« 人間は信頼出來ない(但し政府關係者を除く) | トップページ | レマルクの問ひ »

2008年6月 1日 (日)

「何用あつて月へ行く」論の限界

「何用あつて月へ行く、月は眺めるものである」。故山本夏彦氏の言葉である。アポロ計劃か何か知らないが、莫大な豫算を投じてまで月へ人間を送つて何をしようと云ふのか。月は近くで見れば岩石が轉がるばかりの曠野に過ぎぬ。遠くから美しい姿を眺めておいた方が遙かに心の糧になるではないか。花鳥風月を愛でる事を知つてゐた日本の古人はその點偉かつた――と云つた意味である。夏彦ファンの間ではよく知られた言葉であり、私自身、以前はその着眼に感心したものだ。今でも同意出來る點がないではない。しかし同時に、所詮は底の淺い考へだと思はずにはゐられない。そのゆゑんを以下綴る事とする。

昔、アメリカにウィルバー、オーヴィルと云ふ名の兄弟がゐた。二人は牧師の子で自轉車屋を營んでゐたが、夢があつた。空を飛ぶ夢である。收入の殆どを夢の實現につぎ込み、「妻と飛行機の兩方は養へない」との理由でそろつて生涯獨身を貫いた。グライダーで何度も實驗を繰り返し、やうやく有人飛行に成功したが、その後の飛行で墜落し、オーヴィルは負傷、同乘者は死亡すると云ふ悲劇に見舞はれた。それでも諦めず、會社を興して性能向上に打込み、飛行機が兄弟の發明であると云ふ特許を勝ち取る。兄弟の姓をライトと云つた。

當初、ライト兄弟の企てはそれこそ夢物語だと嗤はれた。「機械が空を飛ぶことは不可能」と決めつける科學者すらあつた。しかし天を舞ひたいと願つた兄弟の不屈の精神はつひに實を結び、航空機の輝かしい發展に道を拓いたのである。現代に生きる我々は皆ライト兄弟の恩恵を被つてゐると云へる。飛行機に乘つた事のない者でも、空路の發展による經濟的利便を間接的に享受してゐるからだ。ライト兄弟が當時は荒唐無稽とされた夢を抱いてゐなければ、旅客機も戰鬪機も生れなかつた。

さて、「何用あつて月へ行く」と書いた山本夏彦氏がもしもライト兄弟と同時代に生きてゐたら、かう云つた事だらう。「何用あつて空を飛ぶ、空は眺めるものである」。たしかに青空は眺めてゐるだけで十分美しい。だが眺めてゐるだけでは飛行機は決して發明されない。空を飛んでやらうなどと醉狂で不遜で青臭い冒險心を抱く人間がゐなければ、飛行機に限らず、文明に進歩は無いのである。

西洋には昔から、そのやうな大それた夢を抱く人間達がゐた。そして彼らは不敬への戒めとなると同時に、英雄として稱へられた。神から火を盜んだプロメテウス。蝋で固めた翼で太陽を目指し墜落したイカロス。冒險心こそ西洋精神であるとさへ云へよう。何用あつて空を飛ぶ? 大きなお世話だ。飛びたいから飛ぶのだ。その冒險心は近現代に受け繼がれ、蒸氣機關の發明による産業革命を齎し、コンピューターの爆發的な發展につながつた。

西洋の自然科學にせよ藝術作品にせよ資本主義にせよ、その根柢に存在するのはこの不敵な冒險心である。權威や前例にとらはれず、己の頭腦と才能のみを信ずる自由な精神である。家柄門地にとらはれず貴族を批判する精神が無ければ、ボーマルシェの「フィガロの結婚」は書かれなかつたし、それに基づくモーツァルトの歌劇も生れなかつたのだ。

日本の保守派智識人は「アメリカ流資本主義」を口を極めて罵るが、アメリカ流資本主義の精神がなければ、例へばライト兄弟の發明は實現せず、從つて日本の航空自衞隊も「日の丸ジェット」も存在し得なかつた事に全く氣づいてゐない。

西洋の冒險心と書いたが、その精神は多かれ少なかれ、洋の東西を問はず人間に共通するものである。少なくもこの私は、そのやうな精神を大切にしたいと願ふ。自由否定の「哲學」を信奉する者は自らそのやうに生きればよい。だがその考へを押しつけられる事だけは御免である。

|

« 人間は信頼出來ない(但し政府關係者を除く) | トップページ | レマルクの問ひ »

