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2007年8月16日 (木)

反戰の條件

 毎年恆例ながら、あちこちのテレヴィで戰爭についての討論番組をやつてゐる。今夜のNHKでは一般市民が口角泡を飛ばして「憲法九條を守れ」「變へろ」と論じ合つてゐた。

 私は必ずも反戰と云ふ選擇を否定しない。それどころか、首尾一貫した思想が背後にあるのであれば、反戰を積極的に支持したいとすら考へてゐる。これはいつかきちんと論じなければならないが、松原正氏は「戰爭は無くならない」とは書いたが、決して「戰爭をやるべきだ」とは主張してゐない。萬々が一、反戰主義者が松原氏の著作を手に取る事があるとして、そこから學ぶべきなのは、もしも本氣で戰爭を無くしたい、減らしたいと思ふのならば、時として戰爭を熱狂的に望む人間の本質を知らなければならないと云ふ事である。

 ある人間が個人的に憎んでもゐない別の人間を殺す。ジョージ・オーウェルが書いたやうに、それはやはりおぞましい事なのだ。だから私は「國益」の爲には自衞隊を海外にどんどん送れだの、日本でも徴兵制を敷けだのと云つた主張には全く同意出來ない。左翼のやうな事を云つて恐縮だが、威勢の良い事ばかり云つてゐる我が同胞は、戰爭とは人間を殺す事なのだと云ふ基本的事實をもつと認識すべきである。

 テレヴィの騷がしいだけの討論番組を見てゐて私が不滿なのは、さうした番組では決して「戰爭はなぜ起こるか」と云ふ本質について論じないからである。ある事象を無くしたいと思ふのならば、まづその原因を究明しなければならない。ところがテレヴィに出て來る一般市民だけでなく、知識人も、決して戰爭の本質的原因を本格的に論ずる事が無い。なぜか。論ずれば論ずるほど、戰爭を無くすと云ふ事がどれだけ絶望的かが明らかになつて仕舞ふからだ。司會者が最後に「本日の議論の結果、戰爭は無くならないと云ふ事が分りました」では、視聽者を暗い氣持ちにさせるばかりであらう。それでは視聽者第一主義であるテレヴィ局として甚だまづい。

 戰爭を無くしたいのなら、理性を働かせ、論理を突き詰め、歴史の教訓を學び、考へ拔くべきである。さうすれば、戰爭を無くす事が不可能だと云ふ事が分かるかも知れない。さうしたら再び理性の力で次善の策を講ずるべきなのだ。

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コメント

クエーカー教徒に関してはよく知りませんが同胞を殺されたり、自分が殺されたり殺されそうになっても「例え殺されようが暴力反対!」で完全無抵抗かつ「恨みません!」みたいな新年なんですか?

この教派って宗教団体だけあって歴史的には結構、追放や分裂を繰り返してますよね。宗教だから当たり前ですね。

>ところがテレヴィに出て來る一般市民だけでなく、知>識人も、決して戰爭の本質的原因を本格的に論ずる事>が無い。なぜか。論ずれば論ずるほど、戰爭を無くす>と云ふ事がどれだけ絶望的かが明らかになつて仕舞ふ>からだ。

そこまでエンターテイメント・ジャーナリズムのテレビが考えてるとは思えません。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年8月16日 (木) 14時00分

急いでいたので誤字が多いです。すみません。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年8月16日 (木) 14時01分

なんかウェブだと戰爭の原因は全部經濟的理由らしいですよ。それ以外の事を言ふと嗤はれます。特に正義。

困つた事です。

投稿: n | 2007年8月17日 (金) 03時52分

 經濟も正義も背後には人間が存在する譯ですから、要するに「ウェブ」の人達は人間を理解してゐないと云ふ事なのでせう。經濟學の祖、アダム・スミスは『國富論』とともに『道徳感情論』を著してゐます。

投稿: 木村貴 | 2007年8月19日 (日) 22時05分

 先日コメントし、更にお返事を戴き、十日も經つてしまひましたが、いま一度コメント致します。

 「ナショナリストはとかく自國の歴史や文化を外國に比べ優れてゐると持ち上げたがるものであるが、西尾氏も例外ではない。」

 やはりこの一節ついてですが、お答へ下さつて、「西尾氏はナショナリストの例外ではない」の意だと判りました。そこでなのですが、私が問はんとするのは、この書き方が論理的に正しいか否かです。こゝではまづ、

〈「ナショナリスト」ならば「自國の歴史や~たがる」〉

 といふ命題Aが眞だとされてゐます。けれどその後で、

〈西尾氏が「自國の歴史や~たがる」ならば「西尾氏はナショナリスト」〉

 と、にはかに斷ずることはできないのではないか。かう云ふには、命題Aが、「可逆」即ち、

〈「ナショナリスト」⇔「自國の歴史や~たがる」〉

 が云へねばならない。それゆゑ、「ナショナリストとはとかく自國の歴史や文化を外國に比べ優れてゐると持ち上げたがる人々のことであるが」となさる、或は示す、べきではなかつたか、といふことです。少しく細かに過ぎるやも知れませんが、如何でせうか。長くなつて申し譯ありません。

投稿: マロン=ナポレオン | 2007年8月20日 (月) 18時36分

なんで?

普通に読むとナショナリストの全部が全部、自国の歴史や文化を他国より優れていると持ち上げるわけではないとしか読みようがありませんが?

言語論理学とかいう虚学の一種に惑わされているんですか?

投稿: 森英樹(本物) | 2007年8月20日 (月) 19時26分

>〈西尾氏が「自國の歴史や~たがる」ならば「西尾氏はナショナリスト」〉

この命題、誰が言つたのですか。

木村氏は言つてゐないので、その論證を木村氏に要請するのはをかしい。

投稿: n | 2007年8月20日 (月) 21時11分

 皆さん色々補足して下さつて有難う御座います。

>「ナショナリストとはとかく自國の歴史や文化を外國に比べ優れてゐると持ち上げたがる人々のことであるが」となさる、或は示す、べきではなかつたか

 私はジョージ・オーウェルの定義に從ひ、「ナショナリスト」と「愛國者」を區別し、前者は兔に角自分の屬する國(或いは民族、階級、宗派、黨派)を絶對視する人々、後者は單純に自分の故國を愛する人、と考へてゐます。詰まり「ナショナリスト」と云ふ言葉自體に「自國の歴史や文化を外國に比べ優れてゐると持ち上げたがる人々」と云ふ負の意味を持たせてゐます。かうした前提をきちんと説明すべきでした。これでお答へになつてゐますでせうか。

投稿: 木村貴 | 2007年8月21日 (火) 02時10分

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