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2006年10月11日 (水)

理由無き反抗

 前田さんはなぜ「庶民」の代理人のやうな顏が出來るのですか、と云ふ私の問ひに對し前田さんはコメントでかう返答された。

 私が庶民で、庶民の一人として書きました。木村さんも庶民として、私の考へを否定するのでせう。それだけのことではないですか。見解が違ふといふことです。それで良いのではないでせうか。[中略]/木村さん自身もあの會場にゐる人すべてに尋ねたわけではないでせうから、私の考へが庶民を愚弄したものかどうかは分かりませんよね。/私は、私の感じたことを庶民を代表して言つてゐるのではありません。一人の庶民として、そして講演會を御手傳ひした者として、どうしたら多くの人に來てもらへるかを考へて書いたまでです。

 ちよつと考へるだけでも多くの疑問が湧いて來る。 

(1)前田さんは福田恆存に關する著作があり、文學に關する多數の論文をお書きになり、「北村透谷研究會・日本演劇學會・日本カウンセリング學會」等に所屬し、「早稻田文學」を講讀していらつしやる。さてこのやうなプロフィールを持つ人は「知識人」だらうか「庶民」だらうか。極めて恣意的な定義でもしない限り、「庶民」に入れるのは無理だと思ふ(なぜ思ふのか根據は云はない。私がさう思ふからさうなのである)。

(2)前田さんは「研究者でも出版社の編輯者でもない私たちに、漱石の誤讀のされやうを批難してもあまり生産的ではない」(強調木村)と、「私たち」と云ふ言葉を主語にしてゐる。「私」ではない。これはどう見ても「庶民の代表」と云ふ意識で書いた文章である(なぜさうなのか理由は云はない)。

(3)私、木村は「庶民」として何かを云つた事など一度も無いのに、何で前田さんは「木村さんも庶民として、私の考へを否定するのでせう」などと、他人の動機をとんでもなく不正確に「要約」して仕舞ふのだらう。そもそも前田さんに「庶民」の定義すらまだ説明して貰つてゐないのだから、「庶民」の立場で何か云へる道理が無い。

(4)福田恆存と渡部昇一は同じ知識人で、見解が違ふ。それだけのことではないですか。あれ何か變な文章だな(どこが變かは説明しない)。

(5)「庶民」の中には樣々な好みがあると云ふ當然の現實を無視して、「庶民にこんな話は不向きだ」(この「要約」は大丈夫でせうか)などと開明君主よろしく決め附けるのは、立派な大人を「愚弄」してゐるとしか表現出來ない(説明省略)。さらに前田さんは「あの會場にゐる人すべてに尋ねたわけではない」から「私の考へが庶民を愚弄したものかどうかは分かりませんよね」と平然と仰るが、「知的誠實」よりも「愛」を強調する方とは思へない御發言である。たとへ一人でも愚弄する恐れがあるのなら、そのやうな發言は慎むのが「愛」ではないだらうか(と思ふのだが理由は云はない)。

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