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2006年9月24日 (日)

二つの大切な問題

 リクエストにお應へして、松原正先生の大阪での御講演のポイントを記します。

 *大阪での最後の講演となる本日は、二つの大切な問題についてお話ししたい。一つは「知的怠惰」、もう一つは「政治主義」。いづれも日本人の宿痾である。

 *九月十六日付朝日新聞によると、新潮文庫の發刊以來のベストセラー首位は夏目漱石の「こころ」ださうである。しかし「こころ」は漱石の生涯最大の失敗作であり駄作である。このやうな作品が秀作と持て囃され多くの讀者が買ひ求めると云ふ事實は、日本人の知的怠惰の雄辯なる證に他ならない。
*「こころ」の何處が駄作か。「先生」は「私」に向かひ、「私は死ぬ前にたつた一人で好いから、他を信用して死にたいと思つてゐる」と語り掛け、自らの過去を告白する遺書を託す。しかし「先生」が「たつた一人」信用して過去を告白すべき相手は、過去の事件(友人Kを自殺に追ひ遣つた事)の一當事者であり、永年連れ添つた妻でもある静でなければならぬ。その妻よりも、昨日今日知り合つたばかりの學生の「私」を信用すると云ひ、過去を打ち明ける相手に撰ぶとは、道徳的に許し難い行爲であり、人間の風上にも置けぬ所業である。
*ところが日本の讀者はこのやうな矛盾に全然氣附かない。指摘されれば理解出來ても、自ら判斷する能力が極度に缺けてゐる。日本人の「知的怠惰」と云ふゆゑんである。

*産經新聞の「正論」の見出しを見ると、殆ど例外なく、政治しか語つてゐない。曰く「小泉流の政治手法が残したもの」「抗議より独自開発の着手こそ重要」「新政権がアジア外交で心すべき事」等々。筆者の知識人達は、凡そ政治にしか關心を持たず、語るに價ひするのは政治のみであると信じてゐる。これを「政治主義」と云ふ。
*しかしイエス・キリストの言葉を捩つて云へば、人は政治のみにて生くるに非ず。イエスは「神の物は神へ、カイザルの物はカイザルへ」と述べ、カイザルの物(政治)以外に神の物(信仰・道徳等)が存在する事を強調した。神の物とカイザルの物との對立は容易に解決出來ないが、一方に偏せず、雙方に關はつて生きるのが全うな人間なのだ。「正論」筆者の知識人達の大半は西洋學問をやつた筈なのに、それを理解してゐない。
*では我々日本人は、政治を超えるものとして何を持つてゐるか。それをどう遇してゐるか。さうした問題をこそ深く考へなければならぬ。西洋人には絶對者としての神がある。ニーチェを筆頭に神を罵倒する輩も多く出たが、神は答へない。一方、日本人は天皇を戴いてゐるが、西洋の神と違つて天皇は死ぬ。有能な天皇ばかり出て來るとも限らない。

*葬式から歸つたら玄關先で鹽を撒く。かうした些細な事柄であれば世間の流儀に唯々諾々と從つてゐて構はない。しかし、もつと大事な事柄については、どうかよく考へるやうにして欲しい。これが大阪での私の「遺言」である。

 なほ、來年からは教へ子の留守晴夫先生がお一人で講演をされる豫定です。

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2006年9月23日 (土)

大阪講演會終了

 松原正、留守晴夫兩先生の大阪講演會が無事終了。十五年續いた講演を今囘でお止めになる松原先生が、最後に「今日の話は遺言の積もりです」と感極まつた樣子で仰つてゐたのが印象的でした。

 松原先生のお話の中で「イエス・キリストは神の物とカイザルの物とを區別したが、カイザルの世界の物を軽蔑した譯ではない。雙方に關はつて生きるのが全うな人間なのだ」と云ふ御發言があつた。「松原氏は政治そのものを侮蔑しているのだとしか思えない」等ととんでもない誤解をしてゐる人が若し今もゐるやうなら、即刻認識を改めて貰ひたいと思ふ。

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2006年9月18日 (月)

出來る物ならやつてゐるよ

「あまカラ雑記」より。
http://blog.goo.ne.jp/amakara_2006/e/1a4be17a295bb4e7147017de01c0bd71

 ネット上の国語問題協議会の伝言板に会長名義で親王の誕生を祝うコメントが。いったい天皇家の子供の誕生と歴史的仮名遣いの間に何の関係があるのか。天皇陛下の「お言葉」だってみんな現代仮名遣いだ。

「お言葉」は現代仮名遣いでも、御製は歴史的假名遣ひ。天皇と歴史的假名遣がまるきり無關係と云ふ譯ではないでせう。

 政治上の戦略としてもきわめて拙劣。歴史的仮名遣いは必要だが、天皇制は廃止すべしという私みたいな人間ははなからお呼びではないということであり、「歴史的仮名遣いを使うのは頑迷固陋な右翼」というイメージを増幅させてしまうだけだ。

まあそんなに怒らなくとも。そこらの商店街にだつて「祝御誕生」の垂れ幕くらゐ出てゐますが、それを見て「この商店街は頑迷固陋な右翼に牛耳られてゐる」と思ふ人はさう多くはないでせう。協議會傳言板の文章が歴史的假名遣ひは右翼が使ふものと云ふ「イメージを増幅」させるにしても、その程度なんて高が知れてゐます。お目出度い話と云ふ事で大目に見てやれば宜しいのではないでせうか。勿論、國語問題協議會が本來の役割を忘れ、皇室を巡る政治的論議に入揚げるやうにでもなれば問題ですが、今のところさう云ふ氣配はありません。

