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2007年6月 7日 (木)

をかしなをかしなニート批判

 「いちご」さんと云ふ人が、誠に勇ましいニート批判を書いてゐます。經濟學的な啓蒙に格好の素材なので、少しく詳しく論評しませう。

 生活保護受給世帯よりも低収入の「ワーキング・プア」が急増している。それらの人たちが国の世話にならずに、貧しいながらも働いているのは、ひとえに彼らの人間としてのプライドの故だろう。

 人間は何の爲に働くのでせうか。「プライド」などと云ふ腹の足しにならないものの爲よりも、より多くの收入を得て生活水準を高める爲でせう。ワーキング・プア諸氏が現在貧しくとも働いてゐるのは、さうする事によつて將來の收入を「生活保護受給世帯」以上に高め得ると判斷してゐるからでせう。御承知のやうに、仕事と云ふものは「兔に角やつてみる」事でしかスキルを高められないし、能力を認めて貰ふ事も出來ません。例へば、無名のロックバンドは、極端な話、ノーギャラでも良いから兔に角舞臺に立たない限り、聽衆に認知して貰ふ事すら不可能でせう。しかし一旦認めて貰へれば、スターにはなれなくとも、それなりのギャラを手にするチャンスが生れます。要するにワーキング・プア諸氏も、いちごさんや私同樣、普通の人間として自分なりの予測や期待に基づいて就勞と云ふ行爲を選擇してゐるに過ぎず、それを「プライド」などと云ふ言葉を使つて賞揚するのは、無用のおべつかであり、倒錯した「弱者崇拜」であり、まるで動物園のパンダ扱ひするやうな甚だ無禮な態度であるとさへ云へます。

 そういう人たちにこそ、手厚い救済策が施されるべきだ。その乏しい収入からも、容赦なく所得税は徴収されているのである。

 經濟に無知な論者に典型的な主張です。「手厚い救済策」の内容が何であれ、政策として實施する以上、原資は税金以外にあり得ません。覺えておいて貰ひたいのは、政府が民間からより多くの税金を取立てれば、その目的がたとへ貧者救済であらうとも、その徴収先がたとへ貧者以外であらうとも、結局は貧者自身をさらに貧しくすると云ふ事です。なぜなら政府が税金を徴收した分、企業は設備投資や技術開發に充てる資金が少なくなり、個人は消費に囘すお金が足りなくなり、全體として經濟が停滯する事になるからです。經濟全體が停滯すれば、勤勞者の取り分が小さくなり、その中でワーキング・プアの取り分が現在よりもさらに小さくなるのは火を見るよりも明らかでせう。ワーキング・プアから所得税が容赦なく徴收されてゐる事は確かに理不盡ですが、その理不盡をさらなる税金徴收で解決しようと云ふのは全くの見當違ひです。ワーキング・プアを救ひたいと本心から願ふのなら、ワーキング・プアを含むあらゆる人の税負擔を減らす方策を考へるべきなのです。


 その一方で、親のすねをかじりながら、「ワーキング・プア」が支払った税金で整備された社会資本の恩恵を、のうのうと享受するニートどもがいる。

 「ニート憎し」の感情のせゐか、論理展開がますますをかしくなつてゐます。まづ、すねをかじる行爲は、かじられる親とかじる子の合意の上に成立つてゐるのですから、他人がとやかく云ふ筋合ひのものではありません。ニート太郎やニート花子が親のすねをかじつたからと云つて、いちごさんや私の財産が減るわけではないでせう。次に、いちごさんはニートが所得税を納めてゐない事が氣に喰はないやうですが、働いてゐないのだから所得が無いのは當然で、所得が無ければ所得税を納めないのも當然です。どこが問題なのでせうか。ニートは所得税を納めないと云ふ利便と引換に、自由になる金が少ないと云ふ不便も甘受してゐるのです。もしもニートの經濟的境遇(利便と不便の差引)がそれほど素晴らしいものならば、そこそこの收入のある親を持つ日本人全員がとうの昔にニートに“轉職”してゐる筈ですが、さうなつてゐないのは、大半の人がニートの經濟的境遇を羨ましいと考へてゐない證左でせう。それから、「社会資本」(多分道路や橋やダムの事でせう)の整備に使はれた税金のうち、ワーキング・プアが納めた部分は恐らく微々たるものであつて、大部分は金持ちや中産階級が納めたものでせう。だとすれば、いちごさんが賞揚するワーキング・プア諸氏も、ニートほどではないにせよ、金持ちや中産階級の「税金で整備された社会資本の恩恵を、のうのうと享受」してゐる不逞の輩の一派と云ふ事になつて仕舞ひます。やはりいちごさんはワーキング・プアの事が本當は嫌ひなのでせう。