コメント

ただし冒險は身錢を切つて行ふべきものであつて、他人から無理矢理取り立てた金、つまり税金でやる事業は冒險の名に値しません。例へばNASAのスペースシャトルとか。これについては後日論じます。

投稿: 木村貴 | 2008年6月 1日 (日) 01時55分

>自由否定の「哲學」を信奉する者は自らそのやうに生きればよい。だがその考へを押しつけられる事だけは御免である。

しかし自由を否定する輩は定義上、必ず他人の自由を否定する。從つて自由の敵は私の敵なのである。

投稿: 木村貴 | 2008年6月 1日 (日) 02時46分

フランス人は今でも自分逹が飛行機を發明したと思つてゐるとかゐないとか。ヴォワザンとか飛行機を作つた有名な人がゐます。

斯うした知識が正確か何うかは、議論の展開の上で全然問題にならない訣で、それを一々言つて「論爭に負けた!」とか宣傳し捲るのは、ただの揚げ足取りの粘着アンチのする事でアレですが一往。

投稿: の | 2008年6月 1日 (日) 18時09分

ついでに言ふと自動車も、産業としてはフランスで花開く事になるのですが、現在に至るまで發明した名譽はドイツ人のものであるとされてゐます。

投稿: の | 2008年6月 1日 (日) 18時17分

どうも有難う御座います。いろいろな人がゐるのでせうが、やはり「定番」はライト兄弟だと思つたものですから。

投稿: 木村貴 | 2008年6月 2日 (月) 18時25分

以前,「法律は最低の道徳」と言ふ一種の諺に対して貴ブログが大真面目に反論を繰り広げるのを見て,「何を野暮なことを」と言ふコメントをお送りしたことがありますが,今回のエントリーを見て相変らずだな,と思ひました.山本翁の警句を見てそれが正しいかさうでないかを詮索したり,かう言ふ面を見落としてゐるから底が浅い,とか挙げつらふのはそれこそ野暮といふものです.それが一面の真理を鋭く捉へてゐたら「おもしろい!なるほどさう言ふ面があるな」と感心しておけばよいことでせう.
山本翁が言ってゐるのは単純でかつ含蓄の深いことです.月に到達するのは一種の進歩には違ひないが,それによって月の正体が単なる瓦礫の塊であることを暴き,そんなことも知らずに月をいろいろな思ひで,また”荒唐無稽な”想像を逞しくして眺めてゐた過去の人間を見下すことがいかに愚かなことかを一言で指摘してゐるのです.ライト兄弟などを持ち出して,文明の進歩がいかに素晴らしいか,を強調し,翁の時代遅れを批判するのは全く見当はづれのことです.
最後に一つご注意:「今でも同意しない點がないではない」は「今でも同意する點がないではない」の間違ひでせう.

投稿: @Random | 2008年6月11日 (水) 02時33分

また野暮な長文を…

投稿: fankee_jr | 2008年6月11日 (水) 09時31分

と言ふか、木村さんの文章、「過去の人間を見下すこと」とは何の關係もないです。「ながめるものである」式の我が老荘思想と、西歐の科學精神とを比較してゐるものです。

木村さんの文章は、東洋と西洋の思想の比較であり、過去と現代の比較ではありません。ところが、「時代遅れ」が何うの斯うのと@Randomさんは言ひます。さう云ふ比較なら自分逹山本信者に都合が良い事になるからですが、要は話のすり替へです。

ところで今、「一面の真理」である「我が東洋の老荘思想」の立場から、@Randomさんは木村さんの「近代思想」を見てゐるのですが、@Randomさんの物の言ひ方を見ると、@Randomさんは「木村さんが禮讚する文明の進歩」を、非難するのみならず、寧ろ見下す態度が見受けられます。これは如何なものでせうか。

山本さんにしてもさう云ふ態度が見られるので嫌氣がさすやうになつたのですが、「日本の保守派智識人」には殊さら自分達日本人或はアジアの人間が「偉大である」事を強調する傾向が見られます。@Randomさんにしても、自尊的な態度が見られないと言ふ事が出來ますでせうか。

