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2006年5月12日 (金)

國語問題協議會ウェブサイト刷新

國語問題協議會ウェブサイトの表紙デザインが變はりました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/
行事豫定・出版案内等の最新情報を掲載する「傳言板」も新設されました。
http://d.hatena.ne.jp/kokugokyo/

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コメント

>國語問題協議會ウェブサイトの表紙デザインが變はりました。


http://wiki.livedoor.jp/fukuoka_bengoshi/d/
はい、わかりました。

投稿: 谷口和成 | 2006年5月13日 (土) 21時14分

502 :福田恒存をやっつける会会長 :2006/05/19(金) 08:43:49
>>501

そんなことはありませんよ。今資料を集めています。今日か明日投稿して、福田センセー
を木っ端微塵に完膚なきまでに撃滅いたします。乞うご期待。

 新仮名遣い反対派には知性というものがありましたっけ。あるのは痴性ではなかったん
ではないの。何せ、御大の福田センセー自身が金の亡者で、金儲けのためには信念・信条
などは、恥も外聞も、恥や外聞などをセンセーが持っていたかどうかも疑問(持っていなか
ったと確信しています)ですが、もなく、かなぐり捨てて、新仮名表記の本をどんどん出版してい
たんですからね。

 これまでの調査では、センセーが新仮名表記の本を出版なさったのは、例のインチキ
駄本「私の国語教室」出版7年前、1953年の「あっぱれクライトン」でした。ひど
いですねえ。それ以降、国語教室の出版年である60年までにセンセーは14冊出版な
さっていました。もっと綿密に調べれば、それに出版されないが金のために書きなぐっ
た駄文などを含めればおそらく数限りないでしょうねえ。これに対して怒りの声を上
げない新仮名反対派の連中ってどういう神経の持ち主でしょうねえ。まるで、いまだに
麻原ショーコーの呪縛から逃れられないオウム真理教の連中と同じではあーりませんか。

投稿: うさ | 2006年5月20日 (土) 18時10分

また、「義」とかいう無職引きこもりなのかな

投稿: うさぎ汁 | 2006年5月20日 (土) 19時02分

何とか係とか何とか会会長とか、2ちゃんねらーの變な子つて妙な名前を名乘りたがりますね

投稿: fankee_jr | 2006年5月21日 (日) 00時25分

 私は福田恆存のやうに劇團を主宰したりはしてゐませんが、それでも糊口を凌ぐ爲には妥協して、勤め先で略字新假名を使つて書類を作つたりメールを書いたりせざるを得ません。「やっつける会会長」にやつつけられないやう祈るばかりです。

 これからは心を入替へて、公の場で正字正假名が使へる世の中が一日も早く來るやう、精一杯努力する事を誓ひます。2ちゃんねらーの皆樣、どうぞ正字正假名派を御支援下さい。

投稿: 木村貴 | 2006年5月21日 (日) 00時47分

木村さん、糊口をしのぐためにはなんでもしていいわけですか。信念・信条というものはそんなに軽いものですか。飢えに直面しているという状況ならそういう腹の足しになぞ糞の役にも立たないものは捨ててもよいでせうが、今の世の中で、信念・信条を捨てて飢えをしのがなければならないほどの状況がありますか。特に、貴方様のように、このようなサイトで自己の信念・信条を主張していらっしゃるお方様が。私は、福田を筆頭とするそういう下等な手合いを軽蔑します。

福田恒存センセーが新かなづかい反対の急先鋒、総大将だったことは天下周知の事実、それと、その福田大センセー
がそれの著書の大部分を新仮名表記で出版、それもあろうことか、かの有名な「私の国語教室」の執筆の5年も前に出

版し、しかもその総数が、私の調査べた限りでも15冊、もっとよく調べれば倍以上にもなる可能性もあり、念の入っ
たことに、私の国語教室」の執筆中にも新仮名表記の本を、恥も外聞も無く、白昼堂々と出版していた。もっとも、恥

とか外聞などという言葉は福田恒存大センセーの辞書には無かったんでしょうなあ。もしそういう言葉を知っていれば、
そういう2枚舌、確信犯的行動などしなかった、ことは無かったでしょうなあ、というよりもそういう言葉を十分承知
していた上でそういう破廉恥行為を働いていたんでしょうね。

 なぜかといえば、 私の国語教室にこういう一節があります。「実藤氏(新かなづかい支持、かつかな文字論者であ
る)は(中略)かな文字を主とした分かち書きで書いて(中略)編集部に手を焼かせ、かつ原稿料を不当に稼いでいま

した(以下略)(福田恒存全集第4巻624頁)。実藤氏が分かち書きで書いて編集部に手を焼かせた事(分かち書き
で書くとどうして編集部が手を焼くかさっぱりわかりませんが)や、原稿料を不当に稼いでいたという事が本当にあっ

たかどうか、私は無いと断言しますが、もしあったとして、福田センセーはどうしてその事を知ったのか、また実藤氏
が原稿料を稼いでいたことは事実でしょうが、その原稿料を分かち書きにより不当に稼いでいたとなぜいえるのでしょ

うかねえ。こういうことを単なる憶測で天下に堂々と発表するセンセーのいやらしさ、他人が原稿料を稼いでいること
に対する福田の嫉妬心のすさまじさに対しては言うべき言葉もありませんねえ。 また私の国語教室にはこういう文章

もあります。「雑誌や単行本の編集者の中には、たくさん売るためにはどうしても「現代かなづかい」にしなければだ
めだと思い込んでいる人がおりますが(中略)、これは単なる先入観に過ぎません。試みに吉川英治氏の小説を歴史的

かなづかいで出してみるといい。売れ行きは少しも変わらないでしょう。いや現に谷崎潤一郎の「鍵」は歴史的かなづ
かいですが、それはこの作品がベストセラーになることを妨げはしなかった。(中略)同様に私が「現代かなづかい」

に改宗したところで、それだけ印税収入が殖えるということもありますまい。(中略)かなづかいの旧新は本の売れ行
きを左右しません。(原文ではここで改行している)それにもかかわらず、歴史的かなづかいでは売りにくいという先

入観が一部の編集者のうちにあることは事実です。(中略)一般の執筆家も同様の先入観に囚われ、心ならずも自分の
著書を「現代かなづかい」に直して出すことを認める人もいるようです。」(以下略)(文芸春秋版福田恒存全集第4巻498頁)(引用文はいずれも新かなづかいに改めてある)おいおい、そういうことを堂々

と言っていいんかい、福田センセーさんよ。
そういう事実を「多くの知識人、文化人」、いやそういういかがわしい人種ばかりでなく、福田センセーの本を読んだ人なら誰でも知っていたにもかかわらず、私以外誰も問題にせず、あたかもそういう事実が存在しなかったかのように振舞ってきたこの日本という国の不思議さ。もっとも、世界第3位の軍事費を支出し、世界5位以内に入る軍事力=戦力を保持していながら、戦力保持を禁止している憲法に違反しないと強弁していたり、戦争責任を問われた際に「そういう言葉のあやについては、私は文学的方面のことは知らないので」というわけのわからない世迷いごとでごまかした昭和天皇ヒロヒトという君主の存在を認めているいる日本人のことでありますから、福田センセーのような存在も認めている、というよりも福田センセ命と崇め奉っている輩が存在しているこの日本という国の不思議さよ。
続く

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 12時20分

>それと、その福田大センセーがそれの著書の大部分を新仮名表記で出版

大嘘。

福田全集第七卷卷末に福田氏の著書は七十五册擧げられてゐますが、その大部分が正字正かなで出版されてをり、新字新かなで出版されてゐるのは十册を超えません。
飜譯は七十八册。オイディプス王・アンティゴネは新潮文庫で出た時、新字新かな。老人と海、シェイクスピアは、最初の出版では正字正かなで、新潮文庫でのち新字新かなで再刊。D.H.ロレンスも同樣。
中公文庫で再刊されたものは、人間・この劇的なるものが新字新かな。藝術とはなにかは未見。新版私の國語教室は正字正かな。アーサー・サヴィル卿は慥か新字新かな。默示録論も新字新かな。云々。
著作集全八卷・評論集全七卷・全集全八卷・飜譯全集全八卷は全て正字正かな。

福田氏の著作は大半が正かなで出版され、そのうち可なりの割合で正字正かな。福田氏の譯書も、可なりの割合で正かな、但し再刊・文庫化の際、出版社の方針で新字新かなに改められてゐるものも多い。特に文庫の場合、「他の出版物との兼ね合ひ」の名目で表記が統一される傾向がある。
あっぱれクライトンの昭和28年版は、河出書房の市民文庫で、鳴海四郎と共譯。

ちなみに飜譯全集卷末の飜譯書リストには「漏れ」があり、共譯の幾つかの本が拔けてゐる。中村保男氏との共譯として出版されたブラウン神父シリーズやコリン・ウィルソン等がそれだが、のちに中村氏單獨譯扱ひになつてゐる(新字新かなで出版)。

戰後の出版物の表記に關しては、既に新字新かなが強行された以後の事であり、單純に福田氏の意嚮だけで何う斯うなるものでもありません。正字正かな派が壓倒的に不利であると云ふ状況は斟酌する必要があります。
また、福田氏も國字問題について調べた結果として意見を變へてゐます。國語教室以前には幾つかの本で新假名表記を容認する態度が觀られます。これは事實ですので否定する必要がありません。(複數の人が寄稿してゐる本の中で福田氏の文章が二本收録されてをり、一方が正かな他方が新かなと云ふ變な事例もある)。
けれども、國語教室以降、福田氏は一貫して「正字正かなが正しい國語の表記である」と云ふ態度をとつてゐます。出版に關しても、福田氏の態度が相當制約となつてゐる事が豫想され、多くの著書が新潮社から出版されてゐます。(參考までに、共産黨から逐はれた向坂逸郎氏は以後「嘗ての敵」である新潮社から出版して貰つてゐますが、向坂氏が「金の亡者」であつたと非難するのは評價として當を得ないものと言つて良いでせう)

出版物が出版社の意嚮で著者の希望に關はりなく内容を變更される事は、最近にもありました、笑ひ。それでも物書きは自著を出版される事を欲するものであり、それを「金の亡者」と極附けるのなら、著書のない正字正かな派の野嵜は實に素晴らしい人格の持主である事が證明されてしまひます、苦笑。会長氏が無職の野嵜を禮讚する爲に物を書いて飯を食つてゐる人々を罵つて呉れてゐるのなら、禮讚はありがたい事ですがまあ、そんな馬鹿な理窟は成立たないので、止めていただけれと。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 14時27分

>その原稿料を分かち書きにより不当に稼いでいたとなぜいえるのでしょうかねえ。

この文章を分かち書きで書くと
「その 原稿料を 分かち書きにより 不当に 稼いでいたと なぜ いえるのでしょうかねえ。」
となります。見れば誰でも判ると思ひますが、分かち書きする時には空白文字の分、文章の分量が増えます。これが「原稿の水増しである」と云ふ事です。全ての人に簡單に判る事だと思ひますが、会長氏はどうして判らなかつたのか、不思議です。また、實際にやつて見れば判りますが、分かち書きには誰もが判る基準がありません。「いえるのでしょうかねえ」は「いえるの でしょうか ねえ」とすべきかも知れません。この邊、嚴密にさねとう氏が考へてゐるとしたら、それに從はねばならない編緝氏(と印刷會社の人)は隨分苦勞して版を組まねばならなかつたでせう。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 14時35分

会長氏は恐らく渡辺晋太郎氏の『国語国字の根本問題』を御持ちでないやうですので、多分まだ入手可能ですから購入されるとよろしいと思ひます。同書689ページで、福田氏の著書が中公文庫に入る際、新字新かなに改められてゐる事が指摘されてゐます。そして、渡部氏は朝日新聞に昭和38年に掲載された福田氏の「私と仮名づかい」を採上げ、福田氏が自分の文章が新字新かなに改められる事について説明してゐる事を指摘してゐます。この「私と仮名づかい」も相當皮肉が籠められた文章で、会長氏のやうに偏見に支配され氣に入らない人間の文章はひねくれた讀みしか出來ないと云ふ人には理解出來ないかも知れませんが、私には理解出來ました。福田氏の言つてゐる事は筋が通つてゐます。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 14時44分

×渡辺晋太郎氏
○渡部晋太郎氏

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 14時45分

最う一つ訂正。向坂逸郎→袴田里見。『昨日の同志 宮本顕治ヘ』(1978年・新潮社)

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 14時50分

最う一つ訂正。向坂逸郎→袴田里見。『昨日の同志 宮本顕治ヘ』(1978年・新潮社)

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 14時52分

会長氏、ちくま文庫で再刊された『私の幸福論』すらも參照してゐない可能性がある。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 15時06分

野さき様
(さき という貴方の姓の「正」字を出すことができませんのでひらかなで書きました、わざとそうしたのではありません)

 2時間ほどかけて貴方に対する長文の反論文を書きましたが、何せPC初心者名者でうっかりどこかのキーを押したらしくてほとんど消してしまい、下記のような部分しか残りませんでした。これですっかりやる気をなくしましたので、明日にでも書き直して送信することにします。
 なお、福田の著書ですが、国語関連や政治思想関連を除く、ほとんどの著書は、おそらく、福田の次男で、新かな反対運動をしている福田逸を含めた著作権承継者の許諾を得てた上でしょう、新かな表記で出版されています。国会図書館でお調べください。貴方こそ大嘘つきです。もっとも、福田のエピゴーネンは全てうそつきですがね。

