自由の哲學 讀書案内
木村は新自由主義者であるなどと一部で怪しからぬ事を云ふ人がゐるやうです。
人聞きの惡い。違ひます。私は自由主義者です。
私の好きな自由主義者を擧げませう。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・ハイエク、ヘンリー・ハズリット、マリー・ロスバード、ウォルター・ブロック、アイン・ランド、ミルトン・フリードマン、デヴィッド・フリードマン、スティーヴン・ランズバーグ、ラッセル・ロバーツ、ポール・ヘイン、トマス・ソーウェルなど。え? そいつらこそ新自由主義者だつて? ああさう。
ところで、彼らには共通點があります。彼らの本を讀みもせず、朝日新聞とか世界とか文藝春秋とか正論とかゴーマニズム宣言とかを片手に、「新自由主義は怪しからん」などと云つてゐる連中に比べ、話にならないほど頭が良い事です。上に擧げた中にはノーベル賞を貰つた人もゐますしね、約二名。頭の良い人の話には一度じつくり耳を傾けてみては如何でせう。推薦圖書は人名をクリック。
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コメント
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投稿: 誤智英 | 2007年5月25日 (金) 16時35分
喜六郎の揚げ足取りに一々反応ですかwあんなバカ切って捨てておけばいいんですよ
あの人も毎回毎回松原信者松原信者とよく飽きもせず連呼できるものだ。前田嘉則さんも言ってたけど、あれは酔っぱらいだ。
投稿: 織田秀孝 | 2007年5月25日 (金) 20時27分
喜六郎の小屋でonebousan2000@yahoo.co.jpという人がこんなコメントをつけているのを見かけました。
>投稿者:名無し 2007/5/22 23:29
>御説に賛成です。ごくつぶしを「ニート」と呼んだり、本当におかしな世の中です。子供を捨てる親や、働かずにブラブラしている痴れ者が白眼視されるようにならなければならないと強く思います。
onebousan2000でググッたらヤフーオークションで非常に良い落札者でいらっしゃるようです。
http://rating2.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/rating?userID=onebousan2000
http://kimura39.txt-nifty.com/hell/2007/05/post_fa34.htmlですぎたさんという人が
>無職などは、少し死んだ方がお国のためだと思いませんか。
と書いていますが同一人物でしょうか。もしそうなら怖いですね。こちらでは「死ね」であちらでは「白眼視」だそうです。それにしてもどうしてあちらでははっきり言わないのでしょうね。
投稿: 織田秀孝 | 2007年5月25日 (金) 22時40分
名前を擧げられた西洋人のうち六名しか存じあげず、ましてやその著書を讀んだ人となると二名しかありません。まこと嘆息しますが、面白い本なのでせうかしら。
昔、アダム・スミスの「道徳感情論」に匙を投げたことを想ひ出します。木村さん、我々にとつて、經濟學とは何なのでせうか。
投稿: 渡邉 建 | 2007年5月26日 (土) 00時43分
織田樣
>喜六郎の揚げ足取りに一々反応ですかw
何かきつかけがないと物を書けない體質なものですから。
渡邉樣
お久しぶりです。渡邉さんがこれらの本にどう云ふ感想をお持ちになるか分りませんが、「慣れる」まで時間がかかるかも知れません。何せ一部の論者は軍隊や裁判や警察の民營化を主張する過激な「無政府資本主義者」ですし、他も似たやうな「最小政府」支持者ですので。私はかなり「洗腦」されつつありますが、贊成するにせよ反對するにせよ、明晰かつラディカルな主張に觸れる事によつて得るものは大きいと思ひます。彼らの思想は、政治と道徳の區別を強調する松原正先生と大いに共通する部分があります。ある意味で西洋思想の正統と云つても良いでせう。
ミーゼスは「經濟學」よりも自ら考案した「人間行爲學」と云ふ呼稱を好んださうです。經濟學とは物の賣買や金の貸借だけでなく、凡そ人間の行爲(human action)にかかはる全ての事柄を扱ふものだと云ふ考へからです。また、御指摘のやうにスミスが『道徳感情論』を著した事實は、經濟學が道徳哲學と同根の學問である事を示します。それゆゑ經濟學は文學同樣、しかし文學とは異なる方法で、人間や道徳の本質を追究する、勉強し甲斐のある學問だと思ひます。尤も現在の主流である新古典派經濟學に餘り魅力はありませんけれども。
投稿: 木村貴 | 2007年5月26日 (土) 02時13分