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2006年10月 9日 (月)

要約は正確な筈ですが

 前田さん、再びコメント有り難う御座います。しかしどうも良く解りません。

 私の引用は正確ですが、要約は違ふと思ひます。松原先生の講演の要約ほど正確ではありませんね。

 私は前田さんの一連の發言を 「こんな愛も希望も無い話をすべきでない」と要約しましたが、前田さんは「違ふ」「正確ではありません」と仰る。しかしそれは筋が通りません。引用から自明だと思ひましたが、仕方無いので諄いのを承知で書く事にします。

 まづ(8)「松原先生は知識人に語るべきことを庶民に傳へてゐる」を(8’)「松原先生は庶民に語るべきでないことを庶民に傳へてゐる」と書替へても同義です。前田さんは今囘の議論で「知識人に語るべきこと」=「庶民に語るべきでないこと」と云ふ立場ですから。次に(8’)をさらに(8’’)「松原先生が庶民に傳へてゐることは庶民に語るべきでないことである」と書替へても同義です。「魔女は毒林檎を白雪姫に渡した」を「魔女が白雪姫に渡したのは毒林檎である」と書替へても同義であるのと同樣です。

 さて(8’’)のうち「松原先生が庶民に傳へてゐること」を「こんな愛も希望も無い話」と論理的に同義として書替へる事は可能でせうか。可能である事を以下示します。まづ(1)「研究者でも出版社の編輯者でもない私たちに、漱石の誤讀のされやうを批難してもあまり生産的ではない。誠實に生きてゐる人人を勇氣附ける[中略]言葉があつても良いではないか」のうち、「漱石の誤讀のされやうを批難」とは正しく(8’’)の「松原先生が庶民に傳へてゐること」に相當します。一方、その松原先生の話に對し、前田さんは「誠實に生きてゐる人人を勇氣附ける[中略]言葉があつても良いではないか」とお書きになつてゐます。「あつても良いではないか」は「無い」と同義です。すなはち「松原先生が庶民に傳へてゐること」は「誠實に生きてゐる人人を勇氣附ける言葉が無い」と言替へる事が出來ます。そこで(8’’)の「松原先生が庶民に傳へてゐること」に「誠實に生きてゐる人人を勇氣附ける言葉が無い話」(文章構成の都合上「話」を附加)を〝代入〟しませう。すると(8’’’)「誠實に生きてゐる人人を勇氣附ける言葉が無い話は庶民に語るべきでないことである」となります。不要な形容句を略し、「庶民に語るべきでないことである」を簡略に「すべきでない」に書替へ、(8’’’’)「人人を勇氣附ける言葉が無い話はすべきでない」とします。ここまで宜しいでせうか。

 後は「人人を勇氣附ける言葉が無い話」が「愛も希望も無い話」と論理的に同義になり得るかどうかです。なり得る事は明らかです。前田さんは今囘の議論で「勇氣」と「愛」「希望」を竝列的に、松原先生の話に缺けてゐる價値として記述してゐるからです。また、假に松原先生の講話に愛や希望が有るとしたら、そもそも前田さんが今囘のやうな批判をお始めになる理由がありません。そこで(8’’’’)の「人人を勇氣附ける言葉が無い話」を「愛も希望も無い話」で置換へます。すると(8’’’’’)「愛も希望も無い話はすべきでない」となります。松原先生の當日の講話を指す意味の「こんな」を加へ、助詞「は」を「を」に置替へる事に異論は無いでせう。よつて、前田さんの一連の發言から「こんな愛も希望も無い話をすべきでない」と云ふ要約を導く事は論理的に正しい。以上、證明終。

 さて前田さんにお尋ねしたいのは以下の點です。

 (Q1)上に示した通り、私の要約は論理的に正確な筈なのですが、それを「違ふ」「正確ではありません」と仰つたのは何故でせうか。單なる主觀でなく客觀的な根據をお示し下さい。
 (Q2)私の要約が不正確だとすれば、前田さん御自身による正しい要約はどうなりますか。御自身の一連の發言と矛盾の無い要約をお示し下さい。
 (Q3)私の要約と前田さん御自身による要約との相違は、今囘の議論を進める上で無視出來ぬほど論理的に大きな意味を持つものでせうか。持つとしたらそれは何でせうか。

 我ながら喧嘩腰の申し譯ない文章であるとは思ひます。しかし眞劍に討議してゐる以上、議論の核心に關はる部分で、あなたの要約は不正確ですと理由も示さず宣言されただけで引き下がる譯には行きませんし、後々議論が噛み合はなくなる恐れもあります。お答へ戴ければ幸ひです。

 他にも「愚弄」の件、「庶民の代理人」の件など書くべき事はありますが、日を改めます。一點だけ。

>ところで、今私は、木村さんと何を求めて議論をしてゐるのでせうか。分からなくなりました。

 前田さんが「松原先生は知識人に語るべきことを庶民に傳へてゐる」とブログの最新記事でキーワード「知識人・庶民」を改めて持ち出されたので、私なりにそれらのキーワードについて議論を深めようとしてゐる積もりです。