消去されなかった部分です、私が何を書いたか推理してみるのも一興でしょう。

会長氏は恐らく渡辺晋太郎氏の『国語国字の根本問題』を御持ちでないやうですので、多分まだ入手可能ですから購入されるとよろしいと思ひます。

 私は国語問題には興味はありませんので、せっかくのお勧めですが購入の意思はありません。

>会長氏のやうに偏見に支配され氣に入らない人間の文章はひねくれた讀みしか出來ない


。)、その後で、植字工がまたまた執筆者の意向を忖度しながら植字して行くのですから、こりゃあ大変な作業ですね。編集者と(と印刷会社の人)が迷惑するはずだあ。
投稿 野嵜 | 2006/05/21 14:35:11

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 17時17分

野さきさま

 以下の文章は私が2チャンネルの福田恒存研究ー人と思想と行動とー第二幕 に投稿したものです。未完ですがお読みください。なお、そのスレッドを含めた複数の2チャンネルのスレッドにも同じような文章を多数投稿していますので、過去のものも含めてご覧ください。私は福田センセを地獄に叩き落すまで、長期戦覚悟で各種の掲示板などに投稿を続けるつもりであります。どうかよろしく。

520 :福田恒存をやっつける会会長 :2006/05/21(日) 11:34:33

 福田恒存センセーが新かなづかい反対の急先鋒、総大将だったことは天下周知の事実、それと、その福田大センセー
がそれの著書の大部分を新仮名表記で出版、それもあろうことか、かの有名な「私の国語教室」の執筆の5年も前に出

版し、しかもその総数が、私の調査べた限りでも15冊、もっとよく調べれば倍以上にもなる可能性もあり、念の入っ
たことに、私の国語教室」の執筆中にも新仮名表記の本を、恥も外聞も無く、白昼堂々と出版していた。もっとも、恥

とか外聞などという言葉は福田恒存大センセーの辞書には無かったんでしょうなあ。もしそういう言葉を知っていれば、
そういう2枚舌、確信犯的行動などしなかった、ことは無かったでしょうなあ、というよりもそういう言葉を十分承知
していた上でそういう破廉恥行為を働いていたんでしょうね。

 なぜかといえば、 私の国語教室にこういう一節があります。「実藤氏(新かなづかい支持、かつかな文字論者であ
る)は(中略)かな文字を主とした分かち書きで書いて(中略)編集部に手を焼かせ、かつ原稿料を不当に稼いでいま

した(以下略)(福田恒存全集第4巻624頁)。実藤氏が分かち書きで書いて編集部に手を焼かせた事(分かち書き
で書くとどうして編集部が手を焼くかさっぱりわかりませんが)や、原稿料を不当に稼いでいたという事が本当にあっ

たかどうか、私は無いと断言しますが、もしあったとして、福田センセーはどうしてその事を知ったのか、また実藤氏
が原稿料を稼いでいたことは事実でしょうが、その原稿料を分かち書きにより不当に稼いでいたとなぜいえるのでしょ

うかねえ。こういうことを単なる憶測で天下に堂々と発表するセンセーのいやらしさ、他人が原稿料を稼いでいること
に対する福田の嫉妬心のすさまじさに対しては言うべき言葉もありませんねえ。 また私の国語教室にはこういう文章

もあります。「雑誌や単行本の編集者の中には、たくさん売るためにはどうしても「現代かなづかい」にしなければだ
めだと思い込んでいる人がおりますが(中略)、これは単なる先入観に過ぎません。試みに吉川英治氏の小説を歴史的
続く

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 17時37分

>なお、福田の著書ですが、国語関連や政治思想関連を除く、ほとんどの著書は、おそらく、福田の次男で、新かな反対運動をしている福田逸を含めた著作権承継者の許諾を得てた上でしょう、新かな表記で出版されています。

会長氏は面白い事を言ふ人ですね。会長氏に據れば、なんと5歳の逸氏が、まだ生きてゐる父の遺族として著作權を繼承し、あっぱれクライトンを新字新かなで出版するやう指示を出したらしい。
福田逸氏は1948年生れです。

会長氏、「ほとんどの著書」なんて言つてゐますが、現在「ほとんどの著書」は絶版で、入手困難です。恐らく会長氏は、「飜譯書」を「著書」と混同してゐるものと思はれます。そして、殆どの飜譯書は、シェイクスピアと老人と海ですが、新潮文庫から出てゐます。それらは全て新字新かなで出版され、全て新潮社の意嚮によるものですが、さう云ふ現状だけを見て福田氏を非難するのは妥當であると会長氏は主張する訣です。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 21時00分

野さきさま

 同じ文章を2度送ってしまいました。これを見ても、先の文章を誤って消去したことがどれほど影響しているかお分かりでしょう。まったくいやになります。
 所で貴方様は2チャンネルでお名前をよく見かけますが、相当有名らしいし、しかも皆から嫌われているようですねえ。聞くところによるとノズラーという言葉も貴方様の野さきから出たとか出ないとか。驚きました。
 私に食らいついてきた総合学としての文学こと上野祐二様も無職渡世だそうで、貴方様といい、上野さまといい、2チャンネルのご常連様は無職の方が多いですねえ。まあ、私も行きがかり上、というのは上野様が西尾幹二のインターネット日録で私に食いついてきたので、やむを得ず福田たたきを始めたというわけで、こうなったからには福田恒存センセーの名声を地獄に叩き落すまで、しつこく、多数の掲示板で福田を叩きまくりますので絶大なご支援をお願い申し上げますです。  以上

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時02分

それにしても、会長氏は、PC初心者で、既に2ちゃんねらーですか。素晴らしいDQNぶりですねえ。コピー&ペースト位は覺えておいてよろしいかと存じます。

PC初心者でウェブ初心者の会長氏に教へてさしあげますが、同じ記事をあちこちの掲示板にコピー&ペーストして廻るのは止した方がよろしい。電波な人がやりがちですが、さう云ふのはSPAMと一緒であり、マルチポストと言はれ、嫌はれます。

しかし、自分の文章はコピー&ペースト出來て、野嵜の嵜の字は出來ないなんて、会長氏は全く以て愉快な人です。和んだ。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 21時04分

野さきさま

 貴方というお方は本当に小学校の国語の授業をもう1度やり直す必要がありますねえ。著作権の継承といえば著作権者が死亡した後で発生する法的手続きの事でしょう。そういうこともわからんぼんくらでは話にならない、あほらしくなってきましたよ。これじゃあ貴方様がアホウの多い2チャンネルでさえも馬鹿にされる訳がようくわかりましたよ。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時09分

野さきさま

 ご忠告ありがとさん。総合学としての文学子と上野祐二様のご薫陶よろしきを得て、PCを始めて1月足らずで貴方様からも感心させられるくらいの2チャンネル遊びを覚えられて大変幸せであり足ますわよ。それからDQNって何のことでしょうか。初心者にでもわかるように略語はなるべく使用しないでくださいませ。

 あちこちのスレッドに文章をコピーすることはやめるようにとのご忠告ですが、このご忠告は返上いたします。私は福田の野郎の名前を地獄に叩き落すことに生きがいを覚えるようになってきましたので、2チャンネルの人々に嫌われ洋画なんだろうが、とことんやりますから。とことんで思い出しましたが、明治維新の際に官軍が行進の折に歌ったとことん節の意味をご存知ですか。もっともここでうえのように書いた後では貴方のようなアホウでも察しがつくでしょうが。以上

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時19分

野さきさま

 ご忠告ありがとさん。総合学としての文学子と上野祐二様のご薫陶よろしきを得て、PCを始めて1月足らずで貴方様からも感心させられるくらいの2チャンネル遊びを覚えられて大変幸せでありますわよ。それからDQNって何のことでしょうか。初心者にでもわかるように略語はなるべく使用しないでくださいませ。

 あちこちのスレッドに文章を複写することはやめるようにとのご忠告ですが、このご忠告は返上いたします。私は福田の野郎の名前を地獄に叩き落すことに生きがいを覚えるようになってきましたのと、それに楽しみすら感じるようになりましたので、2チャンネルの人々に嫌われようがなんだろうが、とことんやりますから。

 とことんで思い出しましたが、明治維新の際に官軍が行進の折に歌ったとことん節の意味をご存知ですか。もっともここで上のように書いた後では貴方のようなアホウでも察しがつくでしょうが。以上

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時21分

野さきさま

 1つ聞き忘れました。電波な人って何のことですか。おせーて。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時22分

野さきさま

 訂正します。私の文章中の 著書 という語を著書および訳書 と訂正します。私は貴方様のように「文学的方面には暗いので(この言葉どこかで利いたような気がします、そうだあの超有名な象徴様のお言葉の一部でしたな)」正確な表現をできませんでした。勘弁してくださいね。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時30分

野さきさま

 後もう2つ教えてくださいな。SPAMとマルチポストって何でせうか。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月21日 (日) 21時33分

>私に食らいついてきた総合学としての文学こと上野祐二様も無職渡世だそうで、貴方様といい、上野さまといい、2チャンネルのご常連様は無職の方が多いですねえ。

2ちゃんねるで話題にされてゐる事と、2ちゃんねるの常連である事とは違ふのだけれども、会長氏はそれが區別出來ないらしい。

>まあ、私も行きがかり上、というのは上野様が西尾幹二のインターネット日録で私に食いついてきたので、やむを得ず福田たたきを始めたというわけで、こうなったからには福田恒存センセーの名声を地獄に叩き落すまで、しつこく、多数の掲示板で福田を叩きまくりますので絶大なご支援をお願い申し上げますです。

上野氏なる人物は知らないが、それで福田叩きとは非道い八つ當りであるやうに思はれます。しかも、西尾氏のところでやつてゐれば良いのに、一々他所の掲示板にまで宣傳に來る。
名聲を地獄に叩き落とすとは日本語として變ですが、それにしても地獄が何うとか穏やかでない。何か現實世界でストレスでも抱へ込んでゐるのでせうか。御愁傷さまです。人を呪はば穴二つ。
「しつこく」つて、それはただの粘着でせう。惡質ですね。あなた、自分が何んなに惡い事をしてゐるのか、分つてゐないのですか。さうでせう。会長氏は自覺なさるがよろしい。

あと、たつた一人の「会」を作つて自ら「会長」に就任するだなんて、子供のまゝごとではないのだから、大の大人なら御止しなさい。アンチ福田・アンチ松原の人には、この手の子供が多くて困る。自分で自分のやつてゐる事に醉つ拂つてゐるんですな。

ええ、私はアンチの人からは相當嫌はれてゐますよ。それが何だと言ふのですか。西尾幹二氏だつて共産党とか社会党とか或はその支持者の人だとかからは相當嫌はれてゐるでせう。嫌つてゐる人が嫌つてゐる、それが何だと言ふのですか。私は会長さん、あなたが嫌ひですよ。さう言つても会長さん、あなたは何とも思ふまい。好きだ嫌ひだと云ふのが別に決定的な價値判斷でない事は自明。大體、あなたは私を不快にさせる爲に、わざわざ「嫌つてゐる人がゐる」と言つて見せてゐる、それは嫌がらせですね、会長さん、あなたは嫌がらせを平氣でする人だ。

嫌つてゐる人が多いところで評判を知らうとすれば「嫌つてゐる人が多い」と、そんな結論が出ても當り前。会長氏は2ちゃんねるしか知らないやうですが、さう云ふ視界の狹い人が大きな顔をして「地獄に落す」だの何だのと言ふのは滑稽です。大體、世間の評判だけに頼つて物事の價値を極めてしまはうとは、会長氏、頭の程度を疑はれても仕方がありませんよ。自分の頭で考へるべきだ、世間ではさう言はれてゐますね。
あー、かう云ふ風な言ひ方ばかりしてゐるから、私は嫌はれてゐるだけですね。誰某を「地獄に落してやる」とか言つても嫌はれなくて、「馬鹿」だの「頭の程度が疑はれる」だの言ふと嫌はれる。世の中つて面白いですね。呵々。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 21時33分

>私の文章中の 著書 という語を著書および訳書 と訂正します。

訂正して何うするのですか。あなたの主張は崩れたんですよ。最早あなたの今までの全ての主張は無效です。こんなところで訂正しても仕方がない、「私が今まで言つて來た主張は誤でした」と謝罪して消えるしかない。

著書と譯書は違ふ、ならば最う、会長氏の主張は崩れてゐるのです。福田氏は別に不誠實でも金の亡者でもない。福田氏の著書は殆どが正字正かなで出版されました。福田氏が金目當で本を出してゐたのでない事は明か。

譯書は著書と違ひますからね。違ふのですからね。
あっぱれクライトンに關しては、福田氏單獨譯でなく、鳴海四郎氏との共譯でもあります。さらに、出版されたのが市民文庫――文庫です。單行本ではありません。文庫と單行本とでは性質が異ります。その邊の差異を全て考慮に入れて檢討しなければなりません。会長氏は、その邊の差異を無視して、十把ひとからげに適當な價値判斷を行つてゐます。裁判でさう云ふ適當な事をやつたら、裁判官は彈劾されますね。「文學的」も糞もない。嚴密な話をしてゐるだけだ。私は別に「文學的」な事は言つてゐない。
と言ふより、「文學的」なんて非難、あなたが自分で言出した事ではないですか。自作自演は2ちゃんねるでも嗤はれますよ。或は、会長氏、自分の言葉に醉つ拂つてゐるのだらうが、福田氏が何時も批判してゐたのが自己陶醉と云ふ事だ。


