« アンチ松原クオリティ | トップページ | 人間に議論は可能か »

2006年10月26日 (木)

論爭は修行の場

 あまカラさん、再びコメント有り難う御座います。

 価値観を「押し付ける」というほどのものじゃないんですが、木村さんとの考え方の違いを明確にするために書いただけです。私はそう性急に正邪を判定しようとは思いません。

 それはまたまた奇遇です。私もあまカラさんとの考へ方の違ひを明確にするために、かうして書いてゐるのです。喜六郎氏への批判も同樣の目的から書いたものです。相手から納得の行く反論を受ければ、自分の「正邪の判定」を修正する積もりですし、インターネットで物を書き始めて以來、實際さうして來ました。あまカラさんがどうして私の事を「性急に正邪を判定」する人間だといとも「簡単」に「判定」出來るのか分かりません。やはり私の不徳の致すところなのでせう。

 木村さんが「つまらない喧嘩」をしていると思っていることは事実ですが、別に喜六郎なる人物などそもそも相手にしなければいいじゃないか、という程度の意味です。

 自分の考へ方を明確にするために書いてゐるのですから、誰を相手にしても良いと思ひますよ。今囘も論語について勉強できましたし。

 まあこのへんでやめておきます。

 またいらつしやつて下さい。

|

« アンチ松原クオリティ | トップページ | 人間に議論は可能か »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 論爭は修行の場:

« アンチ松原クオリティ | トップページ | 人間に議論は可能か »