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2007年3月26日 (月)

公共心の缺如・續

 喜六郎さんから反論。

 案の定、木村さんが噛みついてきたけど、誰も「堀江は公共心の欠如で逮捕された」などと書いてないんだけどね。(投稿者:kirokuro 2007/3/24 22:11

 もう一度讀んでみませう。

 裁判長の説諭要旨はどうかと思うが、妥当な判決だと思う。/今は堀江被告に限らず、公共心が欠如した富裕層が本当に増えたと思う。(「堀江貴文被告に実刑判決!」)

 さて、喜六郎さんが「妥当な判決」だと考へる根據は一體何なのでせう。それが示されてゐない以上、私のやうにわざと、いやいや、うつかり「公共心の欠如」がその根據だと誤讀する讀者がゐても仕方ありますまい。

 小林亮一氏の「東京地裁の堀江判決を批判する」によれば、裁判所はライブドアの利益計上が合法か違法かと云ふ「公認会計士ですら判断に迷う問題」について直接の判斷を避け、「投資組合は脱法目的で設立され違法」とだけ述べたさうです。しかしこれは小林氏が指摘する通り、「すべての起訴事実の土台となっている事実について法判断を回避し、『脱法目的の団体を通じてやったことだからいけないよね』というイメージだけで構成された判決」と云へないでせうか。

 私は專門家ではないのでこれ以上の事は云へませんが、喜六郎さんは「妥当な判決」と判斷する法的知識をお持ちなのでせう。どうぞそれをお聞かせ下さい。こんな事は無いと思ひますが、萬が一、それをお示しになれない場合、「何だ結局、『法的根據はよく分らないけど、ホリエモンは公共心が缺如してゐる奴だから有罪!』と云つてゐるのと同じぢやないか」と思はれかねませんから、御注意下さい。

 とにかく出鱈目でもいいから、人を叩きたくて仕方ないんだろうな。

 「人を叩きたくて仕方ない」のはお互ひ樣。但し當方は、「公共心が缺如してゐるから有罪」と云ふ本音を思はず行間に漏らして仕舞ひ、それを指摘されると「そんな事は書いてゐない」といきり立つやうな「出鱈目」をやらかす度胸はありませんけどね。

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2007年3月22日 (木)

公共心の缺如

 法と道徳を峻別出來ない日本人、その一例。

 裁判長の説諭要旨はどうかと思うが、妥当な判決だと思う。/今は堀江被告に限らず、公共心が欠如した富裕層が本当に増えたと思う。(「堀江貴文被告に実刑判決!」)

 「公共心の缺如」と云ふのは刑法の何條に違反するのか、教へて貰ひたいものである。恐らくその刑法の條文には「富裕層にのみ適用し、中産層以下はお咎め無し」とも書いてあるのだらう。喜六郎さんは素朴な正義感の持主だと想像するが、「罪刑法定主義」とか「法の下の平等」とか云ふ言葉も知つておいた方が良いと思ふ。

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2007年3月20日 (火)

法と道徳とホリエモン

 ホリエモンこと堀江貴文被告に實刑。

 判決の最後に、子供から裁判所に送られてきた手紙が朗読されたらしい。裁判官の意図は不明だが、被告が涙を流して改心すれば済んだ問題なのか。それとも、論理的ではない判決を書いたことを他のトピックスで隠蔽するための方策か。裁判長は「実刑判決を言い渡したが、あなたの人格を否定したわけではない」とも言ったらしい。そもそも、裁判は罪を裁くところで、人格を裁くところではない。裁判官にそんな権限があるはずがない。この、判決公判全体に漂う安っぽさはなんだ。(「東京地裁の堀江判決を批判する」)

 「裁判は罪を裁くところで、人格を裁くところではない」。その通りである。ところが日本は法と道徳を峻別しない國だから、安手のお涙頂戴の芝居のやうな裁判が堂々と罷り通る。

 保守派言論人の多くはホリエモンを忌み嫌ふが、人格と有罪無罪は全く關係の無い事柄である。かつて松原正氏はロッキード裁判で被告となつた田中角榮元首相を擁護したが、それは元首相の人格を高く評價したからではない。法と道徳を混同する日本社會に警鐘を鳴らさんとしたからに他ならない。

 法と道徳の混同は日本の傳統の惡しき側面であり、惡しき側面は正すべく努力しなければならない。

 西洋的思考に基づいて日本の傳統(の一部)を批判する松原氏が保守派言論人から忌み嫌はれるのは、自然な事なのかも知れない。

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