SPAMとマルチポストも知らない? 本屋に行つて、インターネット關聯のコーナでも覗いたら如何。と言ふか、自分で調べる事も出來ないのですか。GoogleでもYahoo!でも、MSNでも、ウェブ檢索は出來ます。調べようと思へばすぐに調べられます。

と言ふか、無知は怖いですね、知らなければ何でも言へる。会長氏、知らないで適當な事を言つてゐるに過ぎません。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 21時43分

電波な人――とぼけるのも好い加減にして貰ひたいもの。

会長さん、あなたみたいな人の事ですよ、どこからか電波でも受信してゐるのではないか、と思はれるほど、をかしな事・珍妙な事を、どこからか飛んで來た電波に命令されてでもゐるかのやうに、やけに熱心に主張する人。
をかしな事を矢鱈熱心に主張し、しかも自分がをかしな事を言つてゐると自覺出來ない。

会長さん、あなた、自分の言ひ方が他人の目には「はね上がり」に見える、と云ふ事、自覺してゐますか。あなた、なんか物凄く嬉しさうに福田氏を「地獄に落す」なんて言つてゐますね、キモいです。と言ふか、さう云ふ「他人の人格を貶める」と云ふのを平氣でやる、これも「電波の人」の特徴です。会長さんみたいに「自分はこの世で一番偉い」みたいな勘違ひをしてゐるのですな。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 21時50分

アンチの人に――会長氏にも――御願ひしたいのだけれども、あんまり頭の惡さうな批判の仕方はしないでいただけますか。

会長氏もさうだし、例の何とか資材係もさうだけれども、福田氏批判をやつてゐるのが、2ちゃんねらーばつかり、DQNばつかり、と云ふのは如何なものか。


2ちゃんねるの常連は無職ばつかり、なんて会長氏は言つてゐるけれども、野嵜は2ちゃんねらーではありません。2ちゃんねるで話題にされてゐるらしいけれども、話題にされてゐる當人は、話題にされてゐるが故に2ちゃんねるの常連である、と言ふ事は出來ない。会長氏はそれが「出來る」と思つてゐるのかも知れないが。
一方、会長氏が2ちゃんねるの常連である事は火を見るよりも明かな事。2ちゃんねるの常連が無職ばつかりならば、2ちゃんねるの常連である会長氏が無職である事は「十分考へられる」と云ふ事になる。

会長氏、良く考へて、愼重に行動した方が良い。会長氏の今の跳ね上がりぶりは、あの資材係もさうだつたけれども、如何にも痛々しい。或意味和む。

投稿: 野嵜 | 2006年5月21日 (日) 22時11分

 恐れてゐた「福田恒存をやっつける会会長」さんの亂入が早くも現實の物となつて仕舞ひましたね。しかも想像以上に切れた、いや、切れる方のやうです。

>木村さん、糊口をしのぐためにはなんでもしていいわけですか。信念・信条というものはそんなに軽いものですか。飢えに直面しているという状況ならそういう腹の足しになぞ糞の役にも立たないものは捨ててもよいでせうが、今の世の中で、信念・信条を捨てて飢えをしのがなければならないほどの状況がありますか。特に、貴方様のように、このようなサイトで自己の信念・信条を主張していらっしゃるお方様が。私は、福田を筆頭とするそういう下等な手合いを軽蔑します。

 どうも下等で濟みません。私もいつその事、字を全然書かなくて濟む職場は無いものかと頭の中で十四秒くらゐ探してはみたのですが、なかなか嚴しいですね。それに自分の不得手な仕事をわざわざ撰んだら、喰ふ事くらゐは何とか出來ても、かうやつて夜中に自宅のパソコンで正字正假名の文章を書く餘裕なんぞ無くなるのは確實です。史上初の「書かない正字正假名派」として有名にはなるかも知れませんが、個人的には餘り嬉しくない。会長はお喜びになるかもしれませんけれども。

 そんな譯で當面の所、恥づかしながら略字新假名を使ふ仕事を續けざるを得ません。「この金の亡者め」とのお叱りは甘んじて受けませう。ここだけの話ですが、來年の長者番附に到頭私の名前が出て仕舞ふらしいのです。惡い事は出來ません。

 会長の綿密を極めた福田恆存批判に就いては野嵜さんが既に反論されてゐるので贅言は控へますが、「私以外誰も問題にせず、あたかもそういう事実が存在しなかったかのように振舞ってきたこの日本という国の不思議さ」と大見得をお切りになつた件りを讀んだ瞬間、雷のやうな衝撃に打たれました。臍を取られたかも知れません。何故今まで誰も問題にしなかつたのか。當時、「保守反動」の福田恆存の敵は現在より遙かに多かつた筈なのに。何故、何故、何故――。我々は『ダ・ヴィンチ・コード』をも上囘る恐るべきタブーの扉を開かうとしてゐるに違ひありません。

 会長におかれましては是非、今度は途中でうつかり消して仕舞つたりせず、眞相を詳らかにした論文を一刻も早く公開して下さい。「戦後論壇最大のタブーを暴く~福田恒存は"現代かなづかい"で本(翻訳書)を出していた!」と云ふ題名は如何でせうか。しかし私が幾ら眞理を愛する男とは云へ、永年崇め奉つて來た福田恆存の偶像が崩れ落ちるのは耐へ難い。嗚呼今夜は一睡も出來さうにありません。お休みなさい。

投稿: 木村貴 | 2006年5月22日 (月) 03時08分

木村様

 私のいい加減な文章に対して、野さきさまとは異なって、感情的に反発することなく冷静に反論していただいて、野さき氏と木村様との人間性の違いをつくづく思い知らされました。今後h¥もここへの投稿を続けるつもりでしたが、下記のような事情でやめることにします。ただ、続くとある文章の続きをお読みになりたいとご希望でしたら、それだけは投稿しますが、どうしませうか。

 543 :私は誰かな :2006/05/23(火) 23:01:05

福田恒存をやっつける会会長 様

  久しぶりに、感動致しました。

  会長の教えを、広めたく存じます。

544 :福田恒存をやっつける会会長 :2006/05/24(水) 10:34:17
>>543 私は誰かな様

 ご声援ありがとうございます。
 
 これまでいろいろ書いてきましたが、私のやり方は誤っていることに気がつきました。
こういう旧かな支持派の掲示板でいくら書いても無意味だということです。私の目的は

福田恒存の名声?を地に堕すことですが、旧かな支持派のところでいくら福田の誤りを
追求したところで(かのオウム真理教の麻原を信じている人にいくらその誤りを説いたところで無意味であるのと同様に〔この箇所は原文には無く、今追加したものです〕)効果はありません。そこで、私は、かなづかいなどに興味の無い人々

の掲示板で、これまでわたしが書いてきた福田非難の文章を、もっと簡単明瞭に、福田
のインチキ性を暴くことだけに集中うして書けば、少なくとも福田恒存がインチキな人

間であるという印象をそれらの人々に植え付けることができるでしょう。そういう理由
で、今後はこの掲示板にはあまり投稿しないことに決めました。なお、私にそういうこ

とを気づかせてくれたのはかの有名な 野嵜健秀さま です。同氏には感謝のぽかありません。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月24日 (水) 10時49分

木村様

 すみません、複写ばかりして。野さきさまの掲示板に投稿したものの写しです。

 (無題) 投稿者:会長 投稿日: 5月24日(水)08時27分53秒 KHP222000058190.ppp-bb.dion.ne.jp
 「井伏氏らは生涯新かなで出版しなかった」と書いたので、死後に新かなで出版したかどうかは私の関知するところでありません。死後は著作権継承者の問題です。
 分ち書きの件については、木村さんのところで書いて投稿しようとしましたが、そこに書きましたように、何せPC初心者のため、長い文章をうっかりして消してしまったのでほとんど投稿できませんでした。そのうちに投稿します。

> 批判し捲つてゐる私も、新字新かなでウェブサイト(の一部)を作つて無料でばらまいてゐますが、これも「しこたま稼いで」ゐる事になるのでせうか? 私はウェブで一錢も稼いでゐませんが。

 こういうわけのわからないことは言わないことです。明らかにいちゃもんです。私は福田のような、新かな派を非難しながら自らも新かな表記で本を出版している手合いの事を指しているだけです。

 まあ福田恒存のようなペテン師の、いかさま師の、猫っかぶりの、香具師の、モモンガーの、二足の草鞋を履いている岡っ引きの、ワンワン泣けば犬も同然、犬畜生以下、いや犬は義を貫く動物ですから福田を面罵するために犬を引き合いに出しては犬に迷惑、どぶねずみ以下、ゴキブリ以下、エイズウィルス以下の畜生野郎でも、ひとたび教祖の地位に上り詰めれば、いわしの頭も信心という輩が崇拝してくれることは、かのオウム真理教の麻原某の例を見ても明らかあります。信仰自体については何も言う必要はありません、ただ教祖を非難しているだけでありますが、無批判に信心している信者にこれ以上何を言っても無駄ですから、前の投稿に書いたように、今後私は新かな批判派のサイトではなくて、かなづかいとはまったく無関係のサイトにせっせと投稿して、福田恒存という野郎がとんでもない食わせ者、ペテン師、ゴキブリ以下の畜生であることを、かなづかいに関心の無い人に宣伝しまくろうと思っています。もちろんこれで私は『しこたま稼ごう』などとは露ほども考えてはいませんがね。


投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月24日 (水) 11時28分

>野さきさま

何度でも言ふが「野嵜」が正しい。讀みは「のざき」。

「さき」と濁らない書き方をし續けてゐる唯物主義者「会長」の嫌がらせの意圖は明白。

投稿: 野嵜 | 2006年5月24日 (水) 20時57分

投稿者 福田恒存をやっつける会会長こと武蔵大和
メール
題 名
内容(自動改行します。利用可能タグ一覧)
今晩は

 たまたま貴方のこの掲示板にたどり着きましたので、読んでみましたら中川のことに触れていらっしゃいましたので、中川について私が体験したことを書きます。

 10数年も前でしょうか。ラジオ関東、現在のラジオ日本のバ番組に、松原正とか、中川八洋とかの右翼・保守の連中が日替わりで15分ほどしゃべる番組がありました。曽野中で中川のしゃべった話には驚きました。従軍慰安婦についての話でしたが、もちろん日本ではそういうものは無かったということを話した後、ソ連軍の追軍売春婦(右翼の使う用語でしょうな)は1日に数十名の客を取る云々、という途方も無いことを断言していました。話はこれだけです。
  この文章は木村様の別の掲示板に投稿しようと思ったものでしたが、サービス停止中だそうなので、せっかく書いたものをそのまま放置するのももったいないと思ってここに投稿してみました。これまでの私の投稿とは毛色の違うものでごめんなさいな。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月24日 (水) 22時59分

>せっかく書いたものをそのまま放置するのももったいないと思ってここに投稿してみました。

何を考へてゐるんだらうなこの人。

多分何も考へてゐないのだらうけれども。

投稿: 野嵜 | 2006年5月25日 (木) 00時30分

>私のいい加減な文章に対して、野さきさまとは異なって、感情的に反発することなく冷静に反論していただいて、野さき氏と木村様との人間性の違いをつくづく思い知らされました。

 どうも。「野さき」さんと云ふ人は知りませんけれども。

>今後h¥もここへの投稿を続けるつもりでしたが、下記のような事情でやめることにします。ただ、続くとある文章の続きをお読みになりたいとご希望でしたら、それだけは投稿しますが、どうしませうか。

 いいえ結構です。

>たまたま貴方のこの掲示板にたどり着きましたので、読んでみましたら中川のことに触れていらっしゃいましたので、中川について私が体験したことを書きます。

 結構ですと申し上げても意味が無いやうですね。

>10数年も前でしょうか。ラジオ関東、現在のラジオ日本のバ番組に、松原正とか、中川八洋とかの右翼・保守の連中が日替わりで15分ほどしゃべる番組がありました。曽野中で中川のしゃべった話には驚きました。従軍慰安婦についての話でしたが、もちろん日本ではそういうものは無かったということを話した後、ソ連軍の追軍売春婦(右翼の使う用語でしょうな)は1日に数十名の客を取る云々、という途方も無いことを断言していました。話はこれだけです。

 はあ。

>この文章は木村様の別の掲示板に投稿しようと思ったものでしたが、サービス停止中だそうなので、せっかく書いたものをそのまま放置するのももったいないと思ってここに投稿してみました。

 投稿と云ふか投棄ですね。

>これまでの私の投稿とは毛色の違うものでごめんなさいな。

 餘り違はないと思ひますが。しかし何ですね、会長みたいに物凄い人が出て來ると、我々正字正假名派や福田恆存信者は枕を高くして眠れませんね。今夜は低反撥枕を使はう。

投稿: 木村貴 | 2006年5月25日 (木) 00時59分

木村様

 ここにに闖入して勝手なことを書き散らしたにもかかわらず、木村様は、どこかの誰かとは違って、裏では私を軽蔑し、からかい、皮肉をこめているかもしれないご丁寧なお言葉で、冷静に私に対応をしてくだされたことに対して、御礼を申し上げます。これ以上ここに投稿をしても意味が無いし、木村様もそれをお望みではないようなので、今後は投稿は致しません。
 正福田恒存大センセーについては、彼の本性を暴いて、下記のようにして名声を地に落とすための行動を行おうと存じます。

