人間は信頼出來ない(但し政府關係者を除く)
喜六郎氏の不思議な主張。
言うまでもなく、私はリバタリアニズムは断固として否定する。/私は木村氏ほど、市場を形成する人間の良心というものを信頼していないからである(信頼したいという気持ちはあるが)。
人間の良心はそれほど信頼出來るものではない、と云ふ意見には私も同意する。しかしそれなら何故、喜六郎氏は次のやうな腦天氣な事を書けるのだらうか。
そこで必要なのが、政府による規制である。
「政府」を運營してゐるのは誰だらうか。天使だらうか、神だらうか。云ふまでもなく人間である。喜六郎氏はどうして、政府を運營する人間の良心だけは信頼出來るのだらうか。隨分底の淺い人間觀である。人間が信頼出來ないのなら、極力權力を持たせず、自由な市場で互ひに監視し合ふ方が害が少ないではないか。
あと木村さんは、/政府と勞働組合が結託して最低賃金と云ふ規制を設定してゐる所爲で、もつと安い賃金でも働きたいと云ふ人々の就業機會を奪ひ、働きたいのに働けず、貧困層の増加につながつてゐると云ふのが定説なのですが。/なんて書いてるけど、こんな定説聞いたことないんですが。/まぁいかにもリバタリアンが言いそうなことではあるが。
こんな定説聞いたことない……。經濟學教科書の定番の一つ、『マンキュー經濟學・マクロ篇』(東洋經濟新報社)の舊版250頁にはかうある。「最低賃金法によつて、需要と供給が一致する水準よりも上方に賃金が引き上げられると、均衡水準に比べて勞働供給量が増加し、勞働需要量が減少する。したがつて、勞働には餘剩が發生する。仕事の數よりも働きたい勞働者の數のはうが多いので、失業が發生する」。ちなみに筆者マンキューはアメリカ政府の要職を務めた事もある穩健な主流派經濟學者であり、エキセントリックな「リバタリアン」などではない。
まあ喜六郎氏の反市場主義は、私の市場主義なんぞより遙かに廣汎に流布した「宗教」であり、その教祖も小林よしのりとか雨宮処凛とか西部邁とか佐高信とか藤原正彦とか関岡英之とか佐藤優とか左右を問はず錚々たる面々が控へてゐるので、説得は無理だと分かつてはゐるが。
(追記)マンキューの同書舊版45頁にある「政策提言と經濟學者の賛同率」によれば、「最低賃金の引上げは、若年勞働者と未熟練勞働者の失業率を引上げる」との指摘に對し、79%の經濟學者が同意してゐる。無知な喜六郎氏が「聞いたこと」あらうがなからうが、要するに「定説」なのである。
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