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2006年9月18日 (月)

出來る物ならやつてゐるよ

「あまカラ雑記」より。
http://blog.goo.ne.jp/amakara_2006/e/1a4be17a295bb4e7147017de01c0bd71

 ネット上の国語問題協議会の伝言板に会長名義で親王の誕生を祝うコメントが。いったい天皇家の子供の誕生と歴史的仮名遣いの間に何の関係があるのか。天皇陛下の「お言葉」だってみんな現代仮名遣いだ。

「お言葉」は現代仮名遣いでも、御製は歴史的假名遣ひ。天皇と歴史的假名遣がまるきり無關係と云ふ譯ではないでせう。

 政治上の戦略としてもきわめて拙劣。歴史的仮名遣いは必要だが、天皇制は廃止すべしという私みたいな人間ははなからお呼びではないということであり、「歴史的仮名遣いを使うのは頑迷固陋な右翼」というイメージを増幅させてしまうだけだ。

まあそんなに怒らなくとも。そこらの商店街にだつて「祝御誕生」の垂れ幕くらゐ出てゐますが、それを見て「この商店街は頑迷固陋な右翼に牛耳られてゐる」と思ふ人はさう多くはないでせう。協議會傳言板の文章が歴史的假名遣ひは右翼が使ふものと云ふ「イメージを増幅」させるにしても、その程度なんて高が知れてゐます。お目出度い話と云ふ事で大目に見てやれば宜しいのではないでせうか。勿論、國語問題協議會が本來の役割を忘れ、皇室を巡る政治的論議に入揚げるやうにでもなれば問題ですが、今のところさう云ふ氣配はありません。

 八つ当たりだが、国語問題協議会関連でもう一つ。土屋道雄『国語問題論争史』のようなつまらない本を名著と持ち上げる奴の気が知れない。増補版というのが最近出たが、増補分を見ると、最近発刊された国語関連本の要約が並んでいただけだった。本当に退屈。

「最近発刊された国語関連本の要約が並んでいただけ」と云ふのは事實に反します。土屋氏は要約だけでなく、内容に對する論評も記してゐます。その論評が不十分・的外れ等と批判するなら結構ですが、「要約が並んでいただけ。本当に退屈」ではあんまりでせう。あまカラ氏は以前も、松原正氏の發言を一部分だけ取り上げて「神経を疑わざるをえない」と手嚴しい批判をお書きになつた事がありましたが、もう少しくフェアにやつて戴けると幸ひです。

専門家でもなんでもない土屋氏になぜ福田恆存はこのような著作の作成を指示したのか。福田氏にちゃんとした専門家とのネットワークがあったら、といまさらながら思う。

この場合、「專門家」とは國語學者と云ふ事になりますが、何しろあらゆる職業集團の中で、戰後國語改革に最も強く贊同して來た連中こそ國語學者ですからね。國語問題協議會にも創立當初こそ時枝誠記と云ふ大物がゐましたが、その後は寥々たるもの。東大教授だつた築島裕と云ふ人は、文化廳の「國語施策百年の歩み」に現代仮名遣いの勝利宣言とでも云ふべき文章を書いた擧句、協議會理事を辭めて仕舞ひました。こんな具合ですから、福田恆存が「専門家とのネットワーク」を築けなかつた、いや、築かなかつたのも無理はないでせう。福田氏の苦笑が聞こえてきさうです。「あまカラさん、出來る物ならやつてゐるよ」。

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コメント

>「お言葉」は現代仮名遣いでも、御製は歴史的假名遣ひ。天皇と歴史的假名遣がまるきり無關係と云ふ譯ではないでせう。

短歌や俳句においては「歴史的かなづかい」が
「標準」なのです。
御製も、「歴史的かなづかい」が正統だとか、
という御心ではなくて、この「ルール」に従って
いるのにすぎません。
皇族の方も普段は現代かなづかいでお書きに
なっており、やっぱりルールにきちんと
従っておられます。

「ルール」というところが大事です。
「正しい」とか「愚か」という問題ではありません。
「ルール」は決め事であり、どこぞのバカが権力に訴えて
変えることもできます。
しかし支持されないルールはすぐに自滅しますけど。
現代かなづかいはとりあえず自滅せずにすんでますね。

そういう意味ではご高説の「天皇と歴史的假名遣」は、
やっぱり「まるきり無關係」であって、ここに
こだわるのは強引な関係付けにすぎないと
思います。

関係あるというのが少しでも意味をもつとすれば、
「天皇だってフランス料理を食べるのでフランスと
無関係ではないでしょう」、という程度ですね。

投稿: 鈴木 | 2006年9月27日 (水) 18時07分

 フランス料理と同程度にせよ、それなりに關係があるのであれば、私の云つた通り「天皇と歴史的假名遣がまるきり無關係と云ふ譯ではない」と云ふ事になりますね。少くとも。

 さて、千年以上昔から天皇は和歌をお詠みになつてゐて、それは歴史的仮名遣(や定家假名遣)で記され、現代仮名遣いではありませんでした。一方、天皇は千年以上昔から米や味噌を召上がつてゐて、エスカルゴやフォアグラは最近まで御存知なかつたやうです。従つて比喩としては「フランス料理」よりは「日本料理」の方がちよつぴり適切と思はれます。

 すなはち、鈴木さんの御發言は「天皇だって日本料理を食べるので日本と無関係ではないでしょう」と言ひ替へるべきでせう。あれ何か變だな。

投稿: 木村貴 | 2006年9月28日 (木) 13時27分

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