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2008年5月16日 (金)

人間は信頼出來ない(但し政府關係者を除く)

喜六郎氏の不思議な主張

言うまでもなく、私はリバタリアニズムは断固として否定する。/私は木村氏ほど、市場を形成する人間の良心というものを信頼していないからである(信頼したいという気持ちはあるが)。

人間の良心はそれほど信頼出來るものではない、と云ふ意見には私も同意する。しかしそれなら何故、喜六郎氏は次のやうな腦天氣な事を書けるのだらうか。

そこで必要なのが、政府による規制である。

「政府」を運營してゐるのは誰だらうか。天使だらうか、神だらうか。云ふまでもなく人間である。喜六郎氏はどうして、政府を運營する人間の良心だけは信頼出來るのだらうか。隨分底の淺い人間觀である。人間が信頼出來ないのなら、極力權力を持たせず、自由な市場で互ひに監視し合ふ方が害が少ないではないか。

あと木村さんは、/政府と勞働組合が結託して最低賃金と云ふ規制を設定してゐる所爲で、もつと安い賃金でも働きたいと云ふ人々の就業機會を奪ひ、働きたいのに働けず、貧困層の増加につながつてゐると云ふのが定説なのですが。/なんて書いてるけど、こんな定説聞いたことないんですが。/まぁいかにもリバタリアンが言いそうなことではあるが。

こんな定説聞いたことない……。經濟學教科書の定番の一つ、『マンキュー經濟學・マクロ篇』(東洋經濟新報社)の舊版250頁にはかうある。「最低賃金法によつて、需要と供給が一致する水準よりも上方に賃金が引き上げられると、均衡水準に比べて勞働供給量が増加し、勞働需要量が減少する。したがつて、勞働には餘剩が發生する。仕事の數よりも働きたい勞働者の數のはうが多いので、失業が發生する」。ちなみに筆者マンキューはアメリカ政府の要職を務めた事もある穩健な主流派經濟學者であり、エキセントリックな「リバタリアン」などではない。

まあ喜六郎氏の反市場主義は、私の市場主義なんぞより遙かに廣汎に流布した「宗教」であり、その教祖も小林よしのりとか雨宮処凛とか西部邁とか佐高信とか藤原正彦とか関岡英之とか佐藤優とか左右を問はず錚々たる面々が控へてゐるので、説得は無理だと分かつてはゐるが。

(追記)マンキューの同書舊版45頁にある「政策提言と經濟學者の賛同率」によれば、「最低賃金の引上げは、若年勞働者と未熟練勞働者の失業率を引上げる」との指摘に對し、79%の經濟學者が同意してゐる。無知な喜六郎氏が「聞いたこと」あらうがなからうが、要するに「定説」なのである。

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2008年5月 9日 (金)

まだゐた朝日岩波文化人

腹が立つと書きたくなる男の獨白。

人間不在の経済論」より。

>松原信者は全般的に経済に無関心な人が多い。/そんな中で果敢に「正しい経済」について論じているのが、経済記者である木村貴である。

御指名有難う御座います。松原信者經濟擔當の木村です。但し無免許運轉。

>木村の経済観というものは、M.フリードマン流の市場原理主義・リバタリアニズムを主軸としたものである。

細かい話ですが、私はフリードマン信者ではありません。ミーゼス信者です。リバタリアニズムにお詳しい喜六郎さんは當然御存知でせうが、リバタリアニズムには大きく二つの流れがあつて、一つはミルトン・フリードマン、ジョージ・スティグラー、ゲイリー・ベッカーらに代表されるシカゴ學派、もう一つはメンガー、ベーム=バヴェルク、ミーゼス、ハイエク、ロスバードらを中心とするオーストリア學派です。このうち、金融政策を含め一切の政府介入を排する徹底した「市場原理主義」を唱へるのが私の好きなオーストリア學派です。テストに出るかもしれないのでよく覺えておくやうに。

>かつて小泉純一郎・竹中平蔵コンビが積極的に推し進めた構造改革も、市場原理主義・リバタリアニズム的な改革であり、規制緩和による富裕層への優遇・「小さな政府」志向による都市重視と地方軽視政策・郵政事業を始めとする民営化政策などにより、日本景気は一時的に回復の兆しを見せたものの、反面、ワーキング・プアやネットカフェ難民などといった新たな貧困層の出現や、北海道夕張市に代表される地方の衰退、民営化による外資系ハゲタカファンドの跳梁など構造改革(リバタリアニズム改革)の負の面が露わになってきた。

小一時間問詰めたいくらゐの突込みどころがあります。例へば……
●規制緩和がどうして富裕層優遇なのですか。例へばコメの輸入の規制緩和でコメの値段が下がれば、最も恩恵を受けるのはコメばかり食べてゐる貧困層ではありませんか。
●小さな政府がどうして地方輕視なのですか。多くの自治體の首長は皆、小さな中央政府を要望してゐるではありませんか。
●貧困層出現の原因が規制緩和であると云ふ根據を具體的データで示して下さい。あなたの嫌ひな筈の朝日岩波文化人の主張を鵜呑みにしてゐませんか喜六郎さん。いやひよつとしてあなたは匿名の朝日岩波文化人ですか。經濟學的には、例へば、政府と勞働組合が結託して最低賃金と云ふ規制を設定してゐる所爲で、もつと安い賃金でも働きたいと云ふ人々の就業機會を奪ひ、働きたいのに働けず、貧困層の増加につながつてゐると云ふのが定説なのですが。
●地方の衰退の原因が規制緩和であると云ふ根據を(以下同文)
●日本における外資系ハゲタカファンドの「跳梁」がなぜ惡いのですか。日本企業の大半は海外で「跳梁」して利益を稼いでゐるのですが、それは怪しからぬ事なのでせうか。

>そのような状況の中で、「愚かな民衆が嫌うリバタリアニズムこそが正義である!」と反民衆主義を唱える木村の経済観が如何なるものかを検証していきたい。

ははあ、すると喜六郎さんは「愚かな民衆」、つまり愚民の身方な譯ですね。西部邁大先生が聞いたらさぞ歎く事でせう。笑ひ。

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