 八つ当たりだが、国語問題協議会関連でもう一つ。土屋道雄『国語問題論争史』のようなつまらない本を名著と持ち上げる奴の気が知れない。増補版というのが最近出たが、増補分を見ると、最近発刊された国語関連本の要約が並んでいただけだった。本当に退屈。

「最近発刊された国語関連本の要約が並んでいただけ」と云ふのは事實に反します。土屋氏は要約だけでなく、内容に對する論評も記してゐます。その論評が不十分・的外れ等と批判するなら結構ですが、「要約が並んでいただけ。本当に退屈」ではあんまりでせう。あまカラ氏は以前も、松原正氏の發言を一部分だけ取り上げて「神経を疑わざるをえない」と手嚴しい批判をお書きになつた事がありましたが、もう少しくフェアにやつて戴けると幸ひです。

専門家でもなんでもない土屋氏になぜ福田恆存はこのような著作の作成を指示したのか。福田氏にちゃんとした専門家とのネットワークがあったら、といまさらながら思う。

この場合、「專門家」とは國語學者と云ふ事になりますが、何しろあらゆる職業集團の中で、戰後國語改革に最も強く贊同して來た連中こそ國語學者ですからね。國語問題協議會にも創立當初こそ時枝誠記と云ふ大物がゐましたが、その後は寥々たるもの。東大教授だつた築島裕と云ふ人は、文化廳の「國語施策百年の歩み」に現代仮名遣いの勝利宣言とでも云ふべき文章を書いた擧句、協議會理事を辭めて仕舞ひました。こんな具合ですから、福田恆存が「専門家とのネットワーク」を築けなかつた、いや、築かなかつたのも無理はないでせう。福田氏の苦笑が聞こえてきさうです。「あまカラさん、出來る物ならやつてゐるよ」。

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2006年9月12日 (火)

「『國語問題論爭史』の出版に際して」

 國語問題協議會報「國語國字」第百八十六號に土屋道雄氏が「『國語問題論爭史』の出版に際して」と云ふ一文を寄せていらつしやいます。御一讀下さい。「國語國字」の申込みは國語問題協議會事務局まで。

 冒頭及び以前當サイトで削除した拙文に關はる部分のみ以下に轉載します。

 昨年(平成十七年)一月に玉川大學出版部から出版した増補版『國語問題論爭史』は、出版部の強い意嚮で一部削除した部分があり、この件をめぐつてあれこれ臆測がなされ、會員の間に間違つた情報が流れ誤解もあるやうなので、ここに削除した部分を明らかにしたいと思ふ。/出版を快く引受けて下さつた玉川大學出版部には深く感謝してをり、理由はともあれ、削除に應じた私にも責任があると思つてゐる。
 以下、具體的に削除した部分を〔 〕で示す。/一、「相手が非を認めてをりますのに追討をかけるのは男らしくないと申しますが……」といふ理由で、三〇六頁の三行目から、/〔ところで「私は趣味・嗜好の點ではきわめて國粹的・保守的の人間」で「日本語でも、舊字體・舊假名に愛着をもつ」と言ふ金田一は大勢順應派であり、御都合主義者であるやうだ。「見れる」「來れる」は「受け身や尊敬の言い方と區別できる點で、『來られる』『見られる』よりすぐれている」と言つたり、「緊張さ」「純情する」は「日本語の品詞の區別を不明確にするので、私もこれは排撃する」と言つたり、評判の惡い「送りがなのつけ方」について「何という矛盾だらけのきめ方だろうと思い、國語審議會第一の失敗作だと評價する」と書いたりしてゐる。確乎たる信念がないから、後に「福田恆存君を偲ぶ」(平成七年十二月號『This is 讀賣』)において「當時は福田君がいくら叫んでも假名遣いがもとに戻ったり、漢字が無制限に増えることはなさそうだと思っていた」が「戰後三十餘年たってみると、驚いた。ワープロという機械が發明され、普及し、机の上でチョコチョコと指を動かすと、活字の三千や四千は簡單に打ち出してくれる。そうした普及につれて値段も安くなり、性能もよくなった。新聞ぐらいは、机の上のワープロ一つで簡單に印刷できる。これなら當用漢字の制限はしなくてもよかったし、字體でも假名遣いでも昔のままでもよかったのだ」「偉い友人だったと思うこと切である」と書いてゐる。醜態には違ひないが、非を認めたがらぬ改革論者に比して潔いと言ふべきであらうか。〕
 文中の「金田一」とは、金田一春彦氏の事です。

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2006年9月 1日 (金)

國語問題協議會 秋の講演會

■國語問題協議會 秋の講演會■

平成十八年十一月四日(土)開催。

講演の秋。こちらは國語問題協議會 傳言板に詳細。

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松原正・留守晴夫兩先生の講演會

■松原正・留守晴夫兩先生の講演會■

 日 時  9月23日(土)秋分の日   1:00開演 4:00終演

詳細は「言葉の救はれ」を御參照下さい。

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