 まあ福田恒存のようなペテン師の、いかさま師の、猫っかぶりの、香具師の、モモンガーの、二足の草鞋を履いている岡っ引きの、ワンワン泣けば犬も同然、犬畜生以下、いや犬は義を貫く動物ですから福田を面罵するために犬を引き合いに出しては犬に迷惑、どぶねずみ以下、ゴキブリ以下、エイズウィルス以下の畜生野郎でも、ひとたび教祖の地位に上り詰めれば、いわしの頭も信心という輩が崇拝してくれることは、かのオウム真理教の麻原某の例を見ても明らかあります。信仰自体については何も言う必要はありません、ただ教祖を非難しているだけでありますが、無批判に信心している信者にこれ以上何を言っても無駄ですから、前の投稿に書いたように、今後私は新かな批判派のサイトではなくて、かなづかいとはまったく無関係のサイトにせっせと投稿して、福田恒存という野郎がとんでもない食わせ者、ペテン師、ゴキブリ以下の畜生であることを、かなづかいに関心の無い人に宣伝しまくろうと思っています。

 広い心で私の投稿をお許しくださった木村様に厚くお礼を申し上げます。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月25日 (木) 08時28分

>ここにに闖入して勝手なことを書き散らしたにもかかわらず、木村様は、どこかの誰かとは違って、裏では私を軽蔑し、からかい、皮肉をこめているかもしれないご丁寧なお言葉で、冷静に私に対応をしてくだされたことに対して、御礼を申し上げます。

 叮嚀な言葉を使つただけで襃めて戴けるのなら、お安い御用です。

>これ以上ここに投稿をしても意味が無いし、木村様もそれをお望みではないようなので、今後は投稿は致しません。

 御自由に。

>正福田恒存大センセーについては、彼の本性を暴いて、下記のようにして名声を地に落とすための行動を行おうと存じます。

 御成功をお祈り申し上げます。本懷を遂げられた暁には是非御一報下さい。

>広い心で私の投稿をお許しくださった木村様に厚くお礼を申し上げます。

 こちらこそ。ではさやうなら。

投稿: 木村貴 | 2006年5月25日 (木) 10時40分

取敢ず「会長」には、今のやうなやり方を續けてゐると逆效果だよ、と忠告。

投稿: 野嵜 | 2006年5月27日 (土) 02時12分

なんか前田先生のところに「会長」の文章が「野嵜健秀」名義で轉載されてゐたけれども、何なのだらう。

「会長」もさうだし「義」もさうだけれども、どうも「アンチ」の人々の方が、「信者」の我々よりも人格的にアレなやうに見える結果になつてゐますね。

投稿: 野嵜 | 2006年5月27日 (土) 02時19分

野崎さんへ

 前田先生というのは誰のことですか。私はそんな人は知りません。誰かが私の名前をかたっているのでしょう。前田先生のURLを教えてください。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月27日 (土) 14時15分

 もう投稿しないと宣言したのに、再三投稿してすまないと存じますが、木村さんは性温厚な方とお見受けしましたので、厚かましくもまた投稿することに致しました。無礼の点はご容赦願います。
 
 こういう文章を見つけました。木村さん覚えておいでですか。

瓦礫の家(2) 投稿者:木村貴  投稿日: 7月20日(金)07時53分37秒

歴史的假名遣には、かうした論理的混亂がありません。(略) この三點は、非論理的な言葉の使用を正當化する根據にはなり得ません。

森鴎外は「假名遣意見」を著し、歴史的假名遣の擁護を訴へました。その鴎外の作品を「現代かなづかい」に改竄して出版する事が、いかに冒涜的な所行か、お判りいただけると思ひます。鴎外が論理的な表記で美しく仕上げた「供物」を、腐つた代替材料で安つぽい代物にして仕舞ふ行爲なのです。無論、「現代かなづかい」でも、「雁」や「阿部一族」の筋は理解出來ます。しかし、それだけで良い筈がない。ガラクタで建てた家にも人間は住めますが、「こんな家に住めるか」と怒るのが全うな人間です。

 木村さんの論法をそっくり頂戴するとそうするとこういうことになりませんか。

 福田恒存は「私の国語教室」を著し、歴史的假名遣の擁護を訴えました。その恒存の作品を「現代かなづかい」に改竄して出版する事が、いかに冒涜的な所行か、お判りいただけると思います。恒存が論理的な表記で美しく仕上げた「供物」を、腐つた代替材料で安つぽい代物にして仕舞う行爲なのです。無論、「現代かなづかい」でも、「竜を撫でた男」や「総統いまだ死せず」の筋は理解出來ます。しかし、それだけで良い筈がない。ガラクタで建てた家にも人間は住めますが、「こんな家に住めるか」と怒るのが全うな人間です。

 鴎外は自分の著作や訳書を「現代仮名づかい」に改ざんすることは、生きている間は、認めなかったということですが、福田センセーは死後はもちろんですが、生きている間も、自己の思想・信念・信条などはそっちのけ、ただひたすら金をかき集めたい一心で、「本の売れ行きはその表記ではなくて、内容によって決まる」などと格好のよいお言葉をおっしゃりながら、なぜか『売れ行きのよくない』『新仮名』で表記した著書や訳書を大量に出版して「(分かち書きで)不当に原稿料を稼いでいました(この部分は、私の国語教室第6章記載の、実藤氏の分かち書きについてを非難した語句)」。これは、福田センセーが論理的な表記で美しく仕上げた「供物」を、腐つた代替材料で安つぽい代物にして仕舞ふ行爲ではあーりませんか。自分の神聖な供物を自分で冒涜しておれば世話はありません。
 福田恒存センセーが口を極めて非難攻撃した清水幾太郎センセイのほうがある意味では正直だったのではないでしょうか。清水センセイは、確かに世の中の風向きに身を任せて向きを変える風見鶏だったかもしれませんが、向きを変えたら変えたで、その向きに全身を向けて、二枚舌を使うことは決してありませんでした。ところがどうです。福田センセーときたら、俺は清水とは異なって、思想・信念・信条は一貫していると公言していながら、裏では、というか、呆れたことに表で思想・信念・信条とは違うことを公然と行っていらっしゃる。しかも誰も、論敵でさえも、そのことを指摘しない。木村貴様や野嵜健秀様を含めた、この大日本神州清潔の国の民はいったいどういう神経の持ち主なのでしょうかねえ。私にはさっぱりわかりませんわねえ。

 こういう破廉恥で、ペテン師の、いかさま師の、猫っかぶりの、香具師の、モモンガーの、二足の草鞋を履いている岡っ引きの、ワンワン泣けば犬も同然、犬畜生以下、いや犬は義を貫く動物ですから福田を面罵するために犬を引き合いに出しては犬に迷惑、どぶねずみ以下、ゴキブリ以下、エイズウィルス以下の畜生野郎から非難攻撃された清水センセイはまことにお気の毒でした。
 
 木村様、覆水盆に返らず、綸言汗の如し、天に唾吐く行為、とはいい言葉ですね。いや失礼をば致しました。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月27日 (土) 15時36分

「会長」、一週間も經つてゐるのに、未だに「資料」を提示して「福田センセーを木っ端微塵に完膚なきまでに撃滅」する事が出來てゐない、と云ふのは何だ?

あと、「轉載」の文章、うちにもマルチポストしてゐますねえ。相變らず「会長」にはウェブの常識が無いやうですねえ。他人の知性を云々する「会長」に、常識が無い、と云ふのは如何な物でせうか。


「会長」、演説に夢中で、書込み先のサイトなんて見ないんでせうねえ。「リンク」くらゐ辿つて見たら何うですかねえ。
福田氏ファンを非難してゐるから「会長」、福田ファンの事は良く知つてゐるのかと思へば、前田嘉則氏も知らない。「新仮名反対派の連中」の事も「会長」、全然リサーチしないで、適當に罵つてゐる氣配が濃厚。

投稿: 野嵜 | 2006年5月27日 (土) 17時15分

と言ふか、もし本當に福田氏關係の人を叩きたいのなら、「会長」は福田逸氏を既にターゲットにしてゐる筈だが、福田逸氏の「ブログ」に「会長」は書込みに行つてゐない。これは何なのだらう。もしかしたら「会長」、福田逸氏が「ブログ」を公開してゐる事すら知らないのではないか。

だとしたら、「会長」は自分の無知に基づいて物を言つてゐるだけ、と云ふ事になる。

投稿: 野嵜 | 2006年5月27日 (土) 17時17分

あと、今更だが。

>著作権の継承といえば著作権者が死亡した後で発生する法的手続きの事でしょう。そういうこともわからんぼんくらでは話にならない、あほらしくなってきましたよ。

あほらしいのは俺の方だ。「会長」が分つてゐないから俺は指摘したに過ぎない。
もし「会長」が分つてゐたのなら、「あっぱれクライトン」が新かなであると言ふのと福田逸氏の話とを「会長」は絡ませる事が出來なかつたはず。
「会長」の理窟がをかしい事を指摘したのだが、理窟が解らないから「会長」は表面的な反論しかできなかつた。ぼんくらは「会長」自身だ。

投稿: 野嵜 | 2006年5月27日 (土) 17時20分

どうでもいいけれども、漱石の惡口の猿眞似、派手な惡口を言はうとするイタい人は必ず眞似するけれども、見苦しいね。

投稿: 野嵜 | 2006年5月27日 (土) 19時06分

>もう投稿しないと宣言したのに、再三投稿してすまないと存じますが、木村さんは性温厚な方とお見受けしましたので、厚かましくもまた投稿することに致しました。無礼の点はご容赦願います。

 はいどうも。
 
>こういう文章を見つけました。木村さん覚えておいでですか。

 滅多な事は書けません。覺えてゐると正直に申し上げます。

>木村さんの論法をそっくり頂戴するとそうするとこういうことになりませんか。

 云はれてみればその通り、森鴎外の時代、頭が惡いのでよく想ひ出せませんが慥か昭和三十年頃だつたでせうか、夏目漱石も幸田露伴も芥川龍之介も擧つて「現代かなづかい」に乗替へる中で、さすが鴎外だけは出版社の壓力にも拘はらず歴史的假名遣を貫き通しました。それに比べて福田恆存の根性の無い事よ。

>福田センセーは死後はもちろんですが、生きている間も、自己の思想・信念・信条などはそっちのけ、ただひたすら金をかき集めたい一心で、「本の売れ行きはその表記ではなくて、内容によって決まる」などと格好のよいお言葉をおっしゃりながら、なぜか『売れ行きのよくない』『新仮名』で表記した著書や訳書を大量に出版して「(分かち書きで)不当に原稿料を稼いでいました(この部分は、私の国語教室第6章記載の、実藤氏の分かち書きについてを非難した語句)」。

 福田恆存が生きてゐる間だけでなく、「死後」もそんな淺ましい事を自らの意思でやつてゐたとは、衝撃の事實ですね。死後の世界まで御存知の会長、とても敵ひません。

>福田センセーときたら、俺は清水とは異なって、思想・信念・信条は一貫していると公言していながら、裏では、というか、呆れたことに表で思想・信念・信条とは違うことを公然と行っていらっしゃる。しかも誰も、論敵でさえも、そのことを指摘しない。木村貴様や野嵜健秀様を含めた、この大日本神州清潔の国の民はいったいどういう神経の持ち主なのでしょうかねえ。私にはさっぱりわかりませんわねえ。

 先日も申し上げましたが、論敵でさへも福田恆存の矛盾を指摘しないと云ふのは異常ですね。巨大な陰謀の臭ひがします。一刻も早く具體的な數値を記した論文をお願ひ致します。結局、福田恆存が書いた「現代かなづかい」の本は何册中何册で、それらで稼いだ利益は幾らだつたのでせう。全てを御存知の会長、焦らさないで下さい。

>木村様、覆水盆に返らず、綸言汗の如し、天に唾吐く行為、とはいい言葉ですね。いや失礼をば致しました。

 恐れ入りました。色々な意味で。

投稿: 木村貴 | 2006年5月27日 (土) 21時43分

 たびたび木村様の過去の文章を引用して申し訳ありません。引用で『原稿料を不当に稼ぐ」意図は毛頭ございませんのでお目こぼしをお願い申し上げます。

 著作と文體 投稿者:木村貴  投稿日:12月03日(金)
ショウペンハウエルの「著作と文體」といふ文章の一部です。

「今述べたやうな無謀なやり方で、二つの重要な時稱を根絶すれば、およそ國語といふものは最低の野蠻語になりさがる。だからドイツの著作家向きの初級国語學校を建て、未完了過去、完了、過去完了の相違、次に所有格と奪格の相違をも習得させることが必要であらう。(中略)たとへば"Leibnitzens Leben"〔ライプニッツの生涯〕、"Andreas Hofers Tod"〔アンドレアス・ホーファーの死〕と書かなければならないのに"Das Leben von Leibnitz","Der Tod von Hofer"と書くのである。他の國語では、このやうな文法的誤りが歡迎されるはずはない」(斎藤忍隨譯、岩波文庫『読書について 他二篇』)