>ニヒリストの保守主義とは、いつたい何を保守するのでせうか。そこら邊りを議論したいですね。

 それも結構ですが、御自分が持ち出されたキーワードについてもう暫くしつこく議論しても良いのではないでせうか。

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コメント

横から失礼します。

>「知識人に語るべきこと」=「庶民に語るべきでないこと」
は、「庶民に語るべきこと」=「知識人に語るべきでないこと」?
>「こんな愛も希望も無い話をすべきでない」
は、「愛と希望の有る話をすべき」?

「(知識人の前でも)愛と希望のある話を語って欲しい。」と、要約しました。
しかし、希望はともかく、「愛」そのものは語れないのだから、愛する以外に方法はない。松原さんは、強烈な「愛し手」だと思うのですが。

世留

投稿: 世留 | 2006年10月 9日 (月) 17時18分

 どうも有り難う御座います。

>「(知識人の前でも)愛と希望のある話を語って欲しい。」と、要約しました。

 恐らく前田さんは世留さんの穩當な要約の方に滿足されると思ひますが、一方で、前田さんは松原先生の漱石批判について「(講演會の)主題にするのはどうかと思ふ」とも仰つてゐます。「どうかと思ふ」は表現が婉曲的なだけで、實質的には「すべきでない」と同義です。だから「愛も希望も無い話をすべきでない」と云ふ私の要約は正確であり、それを前田さんが不正確と決め附けるのはをかしいと申し上げたのです。

 私が何でこんな細かい事に「マジ切れ」してゐるかと云ふと、前田さんが他人の批判を主觀的に否定されるばかりで、その根據をさつぱりお擧げにならないからです。私が客觀的な根據を擧げて、前田さん御自身にその意圖は無くても結果的にそれは「庶民」を愚弄する事になりますよ、それは前田さんのそもそもの立論に無理があるからではないですか(ここまで馬鹿丁寧に明記はしてゐませんが)と大汗かいて縷々説いても、前田さんは何も客觀的な根據を示さず、「『愚弄』」などしてゐません」と仰つただけでした。そして愚弄してゐない事は「拙ブログでも、當日配付した資料でも御分かりいただける」と云ふ事でした。分かりません、さつぱり。だつて私はその同じブログの文章を分析して、前田さんは結果的に「庶民」を愚弄してゐると云ふ結論を導いたのですから。

 前田さんは「愚弄」の件について、かうもお書きになりました。「辯解は、もうしません。私が庶民を愚弄したといふ結論を撤囘していただく必要もありません。ただ、私はしてゐない、とだけここに書いて、この件は終はりにします」。辯解なんぞでなく、反論をして貰ひたいのですよ。なぜ私が自分なりに考へ拔いて提出した主張をいとも簡単に撤囘しなければならないのですか。本人が「私はしてゐない」と一言書きさへすればそれが客觀的事實として通用するなどと云ふ馬鹿げた話は聞いた事がありません。もしも前田さんが檢察官だつたとして、侮辱罪の容疑者が「私は侮辱してゐない」と一言云ひさへすれば、客觀的證據が揃つてゐても無罪放免を命じるのでせうか。

 福田恆存や松原先生が「言論は空しい」と仰つた意味が分かる氣がします……おつと勝手に興奮して演説をぶつて仕舞ひました。どうも濟みません。

投稿: 木村貴 | 2006年10月 9日 (月) 21時32分

木村様

木村さん、ご丁寧に有難うございます。感激しております。

知識人が自らを庶民と区分するのは、驕りか、卑屈か、慇懃か他同様、自意識過剰だと思っています。庶民は、知識人をそんなに意識してはいない。
庶民の反対語はなんでしょう?知識人では多分ないと思います。
前田氏が、木村さんに答えられないのは、「愛」を持ち出しているからです。「愛」そのものと、「愛する」ことと、「愛を語る」ことと、「愛をもって」行なうことと、他同様、混同しております。
語りえぬことを語ろうとしているのですもの。
まぁ、前田氏は、松原さんを出汁にして、愛を考えていらっしゃるわけです。キリスト者として。
(ちょっと、ボランテアの時間を小学校か中学校かのカリキュラムに入れよう、と言う、曽野綾子さんと同じような錯誤に陥っているような気がします。)
松原さんは、稀な「愛し手」です。そこが肝腎で、「愛し手」を抜きに松原さんを語るのであれば、語らない方がいいでしょう。
だって、そうでしょう。漱石に難癖つける松原さんに作者と登場人物の距離を言ってみたところで、何か言ったことにはならないのですから。

世留

投稿: 世留 | 2006年10月10日 (火) 13時33分

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