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2007年10月 2日 (火)

日本人の「品格」

 横綱朝青龍が巡業を休んでサッカーに興じてゐた事が露顯した時、世間は「横綱としての品格に缺ける」「詰まるところは文化の違ひ」などと指彈した。成る程、朝青龍と云ふモンゴル人横綱に日本的な「品格」があるかどうかは意見の分かれるところだらう。しかしどう考へても、新弟子によつてたかつて暴力を揮ひ、擧句の果てに殺して仕舞ふやうな日本人力士や日本人親方の「品格」の方が立派であるとは云へまい。

 時津風部屋での今囘の事件を聞いて、私は舊軍の新兵いぢめの話を聯想した。新兵いぢめと云ふものはどの國にもあるのだらうが、日本の軍隊でのいぢめが實に陰濕であつた事は、誇張はあるにせよ、多くの戰爭文學にも克明に描かれてゐる。戰後は軍隊が絶對的に否定された時代だつたから、「軍隊でのいぢめは陰濕だつた」などと云ふ話も虚實取混ぜて嫌と云ふほど聞かされたわけだが、最近は寧ろ、軍隊をやたらと美化する風潮が目についてならない。云ふまでもない事だが、軍人も人間である。人間である以上、美徳と同時に惡徳も間違ひなく持合はせてゐる。そして私や讀者諸子と同樣、日本人獨特の嫌らしい面も持合はせてゐるだらう。その點において、新弟子を嬲つた力士も親方も、新兵をいぢめた舊軍の上官も兵士も、變はるところはない。

 忘れ去られてゐた栗林忠道や硫黄島戰が關心を集めるのは結構な事だが、それが「やはり日本人は偉い」「日本人の品格は外人とは違ふ」と云つた夜郎自大の議論につながらぬとは限らないし、現につながりつつあると思ふ。幸ひにして、『常に諸子の先頭に在り』の著者、留守晴夫教授はそのやうな安易な日本人禮讚とは正反對の主張をお持ちの方である。是非その著作に触れ、出來るなら講話も聽いて戴きたいと思ふ。

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