一無名人氏の言行不一致
日出づる國の一無名人こと中村義勝さんが「しばらくネットから離れ」るさうなので、改めて苦言を呈しておきます。
協議会がをかしいと判断するなら躊躇せず復帰後再開しなければ嘘だが、例へば私はブラウザはFirefoxを利用してゐて勘違ひしてゐたのだが、協議会の旧サイトのトップページは縦書き表示であつたが、IEでは正しく表示されるもののFirefoxでは正しく表示されされなかつた。新サイトが立ち上げられた時、Firefoxでは左横書き表示。当然、IEでもさうだらうと思ひ込んでゐた。御存じの様に野嵜氏は縦書きを重んじない人である。しかも騒動がなければサイト作成を任せられてゐたらしいから、彼の思惑が反映してゐるのか、彼と同様な意見を持つ幹部が少なくはないのかと私は心中穏やかならぬものを抱いてゐて、そのうちブログで取り上げようと思つてゐたのだが、たまたまIEで観たら縦書き表示されてゐた。私は安堵した。協議会は縦書きも守るべき文化だと認識してゐるのである。この「発見」以前、親王殿下御誕生の折、協議会はお祝ひコメントを書くのか注目してゐた。書かなければ批判する心算であつた。縦書きも重んぜず、親王殿下御誕生のお祝ひコメントも書かぬとあつては、私が望む協議会ではない。
實務を知つてゐる人間の一人として申上げると、國語問題協議會のウェブサイト(「傳言板」ではない本サイト)は刷新に伴ひ、ウェブ文書に於ける「正統表記」を極力遵守する方針を立ててゐます。國語に於ける「正しさ」を主張する組織は當然、ウェブ文書に於ける「正しさ」も尊重すべきだからです。随つて縱書き指定が可能なインターネットエクスプローラー(IE)については縦に讀めるやうに設計してゐますが、縱書きに對應してゐない他のブラウザ(中村さん御使用のファイアフォックス、私が日常使用するオペラ、或いはネットスケープ等)向けに無理矢理縦に讀ませるやうな「正しくない」記述は敢へてしてゐません。そのやうな不自然な作りでは、「Firefoxでは正しく表示されされなかつた」と云ふ中村さんの經驗が物語る通り、閲覽環境によつて肝腎の内容が判讀出來なくなり、本末顛倒でせう。
中村さん同樣、縱書き表示は日本語の生理に適した表記だと私も思ひますが、同時に、一定の技術的制約の下に於いては犧牲にしてもやむを得ない特性だとも考へてゐます。上に述べたやうに、あらゆるブラウザで縦に見えるやうな不自然かつ醜惡なhtml文書を公開する事は、表記の「正しさ」や美を重んずる協議會の主張に反しますし、實務的にも「讀めない」文書を公開して仕舞ふ事になりかねない。IE以外では潔く横書きに甘んずるのが現在の技術環境では最善の選擇で、これには中村さんも同意されるでせう。
そもそも、どうしても縱書きで讀みたい讀者にはそうする手段があります。まづファイアフォックスやオペラでなくIEを使ふ。或いは縱書き表示ブラウザの「影鷹」を使ふ。又はワープロソフトに複寫して縱書き表示する。縱書きに至上價値を見出す中村さんのやうな方は、これらのうちどれか一つの手段を撰んで戴ければ濟む話なのです。
ところが――ここからが聲を大にして述べたいところです――中村さん御自身はIEでなくファイアフォックスを使つてゐて、だからIEで縱書き表示される事に氣附かなかつたと。一體全體、どう云ふ事ですか。縱書きがそれほど大切な日本の傳統だと信ずるのなら、意地でも縱書き表示されるブラウザを使ふべきではありませんか。自分は横書きブラウザの技術的利便を十分に享受しつつ、他人には傳統文化を守るため横書きは許さぬと云ふ。どうかしてゐるとお思ひになりませんか。しかも中村さん自身のブログは完全な横書き表示です。縱書きが大切だと信ずるのなら、技術的制約から横書きしか出來ないブログなんぞ手を出さず、縱書き可能な「ホームページ」で文章を公開すべきではありませんか。誰の眼にも明白な言行不一致。こんな人が主張する傳統だの文化だの、私には全く信用出來ません。
だがそれは杞憂であつた。これは木村論の最後で書かうと思つてゐたのだが、かういふ事態となつたから今書く事にした。何故、正字正仮名遣を守るのか、野嵜氏と私とでは根本的に違ふ。論理的だから守るのではない、伝統文化だから守るのである。皇統の男子継承も同じ、元号もまた然り、これ等とパソコンの表示記号なんぞと同等にあつかへるわけがない。正統表記も皇室も元号もその他の伝統文化も掛け替へのない文化だから守るのである。
「伝統文化だから守る」つて中村さん、上で書いた通り、あなたは口先で大切だと主張する縱書き表記を全然實踐してゐないではありませんか。恥を知れと云ひたい。
論理的である事と傳統的である事は兩立可能です。特に文字言語は表記に於いて保守的である事が同時に合理的である場合が全てだと云へます。だから論理性を強調したからと云つて表記に於ける國語の傳統が損はれる氣遣ひはありません。同樣に縱書き表記も國語の生理に最適な表記ですから、政府が横書きを強制でもしない限り、滅びる心配はありません。事實、かなり前から官廳や企業で横書き文書が氾濫してゐるにも關はらず、書籍・新聞・雜誌に横書きは殆どありません。政治が妙な介入をしない限り、言語は變化と不變を共に含む總體として十全な進化を遂げるものです。だからこそ政府による「新かなづかい」の押し附けや漢字制限に反對すべきなのです。
休んでゐる間に、いろいろお考へになるが宜しいでせう。復歸後は縱書きサイトを期待してゐます。それでは。
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