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2006年5月26日 (金)

感情と論理は對立せず

 どうも世間には、叮嚀な言葉遣ひで相手を心底軽蔑し切つた慇懃無禮な文章を書くと「彼は冷靜だ」とか「大人だ」とか云つて襃め、怒りを露はにした正直な文章を書くと、それが感情的であると同時に論理的な内容であるにもかかはらず、「感情的になるな」とか「大人になれ」とか云つて窘める人が多いやうに思はれる。をかしな事だと思ふ。私は喜怒哀樂のうち、少なくも怒つた時には感情を露はにする方が人間的だと思ふ。能面の如き慇懃は非人間的な態度だと思ふ。まあ時折、慇懃無禮な態度で應じざるを得ない御仁もゐるが。

 論爭的な文章にとつて大事なのは、それが論理的か否かの一點のみである。感情的である事と論理的である事は兩立し得るのだから、「感情的且つ論理的」な文章もあり得るし、「非感情的且つ非論理的」な文章だつてあり得る。前者は是、後者は非。それだけの話ではないか。そもそも感情の基礎には論理がある。裏切られた人間が怒るのは、裏切りとは何かを論理的に判斷出來るからに外ならない。

 不肖木村貴は憚り乍ら、頭に血が上つた時でも理窟の通る文章を書くやう心懸けてゐる。成功してゐるかどうかは別として。

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