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2006年11月14日 (火)

教育は政治の仕事に非ず

 いぢめで自殺する子供相次ぐ。

 何かと云ふと惡者扱ひされる塾だが、塾でのいぢめが原因で子供が自殺したと云ふ話は聞いた事が無い。この事から分るやうに、教育は「官」でなく「民」の仕事なのだ。西洋流に云へば「皇帝の物」でなく「神の物」なのだ。教育を民主政治なんぞに任せるから融通が利かず、惡質ないぢめをやらかす不良を退學させる事も出來ない。いぢめられる子供が自由に轉校する事も出來ない。

 愛國心がどうとか子供の人權がかうとか云ふ以前に、「教育基本法」などと云ふ代物を國會で議論してゐる事自體、異常である。政治に人間を育てる事は出來ない。文科省は勿論、公立學校も小學校を含め全廢し、全て私立にすべきだ。私學は矜持を以て補助金を返上すべきだ。政府が各種のアメとムチを握つてゐる現状では難しいのかも知れないが。

 經濟的問題は、學費を拂へない家庭に政府が直接補助金を出せば解決するし、その方が税金の再配分より餘程安上がりになる筈だ。いや出來れば政府の紐附きの金なんぞでなく、篤志家の寄附が望ましい。政府の判斷は常に劃一的だが、篤志家は個人だから樣々な價値觀から子供を支援する事が出來る。その爲には篤志家の税金を輕くする必要がある。

 ……と云ふやうな論議をして呉れれば國會中継をもつと熱心に視るのだが。しかし政治の本能的慾求は自らの權限を膨張させる事だから、そんな日は永久に來ないかも知れない。

 政府が本當に子供の自殺を減らしたいのなら、今すぐ教育から手を引く事だ。だが政府にそんな覺悟があり得る筈もない。文科省の役人も公立校の教員も、大半は親方日の丸の安定を手放す氣は無い。かくして表面上だけ子供を慮る振りをした議論が果てしなく續くのである。

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