教育と政治を分離せよ
「君が代のピアノ伴奏命じた校長の命令は合憲」と最高裁判決。
東京都日野市立小学校の99年の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した。5裁判官中4人の多数意見で、藤田宙靖(ときやす)裁判官は反対意見を述べた。 http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY200702270392.html
私自身は「君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている」と主張する原告音樂教諭の「歴史観・世界観」には全然同意しないし、校長によるピアノの伴奏命令が「特定の思想を持つことを強制・禁止したり特定の思想の有無の告白を強要したりするものではない」との多數意見は妥當な線なのだらうとも思ふ。しかし只一人反對意見を述べた藤田裁判官が完全に間違つてゐると言ひ切るだけの自信も無い。藤田裁判官はかう述べたと云ふ。
藤田裁判官は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだと述べた。
そもそもなにゆゑ教育現場を舞臺として幾度と無く違憲訴訟が起るかと云へば、教育、特に義務教育を政府がほぼ一手に取仕切つてゐるからである。違憲訴訟の對象は政府機關に限られる。今囘の問題も東京都日野市立小學校で發生し、被告は東京都教育委員會であつた。
日本の場合、私立も補助金行政を通じて政府に首根つこを押さへられてゐるものの、公立に比べれば學校經營者の裁量は自由だらう。義務教育と大學では事情が異なるが、例へば、私立の國士舘大學や拓殖大學で君が代のピアノ伴奏を教師が拒否して問題になつたと云ふ話は聞いた事が無い。教員が大學の教育方針を承知の上で雇用契約を結んでゐるからだ。「式典の際は君が代を伴奏する事」と云ふ文言を契約書に豫め盛込んでおけば、後から問題になる氣遣ひは無い(私人同士の契約にも政府が理窟をつけて介入する場合があるので安心は出來ないが)。さうさう、今思ひ出したが、ミッション系の大學や小中學校で信教の自由が問題になつた事も無い。但し眞の自由を得るには、税金で賄はれる學校では駄目だ。
教育方針を完全に自由にすれば、君が代は生徒に絶對歌はせないし、日章旗は絶對に掲げないと云ふ小中學校も出て來るかも知れない。一向に構はないと思ふ。それでも保護者の信頼を得るのであれば隆盛を誇つて行くだらうし、駄目な學校であれば潰れるだけの話である。逆に、幾ら君が代斉唱や日章旗掲揚に熱心でも、肝心の知育が疎かな學校は相手にもされまい。
今囘の判決が專門家からみて妥當なのか不當なのか、私には分らない。しかし教育を政治の手から取戻さない限り、不毛な法廷闘争は何時までもあちこちで繰返され、生徒とその親達は迷惑し續ける事だらう。
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