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2008年9月 8日 (月)

レマルクの問ひ

レマルク『西部戰線異状なし』(秦豐吉譯、新潮文庫)の284頁以下で、戰場に赴いたドイツの兵士たちが戰爭や國家について議論を交はす場面がある。大いに讀む價値のある箇所なので拔粹して紹介したい。

「おれたちはここにかうしてゐるだらう、おれたちの國を護ろうつてんで。ところがあつちぢやあ、またフランス人が、自分たちの國を護ろうつてやつてるんだ。一たいどつちが正しいんだ」 「どつちもだらう」 「だがドイツの豪え學者だの坊さんだの新聞だのの言つてるところぢや、おれたちばかりが正しいんだつて云ふぢやねえか。だがフランスの豪え學者だの牧師だの新聞なんかだつて、やつぱり自分たちばつかりが正しいんだつて、頑張つてるだらう。さあそこはどうしてくれる」
「(そもそも戰爭が起こるのは)一つの國が、よその國をうんと侮辱した場合だな」 「なに、一つの國だつて。一たいドイツの山がフランスの山を侮辱するなんてことは、できねえ話ぢやねえか」 「そんな意味ぢやねえ。ある國民がよその國民を侮辱した場合だ……」 「そんならおれたちはここで何も用がねえぢやねえか。おれはちつとも侮辱されたやうな氣がしてねえものな」
「國民といつたつて、全體だよ。つまり國家つてやつだよ……」 「なにが國家だい。憲兵のよ、警察のよ、税金のよ、それが貴樣たちのいふ國家だ」 「國家といふものと故郷と云ふものは、こりや同じもんぢやねえ。確かにそのとほりだ」 「だがそいつは兩方とも一つものにくつついてゐるからなあ。國家のねえ故郷といふものは、世の中にありやしねえ」

長くなるのでこれくらゐにしておかう。『西部戰線異状なし』は文藝作品としての價値はともかく、その反戰思想から右派智識人の間で反感を買つてゐるが、それではレマルクが作中人物を通して提起した問ひにきちんと答へられる者が果たして何人いるだらうか。外國から「侮辱された」と感じてもゐない人間がなぜ、見も知らぬ他國人を殺すために銃を取つて戰場に赴かなければならないのか。自分の故郷を護るためになぜ、國家の命令に從はなければならないのか。

左翼が幅を利かせてゐた頃、右派智識人は論壇で冷飯を喰はされてゐたが、今では形勢はすつかり逆轉した。しかし論壇に屡々登場する右派智識人たちが書くのは相も變はらず左翼の惡口ばかり(最近は右派の内輪揉めも増えてゐるやうだが)で、國家や戰爭や道徳について本質的な疑問に答へてくれる議論は全然見當たらない。いづれ日本が戰爭をやらかすことになれば、日本の「豪え學者だの坊さんだの新聞だの」はまたぞろ「自分たちばつかりが正しい」と連呼するのだらう。嗚呼。

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