投稿: の | 2008年6月11日 (水) 21時04分

そもそも山本氏は社長であり、經營者が老荘思想等と言ふのは結構いやみなものですが、何處まで本氣で「我が東洋の思想」を山本氏が信頼してゐたかはわかりません。と言ふか、山本氏にしてもさうですが、「日本の保守派知識人」が擧つて日本の思想やら何やらを禮讚する時、その足下の不確實さを何處まで意識してゐるのか、疑問に思ひます。

「月はながめるものである」――それは結構ですが、さう言つてゐる我が日本人が、月に行つて石を拾つて來ようとか言ふ歐米の連中と戰爭をして負けてゐるんです。「ながめるものである」式の山本氏の言ひ方、或はそれに感心する@Random氏、何れにしても過去の日本人の發想の偉大さを禮讚してゐる訣ですが、それが西歐の連中を見下す態度に直結してゐる、しかもそれを全然氣にしてゐない。そこが非常に危險だと思ふ訣です。

@Random氏にしても、或は木村氏や俺に粘着してゐる連中にしても、我々「松原信者」の事を「傲慢である」「攻撃的である」と非難します。ところが、實際にはそんな彼らが「日本人こそ偉大なのである」「松原信者を叩き潰せ」と言つてゐる――傲慢で攻撃的な人間なのです。
これは何うした事でせうか。

逆に、我々は日本人が見下す西歐の精神や思想を擁護し、或は、日本人はそれらを學ばねばならないと言つてゐる訣です。「學ばせていただく」と言つてもよろしい。少くとも、我々日本人が西歐の連中に一面で負けてゐる事は間違ひない。日本人は日本人にないものを自覺し、西歐の連中から學ばねばならない。
そこで謙虚になる事は、どうして必要でないのか。山本氏にしても、結構あつちの國で學んだ筈なのですが、「ロバは旅に出て馬になつて歸つて來る訣ではない」とか、怠け者には隨分都合の良い事を言つて――何うもその邊で山本氏は一部の人々に媚びを賣つたやうな氣が最近してならないのですが、信者の方々にはさう言ふと怒られるでせうか。

ちなみに「松原信者」は――教祖からして、苦笑――自分逹が野暮である事を自覺してゐます。しかし同時に、我々は、野暮が道徳的惡事でない事を知つてゐます。道徳的に惡くないなら、文句を言はれる筋合ではないでせう。

投稿: の | 2008年6月11日 (水) 21時17分

>以前,「法律は最低の道徳」と言ふ一種の諺に対して貴ブログが大真面目に反論を繰り広げるのを見て,「何を野暮なことを」と言ふコメントをお送りしたことがありますが,今回のエントリーを見て相変らずだな,と思ひました.

野嵜さんが既にフォローして下さいましたが、野暮に徹する事が弊ブログの基本方針でありますので、こればかりはどうしようもありません。

>山本翁の警句を見てそれが正しいかさうでないかを詮索したり,かう言ふ面を見落としてゐるから底が浅い,とか挙げつらふのはそれこそ野暮といふものです.それが一面の真理を鋭く捉へてゐたら「おもしろい!なるほどさう言ふ面があるな」と感心しておけばよいことでせう.

なるほど。それなら@Randomさん御自身も、私の拙い文章を見て「おもしろい!なるほどさう言ふ面があるな」と感心してくださつてもよささうなものです。呵々。

>山本翁が言ってゐるのは単純でかつ含蓄の深いことです.月に到達するのは一種の進歩には違ひないが,それによって月の正体が単なる瓦礫の塊であることを暴き,そんなことも知らずに月をいろいろな思ひで,また”荒唐無稽な”想像を逞しくして眺めてゐた過去の人間を見下すことがいかに愚かなことかを一言で指摘してゐるのです.ライト兄弟などを持ち出して,文明の進歩がいかに素晴らしいか,を強調し,翁の時代遅れを批判するのは全く見当はづれのことです.

