道徳は政治に先行する
政治と道徳とは別物であると同時に、分かちがたく結びついてゐる。だからこそ「アンティゴネー」の昔から、兩者が密接に關はり合ふ事象について、多くの議論が重ねられて來た。その典型が戰爭である。
どのやうな場合であれば、ある人間が他人に物理的暴力を振るふ事が道徳的に是認されるだらうか。それは他人から物理的暴力を振るはれた場合、あるいは正に振るはれさうになつた場合であらう。前者は報復であり、後者は自衞である。報復はさらなる暴力の行使を防ぐ效果があるから、結局は自衞に含めてよからう。要するに、他人への物理的暴力が道徳的に是認されるのは、自衞の場合に限られるのである。
さて私の親なり妻なり子なりがAと云ふ責任能力ある人間から虐殺されたとして、私が報復の爲に、自ら、或いは現實的には國家と云ふ代理人を通じ、Aを殺す事は、道徳的に是認されるべきか。當然是認されるべきであらう。しかしAと一緒にゐた無關係な群衆まで機關銃で撃ち殺して仕舞つたとしたら、まづ許されないだらう。たとへ群衆がAと同じ國籍を有し、同じ言語を話し、同じ宗教を信仰し、あまつさへ私に對して罵詈雜言を浴びせてゐたとしても。
國家が互ひの國民を總動員して行ふ闘爭、すなはち戰爭は、個人をこのやうな反道徳的行爲に追ひやる危險を常に孕んでゐる。とりわけ我が國もかかはる「對テロ戰爭」のやうに、他國にわざわざ出掛けて行つてやらかす戰爭となると、無關係な者を殺すと云ふ反道徳行爲を犯す恐れは格段に大きくなる。
かうした考へ方は感傷に過ぎないのだらうか。戰爭は冷徹な政治の領域に屬する事柄なのだから、「無關係な者を殺す事は惡である」と云ふやうな甘つちよろい道徳を持ち出すのは筋違ひなのだらうか。
さうは思はない。道徳は政治と同格ではなく、政治に先行する領域である。從つて政治的行爲の是非も、究極的には道徳によつて判斷されるべきなのだ。
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