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2006年10月26日 (木)

アンチ松原クオリティ

 「喜六郎の小屋」より。

謝れ!夏目漱石に(ry 小説の物語の展開上の不備と論語の誤解釈を同列に論じる木村氏の知的センスには恐れ入る他ないですね。 「人間通になる読書術」は小説ではないし、ましてや松原さんの誤謬は「物語の展開上の不備」などではない。 こういう、同列に論じられないものを同列に論じ、あたかもそれが正しい認識であるかのように喧伝する、それが松原信者クオリティ。

松原さんの誤謬というのは、誤字・脱字というような可愛いものではありません。
松原さんは「人間通になる読書術」の中で、山本七平の論語本を批判しているわけですが、山本の論語解釈を批判している人が、論語の初歩的な(呉智英氏によれば、高校漢文程度の学力を疑われるほどのミスらしい)誤読を犯してはまずいと思うのですがね。
木村氏が言うところの「質的杜撰」ってやつではないでしょうか?

 喜六郎氏は日本語が讀めないやうなので再掲します。

 [前略]松原氏の誤謬は、主張の本質に關はる質的杜撰ではない。孔子は食事こそ忘れなかつたかも知れないが、「時には激しく怒つた男」である事は、それこそ「論語」に明らかではないか。天下に道が行はれぬ事を憤り、講義中に晝寢をしてゐた宰予を叱責し、顏淵の若い命を奪つた天を恨んで叫んだ。「怒りを遷さず(八つ當たりをするな)」とは云つたが、怒りそのものは否定しなかつた。随つて「『人間通になる読書術』 は駄本ということになる」と云ふ喜六郎氏の主張は誤りである。

 ああ樂で良いな。かう云ふブログなら毎日更新出來るよ。

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