 奴らは言う。「俺は秋葉原で美少女アニメのキャラクターグッズをたくさん買って、その分消費税を支払っているんだ! 所得税だなんだとガタガタ抜かすな!」と。しかし、根本的に間違ってるよな。

 どこが「根本的に間違ってる」のでせうか。所得税も消費税も同じ税金です。賣つた商品が高級外車だらうがパソコンだらうがポルノ雜誌だらうが、その稼ぎから拂ふ所得税はすべて貴重な血税であるのと同樣、買つた品物が美少女アニメのキャラクターグッズだらうが有機野菜だらうが哲學書だらうが、拂ふ消費税はすべて血税です。

 そんな連中が一知半解の政治論議をネットで展開しても、説得力なんてまるでない。

 一知半解の經濟論議をネットで展開する手合ひは、ニートであらうがなからうが、困つたものです。

 日本国憲法で定められた「勤労の義務」も満足に果たせない連中が、現行憲法無効論などを主張するのだから笑止千万だ。

 いちごさんこそ、日本國憲法で定められた「言論の自由」について何も分つてゐないやうです。
 


 昔福田恆存が「弱者天国」という論文を書いていたはずだが、今の日本は「無職天国」「ニート天国」だろう。次の参院選では、これらの倒錯した労働環境の改善を目指す政党の躍進を望む。ニートは断じて、現代社会の犠牲者や被害者などではない。彼らを甘やかして遊ばせているその親たちの税金や保険料を値上げするなど、懲罰的な政策をぜひ実現に移してほしい。

 參院選ねえ……そもそも參議院て必要なんでせうか。いちごさんは餘程税金や政治や懲罰が好きなやうですね。私もニートが政治家や役人や一部の學者の出世の道具になりつつある現状を憂いてゐますが、それに對する處方箋はいちごさんと全く異なります。ニートを無理矢理働かせようとする政策など税金の無駄遣ひ。親の税金や保険料を上げれば經濟全體が停滯するばかり。働きたくない人は放つておけば宜しい。その代はり、税金による生活費補助などは一切やらない。そのうへで彼らがささやかな(親の收入によつては結構な額の)小遣ひで秋葉原に買物に出掛けて行つたとして、何を咎める必要があるでせうか。他人の世話を燒くのは止めて、自分の頭の蠅を追へ、と云つておきませう。

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コメント

面白い事に喜六郎さん、このいちごさんとか云ふ人が、自分の書いた記事と無關係のコメントを附けてゐるのに、荒し扱ひもせず、普通に應對してゐるのですよね。これは一體何なのでせうね。ニートとか無職とか、その邊の事と、私とを、喜六郎さんは、結び附けて考へてしまつてゐるのでせうか。無茶な飛躍のある、亂暴な聯想ですね。
亂暴と言へば文章も段々亂暴になつて、喜六郎さん、「ほざくな」だの何だのと、暴言が非道いですね――ただまあ、相變らず、「信者」の言ひ分には耳を貸さず、ひたすら相手の新しい發言にいちやもんを附け續ける、「アンチ」らしい一方的な攻撃の戰術は貫いてゐるやうですが。

いいかげん、喜六郎さんやその他の人々には、「信者」を罵る「アンチ」の方が、「信者」以上に性質の惡い人間らしい行動をとるやうになつてしまつてゐる状況を、自覺して貰ひたいものですね。もつとも、どこぞの一無名人さんは、依然「信者」に責任轉嫁をする癖は拔けないやうですけれども、何うやらその邊、些か悟るところがおありであつたやうです。

