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2007年2月18日 (日)

法と道徳

 『憲法九条を世界遺産に』を讀了し、感想を書きたいのだがなかなか纏まつた時間が取れない。全然關係ない文章の短い感想を一つ。

 講演の骨子は4つ。①安倍内閣について ②柳澤大臣の發言について ③教育再生會議について ④中國問題について。[中略] ②これについては、20日の「正論」を讀んでくださいとのことだつた。法と道徳とを峻別せよとのこと。/③教育基本法の改正に「祖先への敬愛」が拔けた。それが日本人の價値の中心であるのに、である。それがない中で、どうして「再生」ができるのか。期待はしてゐないとのこと。(「加地伸行氏の講演會」)

 「法と道徳とを峻別せよ」と本氣で主張するのなら、教育基本法に「祖先への敬愛」などと云ふ道徳的規定が入らなかつたと殘念がるのはをかしい。同じ講演の中で矛盾する發言をやらかして平氣な加地伸行はやつぱり馬鹿だと思つた。

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コメント

「外人の勧告者は、憲法を定めても、その法意識の根底に、一つの確たる国民意識の確かな宗教がなくては、法の安定性がないとの思想を主張した。これは一理ある政治哲学である。だが在朝の伊藤博文も、在野の板垣退助等も全く反対だった。だが元田永孚等が、日本独自の方式で、宗教教義には全く干渉しない、国民共通の道徳基準をしめす教育勅語の渙発をおすゝめした。明治天皇は、その要をみとめられて、憲法実施前に道徳的勅語を渙発された。しかしそれは公権力をともなふ詔としてではなく勅語とされた。それは自然に法の道徳的根拠として国民意識のなかに滲透して行くものとなったが、決して法的意味での国教ではない。国教としての宗教教義は、一つも公認されてゐない。たゞ法と道徳との関係を考へる上での、まったく日本独自の方式がとられた。外人の勧告とは全然異なる。」(葦津珍彦「明治、帝国憲法の史的意義」『葦津珍彦選集第一巻』P569より)

投稿: 御参考までに | 2007年3月16日 (金) 15時11分

情報有難う御座います。

 葦津氏は頭の良い人で色々勉強させられますが、やはり右翼と呼ばれる人々は、洋の東西を問はず、自分達の道徳的價値觀を押し附ける爲に政治權力を使つて構はない、使ふべきであると考へがちのやうです。裏返すと個人の自由と云ふものに無頓着であるやうに思はれます。その點、左翼も同じですけれども。

投稿: 木村貴 | 2007年3月17日 (土) 01時11分

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