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2007年1月23日 (火)

いぢめ論批判に再び應へる

木村貴氏のいじめ論を再び検証


 木村氏は、「馬鹿だらうと優秀だらうと人間はいぢめが好きな動物ですからいぢめが無くなるとは思ひませんが」と認識しているにも関わらず、「悪質ないじめをやらかす不良」と書いてるわけなんですが、悪質ないじめをやらかすのは、何も不良に限った事じゃあない。/学校やPTAにも評判の良い優等生が悪質ないじめに走ることは充分にあり得る話なのである。

 私は惡質ないぢめをやらかす子供全體を「不良」と呼んだのであつて、その中に「(惡質ないぢめに走る)優等生」も含んでゐます。誤解無きやう。

 さらに木村氏は、いじめられっ子は転校させて逃げればよいという考えを持ってるようだけど、転校先でまたいじめに逢う可能性は無いとはいえない。/前にも書いたけど、人間関係の生じる所には必ずいじめが生じる可能性があるのである。/何が言いたいのかというと、転校という手段は、その場しのぎにはなっても根本的な解決手段にはならないのである。

 私はいぢめを無くす「根本的な解決手段」なんぞ書いた覺えはありません。「その場しのぎ」で良いんですよ。だつて、學校に通ふ期間なんて小中高合はせても高々十二年でせう。それに、私はいぢめられる側が轉校する選擇肢だけでなく、いぢめる側を退學させる選擇肢についても書いた筈です。兩者を活用すれば、少なくとも現在に比べれば十二年間を乘切りやすくなります。勿論、廣い意味での「いぢめ」は一生續くでせう。例へば、人が脅迫メールに苦しんでゐる時に、「気の毒だなとは…あんまり思わないけど、こういったことは嗜虐趣味者ゆえの宿命だとも言える」なんて書かれたり。私は他人を理窟で攻撃した事はあるけれども、脅迫メールで攻撃した事は一度もありません。味噌も糞も一緒にするなよこの馬鹿野郎と云ひたいところですが、ぐつと我慢しませう。

 喜六郎さん曰く、「人間関係の生じる所には必ずいじめが生じる可能性があるのである」。「必ず…可能性がある」とは奇妙な日本語ですが、云はんとするところは正しい。ところで、松原正曰く、戰爭は無くならない。喜六郎曰く、いぢめは無くならない。……喜六郎さんはひよつとして松原信者でせうか。

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コメント

可能性の話をしだしたら議論は際限無く続くのである。新たに問題を産出するだけである。場当たり的解決策でも実際的方法論を考える木村氏の方が「こういう可能性もある!ああいう可能性もある!」と貧困な想像力を逞しくするよりまともである。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年2月16日 (金) 02時03分

可能性の話をしだしたら議論は際限無く続くのである。新たに問題を産出するだけである。場当たり的解決策でも実際的方法論を考える木村氏の方が「こういう可能性もある!ああいう可能性もある!」と貧困な想像力を逞しくするよりまともである。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年2月16日 (金) 02時04分

酔って重複した(笑)。保険の先生が「いくら避妊しても妊娠の可能性はあり得る」などと口走ったら生徒は余りの愚かしさに開いた口が塞がらないであろう。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年2月16日 (金) 02時18分

酔って重複した(笑)。保険の先生が「いくら避妊しても妊娠の可能性はあり得る」などと口走ったら生徒は余りの愚かしさに開いた口が塞がらないであろう。

投稿: 森英樹(本物) | 2007年2月16日 (金) 02時18分

喜六郎のやつてゐる事が苛めの典型。

投稿: f | 2007年2月24日 (土) 21時44分

 「松原信者」とか「ノズラー」とか。

投稿: 木村貴 | 2007年2月25日 (日) 13時43分

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