喜六郎さん、例の論語の問題、信者の反應が見苦しいとか言つてゐたと思ひますが、アンチの喜六郎さんが仕掛けた最初の言掛りは何うしやうもなかつたですね。松原先生が「孔子は怒る人であつた」と主張されてゐるのに、「孔子は怒らない人なのだから」と云ふ理由で松原先生の解釋を否定したのです(誤智英さんには呉智英さんの誤について、御意見を伺ひたいところ)。あれは、普通の人なら、論理的にをかしいと氣附くものですがねえ。取敢ず「誤譯」と言つてゐる呉智英さんの言葉に喜んで飛び附いてしまつて、喜六郎さん、自分の主張の論理的なをかしさには氣附かなかつたのでせうね。或は、氣附いてゐても、反論は無視して一方的に「信者」は嘲つてゐれば良いと、さう「アンチ」らしく考へてゐたのでせうかねえ。「アンチ」の人つて全くもつてアレですねえ。

投稿: n | 2007年6月 7日 (木) 20時09分

>木村さんがいちご氏のコメント論ってるけど、直接税と間接税の違いも分からないような御仁に経済について説教なんてされたくないわな。
http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/34.html?b=10#comment

直接税と間接税の違ひ……。ええと、たしか中學校で習ひました。納税者と納税義務者が一致するのが直接税(例:所得税)、一致しないのが間接税(例:消費税)でしたね。それがどうしましたか、喜六郎さん。納税義務者が誰かと云ふ事は、今囘の議論に全く無關係です。直接税も間接税も納税者が負擔する點で本質的な違ひは無いからです。「厨房」レヴェルの智識を振りかざして時事問題なんて語つて貰ひたくないわな。

投稿: 木村貴 | 2007年6月 8日 (金) 02時26分

>昔福田恆存が「弱者天国」という論文を書いていたはずだが、
いちごさんと云ふ人は「弱者天國」を讀まないで、取敢ず題名だけで早合點して適當な事を言つてゐるだけですね。もし本當にちやんと「弱者天國」を讀んでゐたのなら、「懲罰」だの何だのと言へた筈がない。

福田氏は弱者が強者の行爲に「道徳的非難」を浴びせる樣を論じて、さう云ふ態度こそ「道徳心の頽廢を證するもの」だと述べてゐる。福田氏の文章の主眼は、現代人の「道徳的非難」が極めて非道徳的であると云ふ問題を指摘する事――そして、さうした「道徳的非難」を一方的に浴びせる現代人が、他者と交流する事も出來ない機械的な存在に陷りつゝある問題を剔抉する事にあつた。

>強くさへあれば善であるといふ所謂「強い者勝ち」の似而非道徳論を否定するのは良いが、その爲に弱くさへあれば善であるといふ「弱い者勝ち」の、これまた同じく似而非道徳論を以てするといふ法は無い。
はつきり、似而非道徳論こそが問題である、と福田氏は述べてゐる。

「弱者天國」は、いちごさんが想像するやうな單純な弱者や強者を非難する論文ではなく、他者を非難する行爲に見られる似而非道徳論を否定する論文だ。いちごさんは「ニート批判」「無職批判」で似而非道徳論をぶつてゐるが、福田氏の立場はいちごさんの似而非道徳論を即座に否定するものだ。

ちなみに福田氏は「弱者天國」の冒頭で、こんな事を書いてゐる。「弱者天國」は戲曲「億萬長者夫人」の解説なのだが、この戲曲の主題について、まづ一つ目が「女を叱る男を叱る」事であり、二つ目が「弱者天國」の風潮を諷刺する事だと言ふのだ。
>戰後の女權擴張の反動であらう、近頃「女を叱る」式の話題がジャーナリズムを賑してゐるが、私には全く理解出來ない。それに對する反撥から、私の「億萬長者夫人」の第一主題は「女を叱る男を叱る」といふ形になつた。
この邊、喜六郎氏の「『赤ちゃんポスト』批判」をはじめとする熱烈な調子の文章に對する有效な批判となり得る。もちろんいちご氏の「無職批判」に對しても然り。

