二つの大切な問題
リクエストにお應へして、松原正先生の大阪での御講演のポイントを記します。
*大阪での最後の講演となる本日は、二つの大切な問題についてお話ししたい。一つは「知的怠惰」、もう一つは「政治主義」。いづれも日本人の宿痾である。
*九月十六日付朝日新聞によると、新潮文庫の發刊以來のベストセラー首位は夏目漱石の「こころ」ださうである。しかし「こころ」は漱石の生涯最大の失敗作であり駄作である。このやうな作品が秀作と持て囃され多くの讀者が買ひ求めると云ふ事實は、日本人の知的怠惰の雄辯なる證に他ならない。
*「こころ」の何處が駄作か。「先生」は「私」に向かひ、「私は死ぬ前にたつた一人で好いから、他を信用して死にたいと思つてゐる」と語り掛け、自らの過去を告白する遺書を託す。しかし「先生」が「たつた一人」信用して過去を告白すべき相手は、過去の事件(友人Kを自殺に追ひ遣つた事)の一當事者であり、永年連れ添つた妻でもある静でなければならぬ。その妻よりも、昨日今日知り合つたばかりの學生の「私」を信用すると云ひ、過去を打ち明ける相手に撰ぶとは、道徳的に許し難い行爲であり、人間の風上にも置けぬ所業である。
*ところが日本の讀者はこのやうな矛盾に全然氣附かない。指摘されれば理解出來ても、自ら判斷する能力が極度に缺けてゐる。日本人の「知的怠惰」と云ふゆゑんである。
*産經新聞の「正論」の見出しを見ると、殆ど例外なく、政治しか語つてゐない。曰く「小泉流の政治手法が残したもの」「抗議より独自開発の着手こそ重要」「新政権がアジア外交で心すべき事」等々。筆者の知識人達は、凡そ政治にしか關心を持たず、語るに價ひするのは政治のみであると信じてゐる。これを「政治主義」と云ふ。
*しかしイエス・キリストの言葉を捩つて云へば、人は政治のみにて生くるに非ず。イエスは「神の物は神へ、カイザルの物はカイザルへ」と述べ、カイザルの物(政治)以外に神の物(信仰・道徳等)が存在する事を強調した。神の物とカイザルの物との對立は容易に解決出來ないが、一方に偏せず、雙方に關はつて生きるのが全うな人間なのだ。「正論」筆者の知識人達の大半は西洋學問をやつた筈なのに、それを理解してゐない。
*では我々日本人は、政治を超えるものとして何を持つてゐるか。それをどう遇してゐるか。さうした問題をこそ深く考へなければならぬ。西洋人には絶對者としての神がある。ニーチェを筆頭に神を罵倒する輩も多く出たが、神は答へない。一方、日本人は天皇を戴いてゐるが、西洋の神と違つて天皇は死ぬ。有能な天皇ばかり出て來るとも限らない。
*葬式から歸つたら玄關先で鹽を撒く。かうした些細な事柄であれば世間の流儀に唯々諾々と從つてゐて構はない。しかし、もつと大事な事柄については、どうかよく考へるやうにして欲しい。これが大阪での私の「遺言」である。
なほ、來年からは教へ子の留守晴夫先生がお一人で講演をされる豫定です。
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コメント
成程、よく分りました。さすが「遺言」と稱するに相應しく、お力の籠つた御講演だつたやうですね。態々の要約御紹介、感謝します。
投稿: 平成山人 | 2006年9月25日 (月) 12時13分