ヘタマゴすればウィキ荒らし
喜六郎氏より有益な情報。
たとえば木村貴氏。/彼は以前、自分のブログにて福田逸氏が「ヘタマゴ」という語句を使用した事を槍玉に挙げ、「ヘタマゴなる愚劣な言葉を書き連ねて平気な福田逸は馬鹿だ」とゴチエイ気取りで居丈高に非難したことがあった。/その後ウィキペディアに何者かが"「ヘタマゴ」という珍妙な言葉を使う。"と記入し、それを見た福田逸氏が「ヘタマゴ」という語句は自身の造語ではなく、国語辞典にも載っている語句だということを論証された。早速確認。たしかに福田逸氏、次のやうにお書きになつてゐる。
最近ウィキペディアを見て吹き出したことがある。項目は、こともあらうに、私の名前である。[略]大筋では問題ないのだが、項目説明の最後に、誰かの手により、いつの間にか一行加へられてゐる。/何が加えられたかといふと、≪ブログ「福田逸の備忘録」で「ヘタマゴ」という珍妙な言葉を使う。≫といふ一文。吹き出したといふのはここである。/当然このブログを読みに来た人物が書き加へたことは言ふまでもないが、≪「ヘタマゴ」という珍妙な言葉≫と書いたといふことは、「へたまご」といふ言ひ回しを知らないといふことだらう。「へたをまごつく」――略して、ヘタマゴ。「ヘタマゴすれば民主党の政権が出来かねない」、などと使ふ。この言ひ回し、無意識に使ふ程度には私の頭に入つてゐる。今まで辞書で調べたこともなかつたが、小学館の日本国語大辞典(第二版)を引いたら、「下手なふるまいをする。ぐずぐずとまごつく」といふ説明を載せてゐる。
ああ、載せてゐる辭書もあるかもしれない。 ところで、それが何か。もう一度私の文章を見て貰ひたい。
しかし傳統を守れと聲高に叫ぶ言論人が「噂を信じちやいけないよ」だの「ヘタマゴ」だの「ガラガラクシャ」だのと愚劣な言葉を書き連ねて平氣でゐるやうなら日本文化は、つまり日本は、いづれ滅びる。
私は「ヘタマゴ」を「愚劣な言葉」とは書いたが、「珍妙な言葉」などとは書いてゐないし、辭書に載つてゐないとも書いてゐない。「噂を信じちやいけないよ」だつて、「噂」「信じる」「いけない」と分ければ當然ながら辭書にちやんと載つてゐるし、「ガラガラクシャ」だつて、擬音語擬態語辭典の類を引けば載つてゐ……ないだらうな、さすがにこれは。兎も角、それらの言葉はいづれも愚劣、下品、輕薄であることに關して變はりはない。まあ、「ヘタマゴ」と云ふ言葉だけを取り出して、「噂を信じちやいけないよ」や「ガラガラクシャ」には一言も觸れない喜六郎氏の高等戰術だか、「木を見て森を見ぬ」讀解力の高さだかについては、「お見事。とても眞似できません」 と云つておかう。
と云ふことで喜六郎氏はまたしても論破されてしまつたわけだが、經驗上、堂々と反論して「言論責任」を明らかにしてくれるなどとは全く期待してゐない。それは別に構はないのだが、好い氣になつてこんな事まで書くのは、他人に責任ある言論を求めるお方として如何なものか。
ウィキペディアに例の一文を記入したのが木村氏であるとは残念ながら断定は出来ない。なぜならば、状況証拠(福田逸氏の「ヘタマゴ」に言及してたのは木村氏だけ)はあっても決定的証拠は無いからである。
私はウィキペディアへのログインの仕方も知らないのだが、それこそヘタマゴすればウィキ荒らしの濡衣を着せられかねない。桑原桑原。喜六郎氏に知つておいて貰ひたい諺がある。七度尋ねて人を疑へ。
それにしても事の發端になつた福田逸氏の文章、郵政民營化への賛否などは勿論別にして、何度讀んでも愚劣極まる。この愚劣が分からぬ人間に何を説いても無駄だらう。
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