集團自決と左右の淺薄なる人間觀
沖繩戰集團自決の歴史教科書への記述に關する問題がひとまづ決着したやうである。今囘の騒動で、「左」の人々は「日本軍の強制があつた」と云ふ記述を削るのは怪しからぬと云ひ、「右」の人々は記述削除は當然だと主張した。どちらに軍配を上げるべきかを判斷する歴史的智識を私は持ち合はせないが、改めて痛感したのは、本來學問的に追究すべき事柄に對し、ひとたび國家が介入すると、何とも愚劣で醜惡な事態に陷ると云ふ事である。それに氣づかぬ限り、右も左も國家主義者と云ふ同じ穴の狢に過ぎない。
沖繩の集團自決がすべて強制によるものであつたと主張する「左」の意見に私は勿論與しない。しかしだからと云つて、自決者全員が自らの正義に對する絶對の自信を抱いて死んだと云はんばかりの「右」の主張にも全く同意できない。どちらも人間に對する無智に基づく一面的な見方でしかないからである。人間とは、生命を賭しても正義に殉じようと意を決した次の瞬間、血腥い大義なんぞとは無縁の場所で平和に暮らしたいと願ふものである。あまりにも當たり前の事だが、自決した沖繩住民の多くも、出來れば生きてゐたいと望んだに違ひない。
そして實のところ、アメリカ兵もさうだつたに違ひない。ヨーロッパ戰線での話だが、記者から「いまアメリカからいちばん送つてほしいものは何?」と聞かれた兵士の一人はかう答へたと云ふ。
ちよつと言つておきたいことがある。ここはもう、笑ひ事ぢやなく大變なんだと、ホットドッグやらベイクトビーンズやらがなつかしいなんて言つてられないんだとぐらゐは傳へてくれ。毎分毎分、兵隊が死んだり負傷していくんだ。慘めで、苦しくて、痛いんだと傳へてくれ。そちらでは絶對わからないくらゐ、笑ひ事ぢやないんだと傳へてくれ……(ポール・ファッセル『誰にも書けなかつた戰爭の現實』445頁)
ここまでしやべつたところで、兵士の喉から嗚咽が漏れた。そして彼は更に、聞き取りにくい、苛立つた聲でかう續けたと云ふ。「死ぬほど辛いつて、すごく辛いつて、傳へてくれ。笑ひ事ぢやない辛さだつて。それだけ。それだけだ」
アメリカ兵は「鬼畜米英」。さう教へられ、信じ、だから自決を選んだ沖繩住民は少なくなかつた筈である。だがアメリカ兵も「慘めで、苦しくて、痛い」と感じ、「死ぬほど辛い」と涙する人間だつたのである。私は平和主義者ではないが、なぜかくも多くの命が失はれなければならなかつたのかと考へる時、やはり暗然とならざるを得ない。
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