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2006年10月27日 (金)

あまカラ氏の言行不一致

 しつこいやうですが、あまカラさんとの「考え方の違いを明確にするために」もう少しく書きます。

 まづあまカラさんの言葉をもう一度引用します。

 木村さんにとっては物事の「本質」と「瑣末(本質でないもの)」というのが簡単に分けられる、あるいは簡単に判別できるとお考えなのですね。/坪内祐三についてトリビアばかりなどと以前書かれていたのもそういう考え方に基づいてでしょう。ただ少なくとも私はそう考えておりません。両者は表裏一体で交じり合っているかもしれない、少なくとも簡単に分けられるものではないと考えております。人間にとって何が大切で何がどうでもいいかはさほど簡単にわかるものではない、ということです。

 物事の本質と瑣末は「さほど簡単にわかるものではない」とあまカラさんは仰る。そして「私は[木村のやうに]そう性急に正邪を判定しようとは思いません」とも仰る。しかし少なくも私の眼には、あまカラさんが「性急に正邪を判定しない」と云ふ堅い信念をお持ちだとはとても見えないのです。以下、その根據を申し述べます。

 今年四月十五日、私は「あまカラ氏の誤解」と云ふ文章を書きました。詳しくはそれを讀んで戴きたいのですが、要するにあまカラさんは、講演に於ける松原正氏の「北朝鮮による拉致問題などどうでもいい」と云ふ發言だけを捉へて、御自分のブログ(現在は消滅したやうです)で「まあ、聴衆向けのリップサービスであろうし、大目にみたいところではあるがその神経を疑わざるをえない発言であった」と酷評されたのです。

 しかし松原氏の日頃の主張を知つてゐれば分るやうに、この日の發言は、二十何年も前から問題になつてゐた拉致について、騷げるやうな空氣になつて初めて騷ぎ始める我が國民性の輕佻浮薄、さらにはその輕佻浮薄の根源である「政治以前の問題に無關心な國民性」を批判する爲、半面の眞理を敢へて誇張して述べたものに過ぎません。それが證據に松原氏は同じ講演で、自分がもし総理大臣ならば北朝鮮に乘り込み「もし人質を返さないのなら今後一切附合はない」と云つてやる、とも述べてゐるのです。他の講演でもかう述べてゐます。「國民の中の三百人、千人はおろか一人であつても二人であつても外國に拉致されたのなら、しかも國家意志の發露として國家機關に拉致されたのなら、その犯罪國家に對して武力行使を含めた強硬措置を以て臨むべきです」。

 あまカラさんが本當に「性急に正邪を判定しない」と云ふ堅い信念をお持ちであれば、松原氏の發言について輕々に斷定したりせず、同じ講演での他の發言を照らし合はせる事は勿論、他の講演や著作を周到に調査し、然る後に發言すべきでせう。ところがあまカラさんの實際の行動は違ひました。いとも簡單に「神経を疑わざるをえない」と言ひ放つたのであります。

 あまカラさんは木村に對し「[本質と瑣末は]表裏一体で交じり合っているかもしれない、少なくとも簡単に分けられるものではない」と主張されました。しかし松原氏の「北朝鮮による拉致問題などどうでもいい」と云ふ發言と「人質を返さないのなら今後一切附合はない」と云ふ發言は正に表裏一體ではありませんか。もし「性急に正邪を判定しない」「本質と瑣末は表裏一體」があまカラさんの常に忘れぬ信念であるのならば、輕々に一方の發言だけを本質的なものとして取上げたりする筈はありません。あまカラさんは自らの言行不一致にお氣附きになつてゐないのでせうが、實際には盛大に「性急な判定」をやらかしてゐるのです。

 さう云へばあまカラさんによれば物事を性急に判定しない筈の坪内祐三氏も、正字正假名表記の實踐をいとも簡單に「コスプレ」などと決附けてゐましたね。あまカラさんの言葉を借りれば、正字正假名表記が「コスプレでない」と云ふ「反論だって十分可能」だと思ひますが、如何ですか。坪内氏の判定は性急でないと仰いますか。

 私は四月に書いた文章で、あまカラさんの松原氏に對する一方的斷罪は不當であると根據を示して反論しました。しかしそれから半年、私が見落してゐるのでなければ、あまカラさんからは何の反應もありません。今囘、久し振りにコメントを寄せて下さつたのを機に言及して下さるかと内心期待したのですが、やはり一言もありませんでした。議論を通じて自らの思考を深めて行きたいと望む私にとつては甚だ殘念ですが、他人に發言を強要する事は出來ません。我が國においてはよろづ「沈默は金」なのであります。

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