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2007年6月 3日 (日)

國家に子供を託せるか

 教育と國家・社會の關係について的確な指摘。

 戦前の日本では、国家のために死ぬことが賛美され、いいことだとさえ教えられていました。それが戦争に負け、連合国軍の占領下に置かれると、国民はみんな平等という考え方に変わった。[略]国家や社会の役に立つ人間をつくるのが教育の一側面だとすれば、もし価値観や時代の要請が正反対に変わると、当然、国や社会の目的も正反対のものになります。[略]つまり、教育の目的というのは、国や社会の変化によってコロコロ変わるのです。制度としての教育や価値観などは、国家や社会の都合で変わる。あやふやで不確かなものです。極端なことを言えば、とても信用できるものではありませんし、大切な子どもを託せるものでもない。(『日本の子どもを幸福にする23の提言』 94-95頁、改行省略)

 筆者は青色發光ダイオードの發明で知られる、カリフォルニア大學サンタバーバラ校教授の中村修二氏。古巣の日亞化學工業との特許を巡る訴訟に絡み、金の亡者のやうなイメージが流布された中村氏だが、それが全くの誤解である事は、中村氏自身の著作や小川雅照『父一代の日亞化學』を讀めば分かる。

 年金の運用管理を政府に任せきりにするとどうなるか、最近の報道が如實に示してゐる。それならなぜ、教育を政府に任せるのか。教育は個人にとつて年金と同等か、それ以上に重要な仕事の筈である。

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