隨分細かいことを言ふ、と思ひますか。こんな調子でまだ延々と「言語上の破廉恥行為」の實例をあげ、攻撃していきます。ドイツ語はよく分かりませんが、私はショウペンハウエルの自國語を大切にする姿勢を立派だと思ふ。彼は自分の思想の中に、國語とは何であるかをしつかりと位置づけてゐる。私はさういふ人の言ふことを信用する。文章の最後でこんな事も言つてゐます。まるで現代の日本人に言つてゐるやうです。「我がドイツ人は温順である。ドイツ人には怒りがない。鳩のやうである。しかし怒りを缺く者は知性を缺く」(同上)

(「言葉 言葉 言葉 掲示板」(平成11年)より)

 これが真ならば、自らが排斥している表記法をそのまま使用して文章を綴る手合いについて、ショウペンハウエルはどのような感想を抱くでしょうか。聞いてみたいものですね。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月27日 (土) 23時12分

>これが真ならば、自らが排斥している表記法をそのまま使用して文章を綴る手合いについて、ショウペンハウエルはどのような感想を抱くでしょうか。聞いてみたいものですね。

 それは死後の世界に通じた会長に是非聞いて戴きたいと思ひますが、凡人が敢へて想像すれば、かうかも知れません。

 「我がドイツでは"Leibnitzens Leben"を"Das Leben von Leibnitz"と氣取つて書く物書きはゐても、"Lied"(リート、歌)を『發音通りに』"Liet"と綴る馬鹿はゐない。然るに日本では政府が率先してそのやうな狂つた國語改變を推進し、出版界や知識人も擧つて追隨してゐると云ふ。何たる愚かな國よ。その中にあつて、福田恆存と云ふ物書きは出版社の壓力や懇請にも拘はらず、大半の著述で傳統的表記を貫いたと云ふ。立派である」

 飽く迄も想像ですが。

投稿: 木村貴 | 2006年5月28日 (日) 09時00分

>福田恆存と云ふ物書きは出版社の壓力や懇請にも拘はらず、大半の著述で傳統的表記を貫いたと云ふ。立派である」

 これではショウペンハウエルは福田を軽蔑したのではないでしょうか。

福田恆存と云ふ物書きは出版社の壓力や懇請にも拘はらず、「全ての」著述で傳統的表記を貫いたと云ふ。(立派である)」

 であれば文句つけなかったでしょうね。ただし、身体財産に危害が加えられる恐れの無い状況、福田が1945年以後死ぬまでの期間の日本はまさにそういう状況でしたが、にある場合には自己の思想・信念・信条を貫くことは、福田センセーに限らず、誰にとってもきわめて容易でありましたから、自己の主張する表記法で著述の全てを出版したとしても、それを目して福田センセーをショウペンハウエル氏は『立派である』と賞賛したでしょうかね。そんなことは当たり前だ、と歯牙にもかけなかったと思いますね。

 したがって、そのような安全な状況において、それの著述の一部どころか、1冊でも自己の主張とは相反する表記法で著述を出版したならば、その態度をショウペンハウエルは破廉恥、二枚舌、無節操などと厳しく非難したでしょうよ。

 そこのところが、木村さんや、例の野崎先生には理解できない、というよりも理解したくないのでしょうね。だって、もしそれを理解してしまうと、現在まで頼りにしてきた己のよって立つ基盤が崩壊してしまうのですから、自己否定にもつながりかねませんからねえ。オウム真理教の信者の一部?がいまだに麻原への帰依を捨てきれないのと同様でしょう。特に、22歳で月曜評論に旧仮名についての見事な論文を書くほど恒存センセに帰依なさっている野崎健秀様にとっては、たとえどのような論証を見聞したとしても、自己否定につながる脱洗脳は受け容れないでしょうね。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月28日 (日) 14時20分

>福田逸氏の「ブログ」に「会長」は書込みに行つてゐない。これは何なのだらう。もしかしたら「会長」、福田逸氏が「ブログ」を公開してゐる事すら知らないのではないか。

 福田の次男のサイトは覗きましたが、掲示板などの自由投稿場所が無かったので投稿などはしていません。もしありましたらご教示ください。それから前田嘉則氏の掲示板に私の文章が転載されていたとのことですが、前田嘉則氏のサイトにも次男さんのサイトと同様に自由投稿場所がありませんでした、これもあれば教えてください。ともかく私はインターネットを始めてまだあまり経験が無いし、野崎様と異なってIT技術を勉強する気はまったく無く、当面の用が足せればいいという考えですので、七面倒な勉強をしてあれこれしようとは思っていません。何かの操作ができなければ、本を読むとか、誰かに聞くとかしてしのいでいますしそれで十分です。

 なお、野崎様にしても木村様にしても私の意とするところを理解されていないようなので、ここにはっきりと申し上げて起きます。

 1.私は新・旧のいずれのかなづかいをも支持したり排斥したりしていません。どういうかなづかい使用するのかは、書く人の自由であります。
 2.私は、福田恒存が旧仮名を非難していたこと自体にはなんら言及していません。福田が新かなづかい論者を非難して新仮名の欠点をあげつらっている口の下で、己が非難・排斥している新仮名表記で己の著述を出版していることのみを非難攻撃しているだけであります。

 福田が何百冊の書物を旧仮名表記で出版していようが、たとえ1冊でも新仮名表記の書物を出版したとするならば、それだけで福田の信用はなくなるのが世間の常識ではないでしょうか。それとも、福田センセーは特別の存在であらせられるので、福田センセーの場合には世間のそういう常識は通用しない、と仰せならば何おかいわんやでありますね。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月28日 (日) 15時11分

>身体財産に危害が加えられる恐れの無い状況、福田が1945年以後死ぬまでの期間の日本はまさにそういう状況でしたが、にある場合には自己の思想・信念・信条を貫くことは、福田センセーに限らず、誰にとってもきわめて容易でありました

 「誰にとってもきわめて容易」。それは知りませんでした。早速明日、職場の書類を正字正假名で作成してみます。

>したがって、そのような安全な状況において、それの著述の一部どころか、1冊でも自己の主張とは相反する表記法で著述を出版したならば、その態度をショウペンハウエルは破廉恥、二枚舌、無節操などと厳しく非難したでしょうよ。

 モモンガーとも言つたでせうね。ドイツにモモンガーがゐればの話ですが。

>そこのところが、木村さんや、例の野崎先生には理解できない、というよりも理解したくないのでしょうね。だって、もしそれを理解してしまうと、現在まで頼りにしてきた己のよって立つ基盤が崩壊してしまうのですから、自己否定にもつながりかねませんからねえ。オウム真理教の信者の一部?がいまだに麻原への帰依を捨てきれないのと同様でしょう。

 人格識見とも完全無缺の会長にはお分かりにならないでせうが、私のやうに駄目な人間から見ると、「全ての著述」に到らぬまでも、多くの著作で己が信念を貫いた人は、それだけで立派に見えて仕舞ふのですよ。お笑ひ下さい。ところで会長、福田恆存が自己の主張と相反する表記法で出版したのは「著述の一部」なのですか。「福田大センセーがそれの著書の大部分を新仮名表記で出版」と云ふ最初の投稿内容と隨分食ひ違ひがあるやうですが。まさか最初の投稿は口から出任せだつたなんて事はありますまいね。そんな事が若し事實なら、会長に對する私の尊敬の念がぐらつき、己の據つて立つ基盤が崩壊しかねません。会長、はつきりさせて下さい。

投稿: 木村貴 | 2006年5月28日 (日) 23時27分

>ところで会長、福田恆存が自己の主張と相反する表記法で出版したのは「著述の一部」なのですか。「福田大センセーがそれの著書の大部分を新仮名表記で出版」と云ふ最初の投稿内容と隨分食ひ違ひがあるやうですが。

 一部がお気に召さなければ「大部分』と書き換えてもよろしいです。一部 と書いたのはたとえ一部であっても、というような意味をこめて書いたのですが、それが気に食わないというのであれば「大部分』と変更します。そう変えても私の言わんとすることは同じですから。

 野崎さんもそうですが、木村様を含めた文学系のお方は文章全体の意味からここの語句の意味を解釈するのではなくて、重箱の隅をつつくように、個々の語句それ自体を文意とは独立に解釈しようとする傾向があるのでしょうかねええ。私は新制中学を出てから、国費でスイスあたりに留学なさっ手、優雅に勉学一筋にお励みになられた木村貴先生とは違って、住み込み店員などをしながら独学でいろいろなことを勉強して、今は技術分野の翻訳をしてつきを立てていますが、新仮名排斥に血道を上げながら、自らは師の福田大センセーと同様に、量産した翻訳小説を新仮名表記で出版している、インチキ翻訳家中村保男センセイ先生もおっしゃっていますように、全体の文意を把握してから個々の語句の意味を理解しつつ翻訳するべきだそうですわよ。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 09時34分

>一部がお気に召さなければ「大部分』と書き換えてもよろしいです。一部 と書いたのはたとえ一部であっても、というような意味をこめて書いたのですが、それが気に食わないというのであれば「大部分』と変更します。そう変えても私の言わんとすることは同じですから。

 「よろしいです」と云はれても……。お言葉を返すやうで恐縮ですが、「一部」を「大部分」に變へるのは無理があるのではないでせうか。会長が具體的な數字をなかなか仰らないので野嵜さんの掲示板を覗いてみたところ、下記のやうな調査結果が出てゐました(*は木村による補足)。


謎の女
明暗・崖のうへ
人間・この劇的なるもの*
幸福への手帖
坐り心地の惡い椅子
劇場への招待
私の演劇白書
批評家の手帖
常識に還れ
私の國語教室
論爭のすすめ
私の演劇教室
現代の惡魔
國語問題論爭史
平和の理念
解つてたまるか!・億萬長者夫人
生き甲斐といふ事
總統いまだ死せず
言論の自由といふ事
知る事と行ふ事と
せりふと動き*
人間不在の防衞論議
文化なき文化國家*
問ひ質したき事ども
否定の精神
藝術とはなにか
建白書
私の英国史
平和論にたいする疑問
日本を思ふ
戲曲・武蔵野夫人
龍を撫でた男
――これらのうち、新かななのは「謎の女」と「幸福への手帖」。その他は全て正かな。


 野嵜さんの調査に據れば、そして私自身も手持ちの本で出來る限り確認した結果、福田恆存の上記主要著作32册のうち、新假名は2册のみです。飜譯についても、その主要部分を占めるシェイクスピアは文庫化以前は全て正假名だし、文藝春秋の「飜譯全集」でも無論全て正假名で印刷されてゐます。これを要するに福田恆存の著作のうち新假名で書かれたのはその「一部」に過ぎず、会長の恣意的御判斷で「大部分」に變更する譯には參らないと云ふ事です。さらに申し上げれば、「福田大センセーがそれの著書の大部分を新仮名表記で出版」と云ふ会長の最初の御投稿は嘘だつたと云ふ事です。嗚呼、己の據つて立つ基盤が搖らぐ。

投稿: 木村貴 | 2006年5月29日 (月) 12時28分

 20年ほど前に国会図書館で調べたことがありました。今では記憶がはっきりしませんが、確か、その時点で福田の出版物の数十%が新仮名表記でした。
 面倒ですが、乗りかかった船です。近いうちに国会図書館に行って、福田の全出版物を調べてきましょう。
 
 これでよろしいでしょう、木村様。少々お待ちくださいませ。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 14時49分

20年前くらいに国会図書館で調べたことがありました。今でははっきり記憶していませんが、確か福田の出版物の数十%が新仮名表記でした。

 こうなれば乗りかかった船です。今まではほとんど記憶に頼ってここや、野崎さんの掲示板に投稿していましたが、本腰を入れて文献などに当たって、揚げ足を取られないように、慎重に書くことにしましょう。面倒ですが近いうちに国会図書館に行って調べましょう。

 これでよろしいでしょうね、木村様。少々はお待ち戴けますよね。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 14時55分

 また二重投稿してしまいました。申し訳ありません。投稿エラーと表示されましたので書き直して投稿したらこの有様です。すみません。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 14時57分

>「誰にとってもきわめて容易」。それは知りませんでした。早速明日、職場の書類を正字正假名で作成してみます

 そうなさいませ。自己の信念を貫くことはきわめて大切なことです、特に貴方のような教育者にとっては。信条・信念に反することを自ら行っていながら、学生に教えを垂れることができますか。

 私のように新制中学しか出られなくとも、自から学んで、自己の信念に反しないようにしてこれまで生きてこられたのですから、木村様のように大学院にまで通って学問に専念でき、おまけに国費=税金でスイスにも留学させてもらって更に研鑽を重ねて一流の研究者になられたお方が、旧仮名で文章を著すことを貫いて生活できないわけが無いでしょう。

 ここで 渇しても盗泉の水を飲まず という昔の武士の戒めの言葉を木村様に捧げます。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 15時16分

何と言ふか、中卒の一番惡い部分が「会長」には出てしまつてゐる氣がする。別に中卒でも頭の良い人はゐるし、さう云ふ人は獨學でもちやんとしてゐるけれども、「会長」は基礎からして全然なつてゐない。

