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2007年1月 1日 (月)

謹賀新年

謹賀新年

 その留守先生とは、九月に御會ひし、その講演會に對しての發言が、このブログでいろいろと反感を呼んだやうであるが、それもまた良い學習の機會であつた。

 不正確・不適切な表現を指摘しておきます。

 (1)「その講演會」とは誰の講演會なのでせうか。文章の流れからは「留守先生の講演會」と解釋するのが自然ですが、それでは後に續く記述と合致しません。前田さんの御發言が物議を醸したのは、留守先生の講演についてではなく、同時に行はれた松原先生の講演についてなのですから。

 (2)「このブログで」とありますが、不正確な表現です。例へば、私(木村)は前田さんを大いに批判した一人ですが、前田さんのブログに一度もコメントを投稿してゐません。すべて自分のブログに書いてゐます。

 (3)「反感を呼んだ」とは議論の相手を貶める不適切な表現です。これではまるで、前田さんを批判した人間が單に感情的な理由でさうしたかのやうな印象を讀者に與へて仕舞ひます。御正月らしく、フェアで爽やかな文章をお願ひしたいものです。

 【推敲例】
 その留守先生とは九月の講演會でお目にかかつた。同時に行はれた松原正先生の講演についてこのブログで發言したところ、いろいろと御批判を賜つたが、それもまた良い學習の機會であつた。

 ついでにもう一つ。

 昨年は、心に殘る小説といふものがなかつた。あまり小説を讀まないのであるから仕方はないが、觸手が伸びる小説を書いてほしいものである。

 新潮國語辭典に「觸手が伸びる」と云ふ表現はありませんが、「觸手を伸ばす」は「野心をいだいて徐々に行動にうつす」意味であり、引用した文章には適さない表現です。この場合、「食指が動く」とすべきです。同辭典に據ると、「食指が動く」は「食慾が起こる。あるものをほしがる心が起る」と云ふ意味で、文意にぴつたりです。

 今年も非論理的な主張に對して假借無き批判を續ける所存です。皆樣、どうぞ宜しくお願ひ致します。

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コメント

Mせんせい、武士道に關する「論」とか松原先生に關する「論」とかを御書きになるさうです。何を論じてもあのせんせい、結局は「自分語り」になるので、あんまり期待出來ないのですが、社交辭令として「期待してゐます」位は言つておくべきですかねえ。

投稿: 野嵜 | 2007年1月 1日 (月) 19時35分

別に「自分語り」でもやりたければ勝手にやれば良いんですが、書いた事がダイレクトに自分に返つて來るから厄介なんですよね。M田せんせいが「ブログ」で書いた松原先生論、あれ、相當意地惡く松原先生を描いてゐるのですが、その「意地惡く描く」M田せんせいの書き振りを論じて「M田せんせい論」を成立させられてしまふと云ふ事、あのせんせいはわかつてをられるんでせうかねえ。

投稿: の | 2007年1月 1日 (月) 19時46分

喜六郎せんせいも、何とか信者のメンタリティを考察するとか言つてをられました。となれば當然、喜六郎せんせいのメンタリティも考察對象となるのですし、喜六郎せんせいのシンパたちのメンタリティも考察對象となる訣です。喜六郎せんせいにも期待しておきませう。期待はするだけだつたらタダですからね。

投稿: 野嵜 | 2007年1月 1日 (月) 19時59分

明けましておめでたうございます。今年も木村さんの「仮借なき批判」、楽しみにしてをります。

今年辺り松原先生の新刊が出て欲しいですね。

投稿: 梅沢 | 2007年1月 1日 (月) 20時08分

明けましておめでとうございます。
新年早々舌鋒鋭い議論に目が覚めました。
文章の論理性や正確さに関する指摘は、正鵠を得ていると思います。ただ適切さを、どこまで論争相手の文章に求めるかは難しいところだと思います。
「物議を醸す」という表現も、議論を招くという表現に比べれば、多少とも相手方の発言に負の印象を与えておりますよね。これは十分許容されるべき範囲内だと考えますが。

投稿: 松井 | 2007年1月 1日 (月) 20時34分

>ただ適切さを、どこまで論争相手の文章に求めるかは難しいところだと思います。

 自分への批判を「反感」と表現し、論爭相手が感情的であり非論理的であると仄めかしても、場合によつては許されるでせう。それは相手の批判が單なる感情論である事を既に論證してゐる場合です。しかし前田さんの場合、私の主張に何ら反論していらつしやらないのですから、年頭挨拶のどさくさに紛れて「反感」などと決附けられては困る譯です。萬が一、前田さん自身が「自分はもう十分に反論した」と考へていらつしやるのであれば別ですが。

>「物議を醸す」という表現も、議論を招くという表現に比べれば、多少とも相手方の発言に負の印象を与えておりますよね。

 新潮國語辭典ばかり持出して恐縮ですが、「物議を醸す」は「世間の論議を引き起す」事ですから、本來の意味からすれば特に負の印象があるとは考へませんでした。とは云へ、我國には議論を引き起す事自體が怪しからぬと云ふ社會意識があつて、その爲に「物議を醸す」と云ふ表現にも惡い印象がつきまとつてゐますから、「議論を招く」の方が良かつたかも知れませんね。

投稿: 木村貴 | 2007年1月 1日 (月) 21時19分

 野嵜さん、梅沢さん、松井さん、明けましておめでたう御座います。新年早々、皆さん結構ヒマですね。一番ヒマなのは私ですが。今年も宜しくお願ひします。

投稿: 木村貴 | 2007年1月 1日 (月) 21時33分

木村さん、七草も過ぎて仕舞ひましたが、明けましておめでたう御座います。本年も宜しくお願ひ致します。

早速ですが、明日10日、此方から荷物をお送り致します、松原先生と私からの「お年玉」と言ふ事でどうかお受取り下さい。


投稿: 菊地 | 2007年1月 9日 (火) 17時38分

 菊地さん、「お年玉」屆きました。まだ中身を拜見してゐませんが、大いに期待してゐます。器を御返送致しますので少々お待ち下さい。有難う御座いました。先生に宜しくお傳へ下さい。

投稿: 木村貴 | 2007年1月11日 (木) 12時23分

木村さん、お返事ありがたう御座います。

器は返却には及びません、先生が「これにコピーして木村さんにも送つて下さい」と、私がお預かりしたものです、そのままお使ひ下さい。因みに、まだ500ギガ分くらいありますが、今囘のは私が勝手に抜粋しました。

投稿: 菊地 | 2007年1月11日 (木) 15時18分

 うう、どうも有難う御座います。

投稿: 木村貴 | 2007年1月12日 (金) 05時02分

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