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2006年11月17日 (金)

「ミニコミ」のどこが惡いか

 前田嘉則さんが譯の分らない事に腹を立てていらつしやいます。

  『諸君!』11月號の「本の廣場」に、留守晴夫先生が自著『常に諸子の先頭に在り』の紹介を書いてゐる。この本は、多くの人に讀まれるべきであるし、『諸君!』が本書を紹介しようとすることを喜んだが、中にひとつ不愉快なことがあつた。/それは、本書がもともと『月曜評論』といふ月刊誌に連載されたものであることを、「あるミニコミニ[ママ]連載した」と書いてゐたことである。『月曜評論』と明記することに何か不都合でもあるのだらうか。私は、留守先生が「あるミニコミ」などと書いたことをいぶかしく思つたし、憤りさへ感じた。

 この文章から想像するに、前田さんの立腹の原因は以下の二つのうちいづれかであると思はれます。

 (1)初出媒體の固有名詞を出さず匿名にする事は不適切である
 (2)初出媒體の固有名詞を出さない事は構はないが、それを「ミニコミ」と書く事は不適切である

 まづ(1)についてですが、文脈上、初出媒體に特別の意味がない限り、「ある雑誌」「ある新聞」等で濟ませる事に何の問題も無いどころか、濟ませる事こそ正しい文章作法であります。書評欄の讀者は『常に諸子の先頭に在り』の初出媒體がどこかと云ふ事なんぞでなく、著作の内容に關心があるのですから、書下ろしでなくどこかの雜誌に連載したものだと云ふ事實さへ分かれば十分でせう。不要な事柄に關する詳しい情報は讀者にとつてノイズでしかありません。もし「月曜評論」と云ふ名を出せば、その雜誌を講讀したいと思ふ讀者を慮つて「今は廢刊となつた」と云ふ文言も加へざるを得ず、ノイズがますます増えて仕舞ひます。本質に關はらない事柄については極力省略するのが正しい文章作法であります。特に文字數の限られた原稿の場合は。

 では(2)はどうでせう。「月曜評論」はどう見てもマスコミではありません。ミニコミです。ミニコミをミニコミと書く事のどこに不都合があるのでせうか。世間には數は少なくとも立派なミニコミがあり、「月曜評論」はその一つでした。前田さんの文章を拜讀する限り、「ミニコミ」をまるで差別語のやうに考へていらつしやるとしか思へないのですが、そのやうな發想こそ「マスコミは立派だがミニコミは駄目だ」と云ふ差別意識に基づくものであると愚考致します。黒人を黒人と呼ぶ事が差別でないのと同樣、ミニコミをミニコミと呼んでも差別ではありません。

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コメント

留守晴夫教授の自著紹介文は『諸君!』に正字・正かなで掲載されました。私の記憶では同誌としては初めてのことです。編輯長の英斷に敬意を表したいと思ひます。これで文藝春秋の發刊する同誌はやうやくにして「ミニコミ」誌竝のレヴェルに上昇したのか、あるいは轉落したのでせうか(笑)。

投稿: 渡邊 建 | 2006年11月17日 (金) 13時29分

 文春の場合、別の問題があります。普段、讀みたい記事が全然無いと云ふ事です。

 ……文春本誌でなく諸君!でしたね。まあ最近はどちらも同じやうなものです。

投稿: 木村貴 | 2006年11月18日 (土) 02時09分

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