「絶對撤囘しない系」の「会長」、はつきりデータが出てゐるのに、「俺はまだ自分で調べてゐないんだ、だからお前らの反論は認めない」と言つて威張つてゐる。
最初にデータを集めておいて、それで確實な證據を握つてから批判を始める――それが批判のセオリーだが、「会長」は思ひ込みを最優先にして、データを出されて反論出來なくなつて不貞腐れてゐる。


えゝえゝ御調べなさい。その際、著書と譯書とは區別する事。單行本と文庫本・新書とも區別する事。實際のところ、福田全集第七卷を持つてゐさへすれば、單行本のデータは揃ふので、一々國會圖書館なんて行かなくても良いのだけれども、調べたければ調べなさいな。

しかし、二十年前とか言つてゐる邊、俺が前に指摘した通り、「会長」はおつさん。「会長」はとぼけてゐたが、俺の指摘は正しかつた。

投稿: 野嵜 | 2006年5月29日 (月) 20時00分

と言ふか、「会長」のは明かに中卒の僻みですな。「会長」が福田氏を誹謗する背後には、學問出來なかつた事のルサンチマンがある。俺の指摘は正解だつた訣だ。

投稿: 野嵜 | 2006年5月29日 (月) 20時02分

>何と言ふか、中卒の一番惡い部分が「会長」には出てしまつてゐる氣がする。別に中卒でも頭の良い人はゐるし、さう云ふ人は獨學でもちやんとしてゐるけれども、「会長」は基礎からして全然なつてゐない。

 そのとおりです。独学では指導者がいませんので、1つの分野の勉強をしても、とかくとっつきやすいところばかり学びますから、系統的な一貫した知識や、研究方法を身につけることができず、つまみ食いになってしまいますね。その点、国民の血税で補助してもらって、余裕を持って勉学に専念されたかたがたは、たいしたものですわね。私のようなつまみ食い勉学をやっただけのものには到底真似できません。ウ ラ ヤ マ シイ。

>俺が前に指摘した通り、「会長」はおつさん。「会長」はとぼけてゐたが、俺の指摘は正しかつた。

 はあ左様でございますか。いつそういうことをおっしゃいましたの。別にとぼけた覚えはござあませんが。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 21時47分

>學問出來なかつた事のルサンチマンがある。

 ルサンチマンてなんでざあますの、教えてくらさいな。それから、中卒の私にはドイツ語はわかりませんので、英語は本職ですからよくわかります、これからはなるべく正統日本語でお書き願えませんでせうか.

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 21時55分

驚きました。下記の2つの文章は私が誤って二重投稿したものですが、僅か6分22秒しか経過していないのにこれだけ表現が異なっています。大意はまったく同じですが、人間の、というか、私の記憶力なんていい加減なものですね。

20年前くらいに国会図書館で調べたことがありました。今でははっきり記憶していませんが、確か福田の出版物の数十%が新仮名表記でした。
 こうなれば乗りかかった船です。今まではほとんど記憶に頼ってここや、野崎さんの掲示板に投稿していましたが、本腰を入れて文献などに当たって、揚げ足を取られないように、慎重に書くことにしましょう。面倒ですが近いうちに国会図書館に行って調べましょう。
 これでよろしいでしょうね、木村様。少々はお待ち戴けますよね。
投稿 福田恒存をやっつける会会長 | 2006/05/29 14:55:28

 20年ほど前に国会図書館で調べたことがありました。今では記憶がはっきりしませんが、確か、その時点で福田の出版物の数十%が新仮名表記でした。
 面倒ですが、乗りかかった船です。近いうちに国会図書館に行って、福田の全出版物を調べてきましょう。
 これでよろしいでしょう、木村様。少々お待ちくださいませ。
投稿 福田恒存をやっつける会会長 | 2006/05/29 14:49:06


 

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月29日 (月) 22時11分

・自分語りをしたいだけなら他人の掲示板に書くな。
・自分の無知を誇るな。無知は只の耻。
・もつと謙虚になれ。

と言ふか、金金金金言つてゐるのは「会長」、あんた自身ではないですか。血税だの何だのと、詰らない事に拘る。

取敢ずGoogleとかYahoo!とかMSNのウェブ檢索は覺えようね。

投稿: 野嵜 | 2006年5月29日 (月) 22時23分

血税だの何だの言つたつて、木村さんの方が「会長」より頭が良い事は否定しやうが無いぢやないの。別に何處の學校を出てゐるなんて關係ない。それに「会長」、あんた、輕蔑してゐる大學での人間のやつてゐる「ブログ」や掲示板が無ければ、あんた、何も言へないぢやないか。木村さんだつて俺だつて、あんたみたいな人間に物を書かせる爲に金を出して「ブログ」を作つたり掲示板を用意したりはしてゐない。あんたは自分が寄生蟲である事を自覺すべきだ。せめて寄生蟲としての分際を知るべきだ。俺を罵倒しながら同じ口で「ルサンチマンてなーに」なんて物を尋ねる。某M女史の例を、あんた、讀んだだらう。あんた、見事に某M女史そつくりの行動を取つてゐるよ。詰り、あんたは問題行動を取つてゐる、と云ふ事だ。

投稿: 野嵜 | 2006年5月29日 (月) 22時29分

>20年前くらいに国会図書館で調べたことがありました。今でははっきり記憶していませんが、確か福田の出版物の数十%が新仮名表記でした。

 最初の投稿で「総数が、私の調査べた限りでも15冊」と自信満々仰つてゐた、その「調査」とは二十年前の話だつたのですか。凄い記憶力です、会長。それにしては「確か福田の出版物の数十%」といきなりトーンダウンして仕舞ひましたね。いつの間にか册數が消えて仕舞ひました。それに「数十%」とは又隨分アバウトな數字です。一體、何册中何册が新假名だつたのでせう。まさか「五册見たうちの二册」とか「三册見たうちの一册」とかなんて事はありますまいね。会長、呉々も恥をかかせないで下さいよ。

>こうなれば乗りかかった船です。今まではほとんど記憶に頼ってここや、野崎さんの掲示板に投稿していましたが、本腰を入れて文献などに当たって、揚げ足を取られないように、慎重に書くことにしましょう。面倒ですが近いうちに国会図書館に行って調べましょう。

 あのー、今頃になつて「こうなれば乗りかかった船です」だとか「近いうちに国会図書館に行って調べましょう」だとか仰るのは奇妙ではありませんか。だつて会長はここに乘り込んでいらつしやる前、「今資料を集めています」とお書きになつてゐたではありませんか。まさかあれは物證を掴んでゐるかのやうに見せかける爲の只のハッタリだつた、なんて事はありますまいね。

>これでよろしいでしょうね、木村様。少々はお待ち戴けますよね。

 じつくりお調べ下さい。出來れば二十年位。

投稿: 木村貴 | 2006年5月30日 (火) 01時15分

>>「誰にとってもきわめて容易」。それは知りませんでした。早速明日、職場の書類を正字正假名で作成してみます

> そうなさいませ。自己の信念を貫くことはきわめて大切なことです、特に貴方のような教育者にとっては。信条・信念に反することを自ら行っていながら、学生に教えを垂れることができますか。

この人皮肉が理解できないんだな、すげえな。

投稿: うさ汁 | 2006年5月30日 (火) 04時11分

「会長」つて、他人を納得させられるやうな事を何一つ言へないのに、言ふ事が偉さうなんだよね。

その癖「教へて君」だし。

投稿: 野嵜 | 2006年5月30日 (火) 20時30分

>御調べなさい。その際、著書と譯書とは區別する事。單行本と文庫本・新書とも區別する事。實際のところ、福田全集第七卷を持つてゐさへすれば、單行本のデータは揃ふので、一々國會圖書館なんて行かなくても良いのだけれども、調べたければ調べなさいな。
 私は出版物とは書きましたが、単行本、文庫本・新書などと書いた覚えはないし、野崎さんから本の体裁まで指図されるいわれはありませんし、著書と訳書をなぜ区別するか理由がわかりませんので、いやしくも福田恒存著・訳と書いてある出版物は全て対象にします。貴方に指図されるいわれは毛頭ございませんわ。

 それから、ここで思い出しましたが、貴方のサイトですでに書きましたように、私の目的は福田恒存センセーが、新仮名排斥を行う総大将の癖に、自らは新仮名で表記した出版物を出している点のみを批判しているのでありますので、それの立証は、福田名義の出版物のただ1冊が新仮名表記であることが必要かつ十分な条件ですから、木村貴様の妙な論理に引っかかって国会図書館までいって調べる必要は無いわけです。したがって、その証拠しては例えば1955年ごろ発行された『天晴れクライトン』あるいはそのころ出版された、中村保男との共訳の「アウトサイダー』を挙げるだけで十分でありますね。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月31日 (水) 22時22分

>あんたみたいな人間に物を書かせる爲に金を出して「ブログ」を作つたり掲示板を用意したりはしてゐない。あんたは自分が寄生蟲である事を自覺すべきだ。せめて寄生蟲としての分際を知るべきだ。

 左様でございますか。寄生虫で悪かったですね。もしお目ざわりでございましたら、貴方もアレクセイさんとやらのサイトで書込み禁止処分を受けたと同じように、私の書き込みを禁止したらいかがですか。私はちっとも困りませんから。

 前に書きましたように、このような旧仮名論者のサイトにいくら投稿しても無意味だとわかりましたので、ここは投稿の練習台として使っていただけです。他の、かなづかいとは無縁のサイトなどに先週から福田批判の書き込みをしたところ、現在20箇所ほど、早くも十数名の方から、私にとって好ましい反応の投稿が寄せられました。たった1週間ですごい反応ですので、今後1年間も同じ事をしたら、おそらく膨大な数の、縁無き衆生のかたがたが福田はとんでもないやつだという認識をお持ちになるでしょうねえ。

 ナチのゲッペルスだか誰かが言ってましたね、『嘘でも数多く繰り返せば真実になるとか、ならないとか』、私の主張は厳然たる事実でありますから、要はその真実を多数の人々に認識してもらうだけですね。インターネットはその点まったく便利ですね。

 いやあ、野崎さんや、木村貴様には大変お世話になりました。10日前の私と比較すると、インターットの取り扱い技術が格段の進歩を遂げたことを自覚しています。ありがとうございました。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月31日 (水) 22時36分

木村貴様

 長い間この掲示板を使わしてもらってありがとさん、さよなら

        福田恒存をやっつける会会長

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投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年5月31日 (水) 23時01分

「会長」、あんた、途中で言つてゐる事が變つてゐるんだけど? さう云ふあんたが福田氏の態度が變る事を絶對的に許さない理由は何? 多分、その方が攻撃するには都合が良いからだらうけれども?

俺は別に指圖してゐないよ。ただ、場合分けして調べるのは當り前の話だと事實を述べてゐるに過ぎない。何でもかんでも一緒くたにして論じようとすれば、矛盾で無いものも矛盾に見えてしまふ。それであんたはあんたみたいな人を騙せるかも知れないけれども、人を騙しても意味は無い。どんなにあんたが人を騙して福田氏の評價を落しても、それで福田氏の本當の價値が下がる訣ではないからだ。あんたが愚かしいやり方をして福田氏の世間の評價を落しても、解る人には福田氏の本當の價値は解つてしまふ。
正しくないやり方で非難・攻撃しても、意味はないんだよ。

一册でも新字新かなの本があれば正字正かな派の主張は全部崩れると、「さう云ふ事にしたい」と云ふのが「会長」の希望だけれども、「さう云ふ事」にすれば「会長」にとつては「都合が良い」だけの話、解る人には「会長」の御都合主義が判つてしまふし、「会長」の非難が不當である事も解つてしまふ。
「会長」、もともと福田氏の事が嫌ひな人、或は福田氏のファンを憎んでゐる人に聲を掛けて、それで「福田氏の敵がゐた」と判つて嬉しいらしいのだが、福田氏に敵は多い、別に大して喜べるものでもない。
そもそも、福田氏は讀者の敵身方がはつきり分れる――其處に福田氏の價値がある。福田氏に敵がゐたところで、別に「アンチ福田」の人間にとつて喜ばしい事ではない。大體、何んな人間にも敵身方はゐる。「会長」は、一緒になつて福田氏や福田ファンを呪へる「仲間」「身方」が存在して「嬉しい」のだらうが、「同じ考へ」の人間なんて何人だつてゐるのだし、さう云ふ「身内」同士で馴れ合ひを演じたつて意味は無い――「信者」同士の馴れ合ひが「キモい」としたら「アンチ」同士の馴れ合ひだつて「キモい」。

ちなみに「会長」、餘りにもアレなので、うちの掲示板には書込み禁止にした。アレクセイが俺をアク禁にしたのはアレクセイの方が惡性だつたからだが、俺が「会長」をアク禁にしたのは「会長」が惡質だつたから。ただ「アク禁にする」と云ふ行爲が即「惡質」である訣ではない。「会長」はその種の割切り方を好むが、さう云ふ圖式化に據る「思考」は物事の本質を考へない人間のする事だ。

投稿: 野嵜 | 2006年5月31日 (水) 23時29分

本の出版が福田氏一人の意嚮で可能でないのは事實。ならば「新仮名排斥を行う総大将の癖に、自らは新仮名で表記した出版物を出している」等と亂暴な片附け方をする事は出來ないのが道理。
「会長」は、さう云ふ非難の仕方をしても、本當に物を解つてゐる人間には通用しない、と云ふ事は覺えておくと良い。