どうも拙文の意圖を正確に讀み取つて戴いてゐないやうですが、全ての西洋人が「過去の人間を見下」してゐると云はんばかりの、その決めつけこそがをかしいと私は申上げてゐるのです。

馬鹿念を押しておきますが、拙文のキーワードは「冒險心」であります。月世界旅行を企てるなどと云ふ西洋人のドン・キホーテ的な冒險心はつくづく見上げたものだし、その見事を認識しない日本人は考へが淺いと書いてゐるのです。ガリレオは太陽が地球の周りを囘つてゐると云ふ、當時に於ては「”荒唐無稽な”想像」を抱く冒險者だつたからこそ天文學上の偉大な發見を成し遂げたのだし、ライト兄弟は空を飛ぶなどと云ふ「”荒唐無稽な”」夢を心中に描く冒險者だつたからこそ飛行機を作り上げたのです。無論、文明の進歩に必然的に伴ふ副作用があつたとしても。

最近の日本人は「我々大和民族は西洋人の如きがさつな物質主義的人種の理解できない風流を理解できるのだ」と云つた意味の尊大な主張をします(代表例:藤原正彦)。藤原氏のやうな手合ひは、西洋人は風流を解さないなどと云ふ云ひ草がとんでもない夜郎自大の心得違ひだと云ふ事に全く氣づかない。氣づいたとしても、認めればナショナリスティックな持論の根據が薄弱になつて仕舞ふので默つてゐる。そして殘念ながら、さうした尊大な輩にとつて山本氏の月世界論は甚だ都合が良いし、そのやうに利用されて仕舞ふ主張をした山本氏には言論人として一定の責任があると云はざるを得ません。

同じ日本人でも、例へば江戸時代の御先祖樣は異なる文化文明に對してもつと謙虚でした。日本人も墮落したものだと思ひます。

>最後に一つご注意:「今でも同意しない點がないではない」は「今でも同意する點がないではない」の間違ひでせう.

御指摘有難う御座います。直しておきます。

投稿: 木村貴 | 2008年6月12日 (木) 00時29分

私は経営者がマルクス・アウレリウス一派のストア哲学を礼賛するのも眩暈がします。

私は日本式風流が体質や感覚に合うが、それは単に私が日本人であるからという以上でも以下でもない。

「欧米人には風流風雅が無い」とか「分からない」という珍説・奇説は巷間でよく聞くが、そりゃ欧米人に日本式風流は分からないだろう(笑)私も欧米式風流・風雅は分からないだろう。理由は欧米人ではないからである。ハッキリ言えば特に「外国の詩」が分からない。言いたいことは分かるが感じ方が違うな!とつくづく思う。

某バーにて上記括弧内の文脈で中小企業の社長らしきおっさんが「これからは日本の時代!」と本気で語っていたのを傍らで聞いて仰天した。
まあバーの女の子への口説き文句だろうと好意的に解釈しました。

投稿: 森英樹(本物) | 2008年6月13日 (金) 13時28分

日本人にはバベルの塔より東京タワーがお似合いである。
まあ、その手の観念は無いもの強請りですよ。

日本人は「金さえ儲かればドウデモヨイ其時の神道」信者ですから。

先日、トヨタの人間がモノヅクリではなく「ヒトヅクリ」について熱心に語っており、「何のためのヒトヅクリ?」と質問したら、「設けるため」と答えた。

勿論、彼は企業人なのだからその答で宜しい。理由は企業人だからである。空々しい事を答えられたら却って不気味である。

投稿: 森英樹(本物) | 2008年6月22日 (日) 13時10分

ドルアーガの塔とかでのんびりダンジョンやつてゐられればそれが一番いい氣がして來た。

投稿: の | 2008年6月22日 (日) 21時13分

訂正:設ける→儲ける

投稿: 森英樹(本物) | 2008年6月24日 (火) 15時44分

山本夏彦が現代日本人に対して皮肉を言ってるなら分かりますが、往々にして西洋批判に流れる傾向があります。

ただ彼が日本人を評して「西洋人になり切れなかった人種」という意味のことを言ってたのは正解だと思いますよ。まあなり切れるわけがないんですが。

ナショナリストはいるが愛国者は居ない国、日本。

投稿: 森英樹(本物) | 2008年6月29日 (日) 19時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30565/41386329

この記事へのトラックバック一覧です: 「何用あつて月へ行く」論の限界:

« 人間は信頼出來ない(但し政府關係者を除く) | トップページ | レマルクの問ひ »