« 感情と論理は對立せず | トップページ | 『国語の底力』 »

2006年5月27日 (土)

感情的である事

 私たち――ことに私などは生來口がよくない、惡くはないのですが、よくはない。自分ではそれほどに思つてゐなくても、とかく相手を傷つけるやうなことを言ふものですから、國語問題でも評判が惡いのです。[中略]「あいつはいかん」といふことになり、感情的だといふ批判を受けます。しかしこれは決して感情的なのでなく、話を面白くするためには惡口を言はないと仕樣がないと思ふから、何時もその癖がついてゐるわけです。ただ、感情的であることはいいことか惡いことかと言ふと、それはまた別問題で、私は惡いことだとは思ひません。
 昭和三十六年十二月九日、國語問題協議會第三囘講演會に於ける福田恆存の發言。『國語問題協議會四十五年史』より。

|

« 感情と論理は對立せず | トップページ | 『国語の底力』 »

コメント

木村様

 (この文章と)26日の文章は私に対するあてこすりというか、私の投稿に触発されてお書きになられたものでしょうか。自意識過剰なせいか、私にはどうもそう思えますが、超超弩級のばか者である武蔵大和こと福田恒存をやっつける会会長の文章などに触発されるような、オバカサンではないですね木村様は。それに私めはきわめて鈍感でありますので、なんとあてこすられようとピンときませんが。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月27日 (土) 23時48分

「会長」が激怒してゐるのがとても良く判つて和んだ

投稿: 野嵜 | 2006年5月28日 (日) 03時18分

>(この文章と)26日の文章は私に対するあてこすりというか、私の投稿に触発されてお書きになられたものでしょうか。自意識過剰なせいか、私にはどうもそう思えますが、超超弩級のばか者である武蔵大和こと福田恒存をやっつける会会長の文章などに触発されるような、オバカサンではないですね木村様は。それに私めはきわめて鈍感でありますので、なんとあてこすられようとピンときませんが。

 さう讀めましたか。偶然ですよ、完全な偶然。

投稿: 木村貴 | 2006年5月28日 (日) 09時03分

恆存先生の開會挨拶の一節ですね、私もこの箇所は好きですね。全文掲載の「國語國字 通卷DVD」は樂しめます。なかでも今東光和尚の「御講話」には大笑ひしました。

投稿: 渡邊 建 | 2006年5月28日 (日) 15時23分

>「会長」が激怒してゐるのがとても良く判つて和んだ

投稿 野嵜 | 2006/05/28 3:18:30

 激怒などしておりませんが。木村様の文章のどこに私が激怒する部分がありますか。仮に私が激怒したとして、それで貴方が和むのであれば、いつでも激怒して差し上げますわ。

 私の文章を読んで毎回激怒していらっしゃるのは野崎様のほうでせう。貴方様の正字正かな掲示板での貴方の私に対する文章を読むと、貴方がいつもイラついているのが目に見えるようですよ。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月28日 (日) 15時56分

>激怒などしておりませんが。

激怒してゐるからこそ反應したのでせう。

ところで、温厚な木村さんのところでなく、激怒し捲りの私のところにまた長文を投稿されてゐますが、さう云ふ態度に「会長」サマの本心が表はれてゐるのですよ。

投稿: 野嵜 | 2006年5月28日 (日) 18時27分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 感情的である事:

« 感情と論理は對立せず | トップページ | 『国語の底力』 »