢も希望も明日も無い.犯罪か餓死か自殺か暴動か,失うものは何も無い.絶望を癒す薬は戦争しかない.戦争特需景気が期待できる.火をつければ戦争賛成の炎が燎原の火の如く日本列島を縦断する.この軍事掲示板を見よ.戦争待望論が多い.国よ滅べ,然らずんば戦争を与えよ!
戦争は負けても構わない.人口が半減しても良い.国破れて山河あり.焼山に若芽が茂り,屍の上に豊穣な作物,美しい花が咲く.戦争は生残った人々,子供達,これから生まれてくる赤子への楽しい,嬉しい,美しい贈物だ.
「月曜評論」平成十二年一月號で、匿名子「勝」氏が三島についてコラムを記してゐる。彼もまた「三島神話」にとらはれてをり、「三島の凛冽な死は、世代を超えた日本人の魂に、訴へかけてやまぬものである」などと書いてゐる。だが三島の死は決して「凛冽」と云ふやうな代物では無かつた。野次られ、逆上して、「發作的」に腹を切つたのだと、松原氏は幾多の根據を擧げて書いてゐる。
さて、長々と書いて來たが、私が今囘一番言ひたい事はここからである。三島は政治主義の迷妄に陷り、揚句の果てに、國法を犯し、「覺悟の死とはおよそ無縁の」自害をやらかした。それゆゑ、松原氏は三島の知的・道徳的怠惰を嚴しく批判してゐるが、三島を嘲笑したり、冷淡に斬捨てたりしてゐる譯ではない。その事は、冒頭の引用にある「三島を私はかはいさうだと思つてゐる」と云ふ箇所を讀めばお分かりであらう。
右翼は三島をひたすら崇め奉り、左翼は忌まはしいとばかりに斬捨てる。さうした中で、三島を「かはいさう」だと書いた言論人は松原氏くらゐでは無からうか。松原氏が尊ぶのは、バルコニーで虚しく演説をぶつ三島でなく、森田必勝に介錯されて轉がつた三島の首でもない。バルコニーで野次り倒され、腹を切るまでの三島の必死な姿である。「東方總監をふん縛つてからバルコニーに立つて野次り倒され、揚句の果てに割腹するまでの三島を私はかはいさうだと思つてゐる。」この件を讀む時、私は、屈辱に歪み、泣き出しさうな、しかし眞劍そのものの三島の蒼白の顏を眼前に見る思ひがする。
「月曜評論」の「勝」氏のコラムによれば、淺田彰氏は三島の死に關するアンケートに「下らない茶番劇」と答へたと云ふ。松原正氏の三島論は「『知行合一』の猿芝居」と副題が附いてゐて、「茶番劇」と「猿芝居」とは同じやうなものだが、淺田氏に三島を「かはいさう」と思ひ遣るだけの温かい心があるかどうか、私は知りたく思ふ。三島はフランスの思想家、ジョルジュ・バタイユを「エロチシズムのニーチェ」と呼んで共感を示したと云ふ。しかし、いざ腹を切る段になると、バタイユをはじめとする怪しげな西洋學問はどこかへ消し飛び、「一人のあはれな、平凡な、『前近代的』な日本人」に戻つて仕舞つて、「天皇陛下萬歳」と叫んで死んだ。
淺田氏と同じく頭が切れ、同じくバタイユなど西洋學問に詳しかつた三島が、最後の最後に「天皇陛下萬歳」と叫んで死んだ。その事實を、同じ日本人である筈の淺田氏はどこまで重く考へてゐるであらうか。淺田氏は昭和天皇が御危篤の折、大勢の國民が快癒祈念の記帳に驅けつけたのを見て、「土人の國」と吐き捨てたと云ふ。淺田氏から見れば、「天皇陛下萬歳」と叫んで死んだ三島も「土人」と云ふ事にならうが、三島や記帳に赴いた人々だけが「土人」であつて、淺田氏がさうでない保證は有るのだらうか。我々が假に「土人」を脱したとしても、それだけで道徳的に立派な「人間」になれるのだらうか。
三島の愚行を斬捨てるだけでは、我々は何も學べない。三島もまた、掛け替へのない我々の先達の一人なのである。最後に、松原氏の三島論の痛烈な結びを引く。
三島の自害から二十年經つて、他山の石としての三島は、今なほ、さつぱり理解されてゐない。このままでは三島の自害は犬死になつてしまふ。それでは餘りにかはいさうである。(中略)三島の、いはば身を殺してなした「仁」を理解してやらずして、何が「憂國忌」であらうか。
(平成12年4月12日)
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