間違つてゐると思ひます
「騷動の感想」より。
先づは第一に眞相究明を希望していた讀者の皆さんに私が彼らに面識がある事を告げずに質問した事に因つてどたばたが生じてしまつた事をお詫びしたい。しかし、挨拶無しに質問し、この樣にごたごたした事はさすがに拙かつたとは思ふものの、道義的に間違つてゐたとは思つてはゐない事は先にも申上げた通りである。その事は繰り返し申上げる。
「道義的に間違つてゐたとは思つてはゐない」? 僞名がどう見ても道義的に間違つてゐる事を私は小學生でも分かる馬鹿馬鹿しい例まで使つて縷々説いた筈だ。ところが白波海太郎こと青方の中村氏はそれに對して何も反論しない。そして唯一言、「間違つてゐたとは思つてはゐない」と來た。頭を使はない人間は樂なものだ。「~だと思ふ」「思はない」と書いただけで反論になるなら、私だつて躍起になつて毎囘長たらしい文章を書く必要は無かつた。「中村氏は間違つてゐると思ひます。以上」。今後はこの手を愛用しようと思ふ。
この騷動、事件を一言で評するならお粗末と云ふ事にならう。「又聞きの話を事實確認しないまま書いて仕舞つた」と云ふ事を指摘するだけで十分だらう。木村氏は、私と同じ樣な一般人なのではあるまい。致命的な大失態である。
慥かに私は2ちゃんねるに入り浸るやうな「一般人」ではないが、又聞きの話を裏を取らずに書いて仕舞つた事が「致命的な大失態」であつたのは指摘される迄も無く認めてゐる。だからばつさり削除した。その記事を中村氏は著作權者(木村)の承諾も無しに轉載して「事件だ事件だ」と喜んでゐる譯だが。
>讀者を困惑させて申し譯ないと思つてをりますが、殘念ながら正確な事實關係を知りませんので説明出來ません。御容赦下さい。(木村氏發言)
今囘初めて讀者への謝罪があつた訣だが、木村氏は常識者として踏みとどまつてゐると評價していいだらう。今まで何故しなかつたのか。野嵜氏に引つ張られてゐるからである。
「今囘初めて讀者への謝罪があつた」だの、「常識者として踏みとどまつてゐると評價していいだらう」だの、まるで日本の戰爭責任を追及する近鄰諸國の政治家のやうな口振りである。こんな遣り口で狡い人間に仕立て上げられては堪つたものではない。
慥かに私は「記事削除のお知らせ」で「關係各位には御迷惑をおかけ致しました。お詫び致します」とだけ記し、一般讀者に對しては特に何も書かなかつた。しかしそれは敢へて書くのは諄いと思つたからに過ぎず、讀者を無視した譯ではない。もし私が讀者の目から一切を隱蔽しようとするなら、わざわざ人目につくやうな告知なんぞせず、默つて記事を削除して、關係者にはメールで詫び状を出せば濟む。それでは矢張り讀者に惡いと思つたから、削除告知を書き、コメントも附けられるやうにしておいた。現に今囘、中村氏自身、その削除告知にコメントを附ける形で質問して來たではないか。よくも私を不誠實呼ばはり出來るものだ。
勿論、關係者のゐる事だから、質問されても全部を公の場で洗ひざらひ話す譯にはいかない。だがブログの讀者には他人に迷惑の及ばぬ範圍でなら出來る限り説明したいと思つてゐたし、事實、「白波海太郎」が青方の中村の僞名だとは露知らず、馬鹿丁寧に應對して仕舞つた。ああ損した。
しかし、許し難き不正であるが、確證がないので糾彈出來ぬ事を無念に思つてゐる人間の書く文章ではない。きちんと調べて、この不正を屹度糺してくれんとの意思も氣魄も感じられない。そして、をかしな事を書いてしまつた己れに對する自責の念もない。
分からん人ですね。私の文章から「この不正を屹度糺してくれんとの意思も氣魄も感じられない」のは、それほど悲憤慷慨しなくても好いだらうと考へる理由があるからです。だがその理由も所詮「又聞き」であり、輕々に書く譯にはいかないのです。關係者に迷惑をかけたと何遍も云つてゐるでせう。僞名なんぞ使はず、メールででも問ひ合はせて呉れてゐたら、こんな奧齒に物の挾まつたやうな云ひ方はせずに濟んだのですが。私はもうあなたを信用してゐないから、こんな事を今更云つても無駄ですね。
その他、中村氏は妄想を逞しうして色々書き連ねてゐるが、コメントは省略しても良いと「思ひます」。さて最後に曰く、
*それ程の問題ではないと判斷しましたから、資料館から纏め頁は削除します。
素晴らしい結論が出て良かつたですね。お互ひ有意義な大型連休でした。久し振りに話せて正直嬉しく思ひました。それでは今度こそさやうなら。
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