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2007年4月 2日 (月)

『迷信の見えざる手』

 早いもので「地獄の箴言」を始めて七年經つた。八年目もどうぞ宜しくお願ひ致します。氣分一新でデザインもまた變へました。

 そもそもサイトを始めたのは松原正先生の思想について書きたいと思つたから。取上げる題材は徐々に廣がつて行つたが、それでも文學・宗教・國語問題等が中心で、自分が曲りなりにも職業上專門としてゐる經濟については殆ど觸れて來なかつた。理由は三つある。第一に、仕事を思ひ出すやうな話を趣味で書いても詰らないから。第二に、經濟と趣味の分野を關聨附けて考へる事が出來なかつたから。そして第三に、經濟について實は無知だつたから。

 しかし最近、專ら經濟學や經濟思想の本ばかり讀み漁つてゐる。趣味で關心を持つて來た分野と經濟との關聨も朧氣ながら自分なりに考へられるやうになつて來た。まだまだ勉強の途上だが、いづれこれらの事柄について書ければと思ふ。

 最近讀んだ本から。

 日本人は基本的には自分の生活に即した具体的な事実に関する情報にしか関心を持たない。「観念の世界」や「超現世的な世界」には関心がないので、そのような世界にかかわる情報である「大思想」や「大宗教」にも真の関心を寄せることはない。関心があるのは役立つ情報であり、ご利益なのである。(竹内靖雄『迷信の見えざる手』 第十七章「愚者の楽園」)

 かうした日本人が集まつて作る我が日本國を、竹内靖雄は必ずしも否定してゐる譯ではない。皮肉を交へつつも「戦争さえやらなければ、日本のようにおとなしくて粒のそろった島国人間ばかりの国では、特別の賢人のいらない『愚者の楽園』の実現も不可能ではない、ということであろうか。それは現に存在している以上不可能とはいえない」と書いてゐる。愚者の樂園は日本の文化なのかも知れないし、樂園である事に變りはないのだ。尤も、竹内は忘れずかう附け加へてゐる。「ただし特別の条件の下でのみそれは可能であって、『愚者の楽園』が続くのは、愚者が試されるような危機が来ない限りにおいてである。」

 「愚者が試されるような危機」。それは例へば外國による侵略であらう。これでやつと『憲法九条を世界遺産に』に話がつながつた。次こそは感想を書く事にしよう。「次」がいつか分らないけれど。

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コメント

デザインが変わったのに気付かずPCの調子が悪いのかと思いました。

デザインを変える際は告知してください。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年4月 2日 (月) 17時09分

「松原正先生の思想」

思想なのかな~?主張ではなくて?

昔からある思想の新しい比喩ではなく?

投稿: 森英樹(本物) | 2007年4月 3日 (火) 10時26分

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