馬鹿は騙せるだらうし、世の中、馬鹿は多いから、「会長」の同調者は多數出るだらう。それは事實だらう。けれども、俺は理想主義者だから、馬鹿が世の中を支配すべきでないと考へる。あんたが出たら目を撒き散らすと言ふのならば、俺はこれからも眞實を語り續けるだけの事だ。
「会長」が一日に千人の「アンチ福田」を作るなら、俺は一日に千五百人の福田ファンを作らう。

投稿: 野嵜 | 2006年5月31日 (水) 23時36分

>それから、ここで思い出しましたが、貴方のサイトですでに書きましたように、私の目的は福田恒存センセーが、新仮名排斥を行う総大将の癖に、自らは新仮名で表記した出版物を出している点のみを批判しているのでありますので、それの立証は、福田名義の出版物のただ1冊が新仮名表記であることが必要かつ十分な条件ですから、木村貴様の妙な論理に引っかかって国会図書館までいって調べる必要は無いわけです。したがって、その証拠しては例えば1955年ごろ発行された『天晴れクライトン』あるいはそのころ出版された、中村保男との共訳の「アウトサイダー』を挙げるだけで十分でありますね。

 お目出度う御座います。これで会長の記念すべき大論文の題名が決まりましたね。「戦後論壇最大のタブーを暴く~反新仮名の総大将、福田恆存は新仮名で本(翻訳物二冊、うち一冊は共訳)を出していた!!』。迫力滿點です。

 それにしても会長は奧牀しい方です。私の「妙な論理」通り、著作の「大部分」が新假名である事を確認しさへすれば、より效果的に福田恆存の人格を貶める事が出來るのに、敢へてそれをおやりにならないとは。感じ入ります。

>ナチのゲッペルスだか誰かが言ってましたね、『嘘でも数多く繰り返せば真実になるとか、ならないとか』、私の主張は厳然たる事実でありますから、要はその真実を多数の人々に認識してもらうだけですね。インターネットはその点まったく便利ですね。

 しかも会長はゲッペルスを遙かに上囘る頭腦の持主でいらつしやいますから、勝つたも同然です。

>いやあ、野崎さんや、木村貴様には大変お世話になりました。10日前の私と比較すると、インターットの取り扱い技術が格段の進歩を遂げたことを自覚しています。ありがとうございました。

 どう致しまして。抜群の文章力に加へ、「インターットの取り扱い技術」。鬼に金棒です。

>長い間この掲示板を使わしてもらってありがとさん、さよなら

 さやうなら。さうだ最後に御忠告。嘘吐きに御用心下さい。

投稿: 木村貴 | 2006年6月 1日 (木) 03時14分

>私の目的は福田恒存センセー が、新仮名排斥を行う総大将の癖に、自らは新仮名で 表記した出版物を出している点のみを批判しているの でありますので、

なら、福田氏のさねとう批判の話、持出す必要なかつたぢやん。「会長」の論理、福田氏のそれと全然別物だし。

投稿: の | 2006年6月 1日 (木) 09時59分

木村貴様
> さやうなら。さうだ、最後にご忠告。嘘吐きにご用心。

 ありがとう、ご忠告に従って用心します。所で、嘘吐きってどなたでしたっけ。駄部半蔵さん

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月 2日 (金) 00時28分

>ありがとう、ご忠告に従って用心します。所で、嘘吐きってどなたでしたっけ。駄部半蔵さん

 ハイお答へします。嘘吐きは「福田恒存をやっつける会会長」で御座います。福田恆存の著作の大部分が新假名なんて大嘘を吐いたので御座います。

http://66.102.7.104/search?q=cache:XJTbjqD3HYIJ:www.angelfire.com/id2/memo/HoraAre/aleme45.html+%E9%A7%84%E9%83%A8%E5%8D%8A%E8%97%8F&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=3

投稿: 駄部半藏 | 2006年6月 2日 (金) 01時27分

目くそ鼻くそを笑う、というが、蛆虫黄金虫を笑うでしょうな。

ありがとさん 投稿者:福田恒存をやっつける会会長 投稿日: 5月31日(水)22時59分16秒 KHP222000058190.ppp-bb.dion.ne.jp
>あんたみたいな人間に物を書かせる爲に金を出して「ブログ」を作つたり掲示板を用意したりはしてゐない。あんたは自分が寄生蟲である事を自覺すべきだ。せめて寄生蟲としての分際を知るべきだ。

 左様でございますか。寄生虫で悪かったですね。もしお目ざわりでございましたら、貴方もアレクセイさんとやらのサイトで書込み禁止処分を受けたと同じように、私の書き込みを禁止したらいかがですか。私はちっとも困りませんから。


といふか 投稿者:野嵜健秀  投稿日: 2月 5日(火)21時54分48秒

「遊び」の掲示板で「掲示板荒し」も糞もないだらう。
たかが「遊び」の癖に。

春風駘蕩 投稿者:真ホランド  投稿日: 2月 5日(火)21時52分21秒

みなさん! おはなしが弾んでますね! 「花園掲示板」では田中幸一さまがボクを演じてくださってますので、「議論掲示板」では野嵜さまがボクを演じてくださるんですって! 「花園」のホランドくんともども、ボクを可愛がってくださいね!

さてさて、アレクセイさま(笑)は野嵜さまを「掲示板荒し」って一貫して呼んでますね! 一貫性がある言論は立派です。アレクセイさまは立派な言論人をめざしてがんばってるんですね。ボクはアレクセイさまを応援してます!
でも、ちょっとヘンだな? とボクは思ったんです。だって、投稿者を「掲示板荒し!」と決めつけるのに、アレクセイさまは必要な手続きをとってないんですものね。アレクセイさまは、どんな投稿をする人は「掲示板荒し」なのか? を定義していらっしゃいません。これでは、管理人の道義的義務を果たしてない、ってことになりますね!
アレクセイさまは、「野嵜さんは掲示板荒しだ!」と鼻息あらく叫んでるだけです。管理人をなのりたい人は、すこし落着いて下さいね(^_^)

掲示板の管理人が、投稿者を「掲示板荒し」と呼ぶのは自由です。管理人の決めたルールを無視する投稿はよくないからです。でも、想像してください、そのルールが誰も理解できないものだったとしたら、どうですか? 管理人が「ルールを理解してない!」と言って投稿者を非難しても、「理解できないルールを決めた管理人が電波!」って印象を、第三者は持つかも知れませんね? いま、まさにアレクセイさまは、危機のがけっぷちに立たされてます。
それから、管理人はワガママをしていいのに、投稿者はしてはいけない、ってルールは、ちょっと非常識ですね! 管理人は「遊び」で投稿者をばかにしていいけれど、投稿者は管理人をどんな理由があっても批判してはいけません! なんてルールを胸を張って公開している管理人は、はたから見てて痛々しくて可哀想な印象すらおぼえます。

アレクセイさまは、「掲示板荒し!」って叫んでばかりで、反論の一つもできません。「掲示板荒し」と叫べば勝ちだ! とアレクセイさまは信じていらっしゃいます。しかし、アレクセイさまは、実はご自分が野嵜さまの批判に何一つ反論できない事を知ってらっしゃるのです。「掲示板荒し」と叫ぶたびに、アレクセイさまは自分の負けをひしひしと感じていらっしゃるのですね! アレクセイさまは虚勢をはってらっしゃいますが、ひたすら「掲示板荒し」と叫びつづけるところにその本心が見えてるのです。「遊び」で他人を罵倒して狂喜した過去の自分を、アレクセイさまは木村さまや野嵜さまの姿に見て、実はたまらなく嫌に感じてるのです。

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こんな事を言つた精神薄弱系もゐましたね 投稿者:Fankee_Jr  投稿日: 2月 5日(火)21時29分36秒

>またもし、自作自演だったとしても、それを自分のサイトでやるのは自由です。これは当たり前でしょう?

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中学生レベルだが、、、。 投稿者:花園ファン  投稿日: 2月 5日(火)12時07分52秒

英単語のfanあるいはfanaticを和訳する際、カタカナで「ファン」としておくのが無難であるせいかよく見られる。しかし、対象が人である場合は「~心酔者」、人以外の場合は「~気違い」と訳してみる事をお勧めする。勿論、翻訳とは極めて文脈依存的であり、英語と日本語が単語レベルで一対一の対応をなすという事はまず考えられないが、この例では不思議と機械的に当て嵌めてしまっても上手くいく場合が多いようだ。例えば、「本多心酔者」だとか「サッカー気違い」という風に。因みに、ismというのもalcoholismからの類推で何でも機械的に「~中毒」と訳してみても少し面白い。「マルクス中毒」だとか。しかし、これは上手くいかない例も多過ぎるか。

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大人になりなされ、アレクセイ殿 投稿者:無鬼道人  投稿日: 2月 5日(火)07時09分28秒

まあまあ木村殿、落着いて。

どうぢやらうアレクセイ殿、もはやこの掲示板と縁を切つた木村殿に、いつまでも絡むのはおよしになつたら如何かな。きちんとした證據も無しに、「木村もどき」などとまるでダブハン使ひみたいな失禮な言ひ方をしては、木村殿が怒るのも無理はない。スマートを信條とする貴殿にしては、感情丸出しの昆蟲のやうな最近の文章は、ちと大人氣ないのではないかね。

大人になりなされ、アレクセイ殿。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8991/

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しつこいんだよ非常識男の田中幸一 投稿者:木村貴  投稿日: 2月 5日(火)07時00分23秒

>ご自分の掲示板でもその「木村もどき」のお二人と「アレクセイとホランドは同一人物だ。あいつは狂っている」って頷き合っているのでしょうか?

「木村もどき」とは何だ、紛らはしい言ひ方をするな、この虚言癖野郎。第一、自分の掲示板でダブハン使つて自分と會話するなんぞ、氣狂ひのやる事だ。他人を勝手に狂人扱ひするとは、つくづく常識知らずの大馬鹿野郎だ。もう二度と私の名前をこの掲示板で出すんぢやない。そんなに私に構つて欲しいのか。「逆ファン」には困つたものだ。

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田中さん、木村を笑つてやりませう 投稿者:リントラ  投稿日: 2月 5日(火)06時33分53秒

おいおい駄目ぢやないか半藏さん、こんなところに出てきちやあ。いやあ濟みません田中さん、この半藏さんて云ふ人、ちよいと體の調子が惡くてさ。まあ「體」の中でも、肩より少し上の部分なんだけどね。それでゐて、時折なかなか鋭い事を言ふから不思議なもんだ。

ところで田中さん、こないだ御相談した件、考へて呉れたかね。ほらほら、木村の奴がさ、「もし論爭時に相手の文章を複寫・公開しない人間は卑怯者だと云ふ田中の説が正しかつたら、逆立して富士山の天邊まで登つてやる」ッて啖呵を切つた件さ。田中さんの説を正しいッて請合つて呉れる人、見つかつたかね。早く木村の奴を笑つてやりませうよ。評論家なんだから、立派な知合ひは澤山ゐるでせう?
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8991/

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男にしてください 投稿者:駄部半藏  投稿日: 2月 5日(火)06時10分54秒

駄部半藏(だぶ・はんざう)と申します。別名は……特に御座いません。「メルアド」なんぞは氣にしないでくださいませ。ここは目眩く花園、いやいや、今や表の花園を凌ぐ、裏の花園なので御座いますから。

自分がなにゆゑここに參つたかと申しますと、ただモウ、ひたすら男になりたい、それだけの理由なので御座います。聞くところによりますれば、ここなる場所は、開設以來なされた全ての投稿が「掲示板荒らし」であると云ふ、世にも稀なる掲示板であるとの由。就中、常連中の最大にして最も兇惡なる「荒らし」が、管理者御本人でいらつしやると云ふ驚嘆すべき事實。嗚呼、自分も死ぬる迄にタッタ一度で良いから、そのやうに恐ろしげな妖かしの園にて遊び戲れてみたい、掲示板荒らしの魔王が主宰する惡魔の宴の末席をば一時なりとも汚してみたい、そのやうな淫らな衝動と申しませうか、體の奧底からふつふつと沸上がる思ひを、抑へる事が出來かねたので御座います。管理人樣、惡魔の園の主樣、自分を男にしてください。立派な荒らしになります、誓ひます。

ちなみに園主樣、ソクラテスは當時のポリスにおいて、ソフィストどもから、あんまり騷々しいもので、それこそ「掲示板荒らし」的に嫌がられたさうで御座います。さうでなければ、死刑になんかならないと思ふのであります。ただし、ソクラテスは、性的嗜好だけは園主樣と同じ(?)だつたと云ふ説が御座います。(?)を意圖的にお見落しなきやうお願ひ致します。園主樣がホモ(?)と云ふ見解は、私の「當て推量」なので御座います。從ひまして、園主樣御自身の學説によりますれば、(?)さへ附ければ許されるので御座います。園主樣萬歳。

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「掲示板荒らし」の本性丸出しですね、木村貴・野嵜健秀のご両名。 投稿者:アレクセイ  投稿日: 2月 4日(月)23時31分23秒


木村さん、そんなに一人でいるのが寂しいですか? 野嵜さんだけでは足りなくて、ご自分で仲間を調達なさったんですね。でも、ご自分の掲示板でもその「木村もどき」のお二人と「アレクセイとホランドは同一人物だ。あいつは狂っている」って頷き合っているのでしょうか? 

