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2008年1月 1日 (火)

「怪しからぬ不況」の悲劇

平成十九年を象徴する漢字は「」だつたさうである。要するに老舖菓子メーカーやら名門料亭やらの製造年月日僞裝が許せぬと云ふ事らしい。マスコミは勿論の事、普段はマスコミを舌鋒鋭く批判するブロガーの類も、マスコミと一緒になつて、怪しからぬ怪しからぬ日本人の道徳心も地に墜ちたと悲憤慷慨する事しきりである。

なるほど、慥かに製造年月日を僞造した會社は怪しからぬ。命に別條は無いとは云へ、當日作つたと稱して賣つた商品が實は何日も前の製品だつたとすれば、それは詐欺である。詐欺行爲を働いた業者は、そのツケをきつちりと拂つて貰はなければならぬ。だが問題はその拂はせ方である。

僞裝は今の法律でも既に違法ではあるが、更に將來、同樣の不始末を起こさぬやう、法的な規制を嚴しくした場合、どうなるであらうか。格好の見本がある。建築基準法の改正である。暫く前、食品僞裝ならぬ耐震僞裝が明らかになり、マスコミやらブロガーやらは、怪しからぬ怪しからぬ日本人の道徳心も地に墜ちたとさんざん悲憤慷慨した。それで出來上がつたのが改正建築基準法である。不逞な業者が二度と僞裝をやらかさぬやう、建築許可の審査を法律で思ひ切り嚴しくしたのである。實に立派な措置の筈であつた。

ところが忽ち問題が噴出した。審査があまりにも嚴しすぎて住宅建設が遲れに遲れ、着工件數が大幅に減つてしまつたのである。おかげで建築關係の企業の業績は惡化し、中小企業では倒産に追込まれるところが續出した。まさに羮に懲りて膾を吹くの愚を地で行くやうな話ではないか。ひよつとすると、かう云ふ官製不況(あるいは「怪しからぬ不況」)も耐震僞裝の撲滅による國民の安全確保と云ふ大義の爲にはやむを得ぬと政府を辯護する人もゐるかも知れぬ。だがその人に問ひたい。もしも着工が遲れる事によつて、國民が耐震對策の施された住宅に引つ越す事がなかなか出來ず、さうかうしてゐる間に大地震が來たらどうするのか。

福田總理自身、「(改正法施行で)かう云ふ結果が出ることを十分豫期しなかつた。經濟的な惡影響を及ぼしたことは、よく反省しなければいけない」と反省の辯を述べたと云ふ。だが反省されても倒産した企業が生返るわけではない。政府が民間に介入するとろくな事はない。これは經濟學的な眞理である。惡質業者を淘汰したければ、法で規制などせず、商道徳に任せよ。法と道徳を峻別せよ。

しかし食品僞裝についても政府は「食品表示Gメン」とか云ふわけの分からぬ組織を作るらしい。法を道徳の代用品に出來ると考へる馬鹿。その尻馬に乘つて繩張りを廣げようと企む寄生蟲。これあ、今年も景氣は良くなりさうにないな。

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