投稿: n | 2007年6月 8日 (金) 20時53分

あと、わーきんぐぷあな俺も税金をしつかり收めてゐる訣だけれども、別ににーと諸氏無職諸氏が俺の拂つたその税金で生延びて呉れたつて何うでも良いと思つてゐる。普通、税金なんて拂ひつぱなしで、後で何う使はれようが知つた事ではないもの。俺は一々そんな事氣にするプロ市民ではない。

投稿: n | 2007年6月 8日 (金) 21時00分

>「やはりいちごさんはワーキング・プアの事が本當は嫌ひなのでせう」などと、ほとんど事実に反するような推察まで書かれていたのには苦笑せざるを得なかった。
http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/34.html#comment6814

 全く事實に反するのぢやあなくて、「ほとんど」? やつぱり少しは嫌ひなわけですね、ワーキング・プアの事が。自分自身の心の中と云ふものはなかなか分らないものです。

>ネット上のみならず、世間一般にはニート(穀つぶし)どもへの嘲笑や冷たいまなざしが確実に存在しているが、それが常識人の態度というものだろう。

 嘲笑したければ、それが常識人の態度かどうかなんぞ氣にせず、思ふ存分嘲笑すれば宜しいのではないのでせうか(まあ、さう云ふ人は他人から同樣の行爲をされても文句は云へないわけですが)。私はいちごさんの主張が經濟學的・論理的にをかしいと云つてゐるだけで、ニートは好きでも嫌ひでもありませんので。と云ひますか、ニートと云つても良い人もゐれば惡い奴もゐるだらうに、どうしていちごさんは十把一絡げに嘲笑したり冷たい眼差しで見たり出來るのでせうね。それが不思議でなりません。  

>「ワーキング・プア」の人たちが一生懸命働いて得た収入から支払う所得税と、いい年をして親から小遣いをもらっているニート(穀つぶし)が買った美少女アニメのキャラクターグッズの消費税がたとえ同額でも、その目に見えない重みが全く違うことは議論以前の問題だ。

 ニート嫌ひの裏返しで、いちごさんはワーキング・プアを十把一絡げに持上げる。ワーキング・プアにも嫌な奴はゐるでせうに。例へばこの私が、閑職に追ひやられただけでなく、首になつてネット喫茶でこの文章を書いてゐるワーキング・プアだつたとしたら、いちごさんはどうするんでせうね。

>そしてあの福田恆存の理解者を自任している連中は、福田が生きていたらニート(穀つぶし)どもの存在そして奴らの生き方暮らし方を「何ら問題はない」、あるいは「素晴らしい、推称すべきものだ」とでも言うと思っているのだろうか。実に実に不思議でならない。

 夏目漱石「それから」の代助は明治時代のニートで、シェイクスピアのハムレットも完全なすねかじりですが、福田恆存が彼らを「穀つぶし」と罵つたと云ふ話は聞いた事がありませんね。

>まあ、日頃あれだけ他人を攻撃してやまないのに、ずいぶんニート(穀つぶし)どもには甘いんだなぁ。ひょっとして、普段の攻撃的な態度は含羞の裏返しの現れであって、あの人は本当は心の優しい、円満な人間性の持ち主なのではないだろうか、と思ってしまった(笑)。ニート(穀つぶし)どもに対する寛容な態度を、たまには西尾幹二や西部邁の発言にも差し向けてあげては如何。

 何を云つてゐるんですかねこの人は。攻撃しようにも、ニートが經濟や戰爭や國語についてどんな發言をしてゐるか知らないのだから出來るわけがないでせう。なほ私の人間性については全く正しい指摘です。恐入ります。

投稿: 木村貴 | 2007年6月 9日 (土) 01時58分

>その結論も実に無内容で、当方のニート(穀つぶし)どもへの嫌悪感は些かも揺るがなかった。

「嫌悪感」なんださうですよ。ただの感情論に過ぎません。偏見と一緒です。
ただの感情論なのに、いちごさんはもつともらしい理窟をでつち上げて道徳論に見せかけてゐる。かう云ふやり方を、福田さんは一番嫌つてゐたのでした。それがいちごさんには全く解つてゐません。

……とか書くと、今度はいちごさん、福田さんまで罵り始めるんでせうね。單なる感情論で話をする人は、これだから困るのです。

投稿: n | 2007年6月 9日 (土) 19時35分

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