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2007年3月20日 (火)

法と道徳とホリエモン

 ホリエモンこと堀江貴文被告に實刑。

 判決の最後に、子供から裁判所に送られてきた手紙が朗読されたらしい。裁判官の意図は不明だが、被告が涙を流して改心すれば済んだ問題なのか。それとも、論理的ではない判決を書いたことを他のトピックスで隠蔽するための方策か。裁判長は「実刑判決を言い渡したが、あなたの人格を否定したわけではない」とも言ったらしい。そもそも、裁判は罪を裁くところで、人格を裁くところではない。裁判官にそんな権限があるはずがない。この、判決公判全体に漂う安っぽさはなんだ。(「東京地裁の堀江判決を批判する」)

 「裁判は罪を裁くところで、人格を裁くところではない」。その通りである。ところが日本は法と道徳を峻別しない國だから、安手のお涙頂戴の芝居のやうな裁判が堂々と罷り通る。

 保守派言論人の多くはホリエモンを忌み嫌ふが、人格と有罪無罪は全く關係の無い事柄である。かつて松原正氏はロッキード裁判で被告となつた田中角榮元首相を擁護したが、それは元首相の人格を高く評價したからではない。法と道徳を混同する日本社會に警鐘を鳴らさんとしたからに他ならない。

 法と道徳の混同は日本の傳統の惡しき側面であり、惡しき側面は正すべく努力しなければならない。

 西洋的思考に基づいて日本の傳統(の一部)を批判する松原氏が保守派言論人から忌み嫌はれるのは、自然な事なのかも知れない。

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コメント

はじめまして。ふらりとやってきましたさときちと申します。
>裁判は罪を裁くところで、人格を裁くところではない。
本当に考えさせる言葉ですね。
 私も呉氏の本を大学時代に何冊か読ませていただきました。私には難しい部分もありましたが、彼の言う「封建主義」は納得する部分が多くありました。ではまたお邪魔します。

投稿: さときち | 2007年3月20日 (火) 14時27分

 呉さんの著作は民主主義と云ふタブーを暴いた點で劃期的でした。

 國政・地方選擧の度に「投票しませう」と呼び掛けるポスターやテレビCMが氾濫しますが、税金の無駄遣ひ以外の何物でもありません。投票したい人だけがすれば良いのに。

投稿: 木村貴 | 2007年3月24日 (土) 23時47分

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