野嵜さん、木村さんに宛てて書いた下の「年頭の助言」、調子に乗って忘れないようにね。貴方みたいな騒々しい躁病的「ソクラテス」なんて、誰も見たことがないでしょうから。イメージ戦略、イメージ戦略。

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田中幸一の掲示板 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 1月 1日(火)18時27分08秒


あそこに書き込む際には、こちらも「辛抱」をして、取敢ず叮嚀な言葉を用ゐておいた方がよろしいのではないかと。
相手がイメージ戰略で來るのなら、こちらもイメージ戰略でやり返しませう。田中は眞面 目な論爭をする氣がありません。「勝ち負け」を重視する論戰を戰つてゐる積りでゐます。
ならば、掲示板が泥沼の状態になるのは、田中の自業自得です。自分達のやり方をして田中から責任轉嫁されても仕方がありません。田中のやり方に徹底的に合はせて、却つて田中のやり方が誤つてゐる事、田中のやり方には矛盾がある事を證明すべきです。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月 2日 (金) 11時28分

なんか知らんがまたコピペか。アレクセイ-竹下義朗の「惡の樞軸」に「会長」、參加したいらしい。類は友を呼ぶ、と云ふものらしい。

「会長」は、野嵜が「イメージ戦略」と言出したかのやうに言つてゐるが、アレクセイの方が「会長」のやうに叮嚀語を使ふイメージ戰略を採つて來てゐるから、それに對抗したら何うかと言つただけ。「会長」は、何でも責任を野嵜におつ被せようとしてゐるが、さう云ふ牽強附會のやり方の虚僞は、見る人間が見れば判るから、やめた方がよろしい。

それから、「会長」は、野嵜が「会長」をアクセス禁止にしたのは野嵜が反論出來ないから、と云ふ「事にしたい」らしいが、事實として野嵜の指摘に「会長」が反論してゐないのだから、さう云ふ「イメージ戦略」で「勝ち」を演出しても無意味。「会長」にしてもアレクセイにしても、「事實で負けてゐるのに、イメージ戦略で買つた事にみせかける」と云ふ眞似をしてゐるから駄目。

投稿: 野嵜 | 2006年6月 2日 (金) 19時18分

と言ふか、『坊つちやん』の讀者である「会長」は、讀んで『坊つちやん』を理解したのか? もしさうなら、何うして「会長」は、赤シャツみたいな眞似を出來るのだらう。

「会長」が赤シャツの「イメージ戦略」を愛するのと違つて、俺は坊つちやんの正義を愛する。

投稿: 野嵜 | 2006年6月 2日 (金) 19時20分

 ええと申し譯ありませんが会長、俗世には立つ鳥跡を濁さずと云ふ諺もありますので、未練がましく見られかねない言動はお慎みになつた方が宜しからうと存じます。

 会長はネット初心者でいらつしやるやうなので念の爲申し上げます。アレクセイ氏の掲示板での私(木村)や野嵜さんの發言を延々と複寫なさつてゐますが、既に私の「友人」の駄部半藏さんがリンクを張つて呉れてゐて、どなたでも參照出來るのですから、わざわざ複寫なさる必要はありません。サーバー容量や電力の無駄遣ひは止めませう。

 寧ろ会長の最初の御投稿からじつくり讀んで、「嘘吐き」が誰なのか知らうとしてゐる讀者にとつては、閲覽しにくくなつて迷惑するだけです(まさかそれが会長の狙ひだとは露ほども思ひませんが)。ネットの世界では、簡潔な引用を出來ない人間はそれだけで馬鹿とみなされます。御用心下さい。

 それにしても私と駄部半藏との「關係」を一目で見拔き、「嘘吐きはどつちだ」と反撃された会長の眼力には、尋常ならざるものがあります。考へてもみて下さい。「駄部半藏」などと云ふ平々凡々たる姓名を見て、これが木村のダブハンだとピンと來る人間が日本に何人ゐるでせうか。

 嘘吐きが困つた時の常套文句。「あいつの方が俺よりも嘘吐きだ」――おつと濟みません、これは駄部半藏さんからの傳言です。

投稿: 木村貴 | 2006年6月 3日 (土) 02時31分

木村貴様
>ええと申し譯ありませんが会長、俗世には立つ鳥跡を濁さずと云ふ諺もありますので、未練がましく見られかねない言動はお慎みになつた方が宜しからうと

 左様でございますね。そういうことわざの対象は、お利口さんのお鳥様についてのもので背うから、世界三(四)大馬鹿の1つ(2つ)武蔵大和、を別名としている会長には通用いたしません。ただ、過去に、アレクセイさんのARGUMENTという掲示板を野崎と一緒になって散々荒らして、閉鎖に追い込んだ貴様さんのおっしゃるお言葉ともいえませんなあ。因果はめぐる小車の
という言葉もあるじゃああーりませんか。   >サーバー容量や電力の無駄遣ひは止めませう。

 なんて言うけち臭い、引かれ者の小唄のような泣き言は、多額の血税で補助を受けて学習に専念でき、、スイスにまで留学させていただいたを国立大学教師のおっしゃるお言葉ではございませんことよ。さすがに、他人の原稿料が気になって、主著にまでそのことを書いている、ペテン師の、いかさま師の、猫っかぶりの、香具師の、モモンガーの、二足の草鞋を履いている岡っ引きの、ワンワン泣けば犬も同然、犬畜生以下、いや犬は義を貫く動物ですから福田を面罵するために犬を引き合いに出しては犬に迷惑、どぶねずみ以下、ゴキブリ以下、エイズウィルス以下の畜生野郎である卑しい破廉恥漢福田恒存大センセーを私淑なさっていらっしゃる貴様さまのことだけありますわね。
投稿者:野嵜 投稿日: 6月 2日(金)23時03分52秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
「会長」は、一方的に自分勝手な解釋を並べ立て、野嵜の批判を默殺しただけだつた。一方的な演説では話が成立たない、だから、こちらとしては書込みを禁ずるしかない訣だが、さうすると、ただ「書込禁止にした」と云ふ現象だけを捉へて、「会長」は勝利宣言を出す。實際には、「会長」は野嵜の批判に全く答へられず、撤退に次ぐ撤退を繰返しただけだつた。「会長」の發言を良く見てみると、野嵜の批判でそれまで繰返し述べてゐた事柄が、あとの發言では全く見られなくなつてゐる事に氣附く。それでも「会長」が意氣軒昂だつたのは、水戸黄門の印籠の樣に、「正字正かな派の福田氏が新字新かなで出版した」と「矛盾」を突き附ける事が出來たから――否、「出來ると思つてゐた」からだつた。だが、その「矛盾」が、時間的に見れば矛盾でなく、また、出版の事情から見ても「情状酌量の餘地」がある事は既に指摘されてをり、さうした指摘を無視する事によつてのみ、「会長」の主張は成立つに過ぎない。
要するに、「イメージ戦略」として「会長」は自分の立場を「勝利」に「見せかける」努力はしてゐるが、論理的に「会長」の主張は破綻してゐる。そして、「論理的な主張の破綻」と云ふ事實だけが問題なのであつて、「会長」は論理的には敗北してゐる。それを「イメージ戦略」に據る「勝利」が糊塗する事は出來ない。

アレクセイにしてもさうだが、「会長」は「イメージ戦略」を餘りにも重視し過ぎる。それは、福田氏の「名声」だけを「会長」が重視してゐるのを見れば判る通り、ただ、「人の評價」「世間の目」だけを「会長」が意識してゐるに過ぎないからだ。が、さう云ふものだけを追究するのは單なる「論戰」に過ぎない。「論爭」ならば、互ひに主張を示し合つて、その主張を支へる論據・證據を持出して、それらの組合せによつて、論理的な説得力を持ち得た方が勝つ。が、その「勝ち負け」は、「イメージ」でなく「論理」に據つてのみ極まる。それが「会長」にもアレクセイにも分つてゐない。彼等は、氣に入らない人間を面罵する事を「批判」だと信じ、それをしつこく續ける事を「一貫した批判」だと勘違ひしてゐる。ただ、目の前の人間を不愉快にさせればそれが「自らの勝利だ」と勘違ひしてゐる。しかし、「正しい事」「眞實」の追求のみが、論爭の目的でなくてはならない。「相手を不快にさせた」=「相手が間違つてゐる」と、例の「資材係」だか新霊光輝だかは勘違ひしてゐたし、例の白波氏もさう思ひ込んでゐる節があつたが、アレクセイも、或は「会長」もまた、その思ひ込みを持つてゐる。人を不快にさせるのは、「義」のやうな嫌がらせでも可能なのであり、それだけでは「勝つた」事にならない。論爭の勝ち負けは、飽くまで論理的に正しいか否かによつて決る。

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(無題) 投稿者:野嵜 投稿日: 6月 2日(金)22時49分48秒 61-24-239-144.rev.home.ne.jp
やつぱり福田さんは偉いと思ふよ。のちのち――と言ふか、當時もだけれど――「会長」みたいな人に非難・攻撃される事は、福田さんも判つてゐた筈。國字改革が強行されて以來、正かな派は肩身が狹くて、正かなで物を書く人も「出させていただく」「個人的な趣味を貫かせていただく」と云ふ感覺を持つてゐた。だから多くの人が敢て大きな聲で國字改革反對を主張しなかつた。だからこそ、何んなに非難されようが、表記の問題は公の問題で、國字改革は一般的に許されない事だと主張した福田さんは勇氣があつた。他人樣を批判しない代りに自分は好きな事を「やらせていただく」――それは、謙虚なやうだけれども、怯懦であつたとも言へる。そして、そのやうな状況下に正かな派を置く事、既成事實を作つて反對派の立場を豫め惡くしておく事が、國字改革推進派の狙ひだつた。正かな派の人間であつても、出版界の状況が國字改革支持一邊倒に陷つてゐたのが戰後だつた。さう云ふ状況下で、例へば金田一京助のやうに、國字改革を主張しながら「慣れた正かなで書く」と云ふのは、矛盾であつた。正かなで書かなくても良い状況があつたからだ。けれども、「正かなで書いても良い」と云ふ状況が無かつた事は、意識して國字改革を議論する必要がある。慥かに、正かなでも賣行きは落ちる訣ではない――が、「落ちるものだ」と信ずる出版社・編緝者の「常識」が「成立してゐた」。この事は、「出版して貰ふ」側の執筆者にとつては大變不利なものとなる。だからと言つて安易に妥協して良いと云ふものでないのは明かだから、敢て福田氏は「率先して」新かなに走る執筆者・編緝者を批判した。一方で、しかし、さう云ふ編緝者・出版社の「常識」を打破して、正かな派が社會的・公共的な立場で正かなによる出版物を「出して貰ふ」、それは依然、困難であつた。そこでは、現實的に「妥協」があり得る。「あり得る」のである。妥協とは、矛盾を承知で、敢て現實に從ふ事であり、そこでは矛盾が常に存在する。が、「あり得る妥協」について、我々は「矛盾である」として非難する事は出來ない、出來ない、と言ふより、許されない。我々に可能なのは、「その妥協」が「許されない」ものであつた、と云ふ時の非難だけである。妥協が「あり得る」ものであるならば、最早、矛盾も妥協も非難の根據たり得ない。そこで非難を續けるのならば、それは誹謗であり讒謗である。
さう云ふ誹謗・讒謗が行はれるのが國字問題の世界である――それを福田氏が承知してゐなかつた筈がない。だからこそ福田氏は、例へばさねとう氏を挑發したのであり、或は金田一氏を槍玉に舉げたのである。何と言つても、「最早、國字改革は既成事實であり、論爭する價値すらない」と云ふのが、戰後の状況なのである。さう云ふ状況下で、挑發は、「論爭を喚起する」爲に必要な事だつた。福田氏を非難する人々は、その論爭の喚起そのものを迷惑と感じてゐるものである。今更(既成事實がある以上、彼等にとつては「今更」なのだ)「廢止された表記の復活」を叫ぶ福田氏――國字改革をやり遂げ、さらにそれを推進して行かなければならないと信ずる表音主義者は、否、表音主義的な國字改革の下で成長した、生れながらの新字新かな使ひの人は、「正しい」と云ふ事を根據に現實を否定する福田氏の行爲を、批評的・批判的な行爲と見る事が出來ず、迷惑行爲として「處理」しようとした。しかしながら、何んな人間にも正義の觀念はある。だから「正しい國語表記」と言ふ福田氏を、「現實の維持」だけで押潰す事は出來ない。それで、「会長」もさうだが、福田氏の批評行爲を、「他人を侮辱するもの」「誹謗中傷」に「見せかける」、それによつて福田氏を惡人と極附ける、さう云ふ「戰術」によつて、福田氏の批判を封殺しようとした。福田氏を「惡」の側に置く事で、彼等は自分逹を「正義」に見せかける。だが、「現状維持」と云ふ事を彼等は「正義」に見せかけてゐるに過ぎない。「世の中を紊すのは惡い事だ」「他人を非難するのは惡い事だ」――「アンチ福田」の人は、或は「会長」は、さう云ふ「和を以て尊しとなす」日本人にとつてはとても判り易い「論理」を展開する。だが、眞の敵は、批判を招いた表音主義者・國字改革推進論者の側である。福田氏は、眞の敵を正確に捉へ、國民に注意を呼びかけたに過ぎない。その言ひ方が挑發的であつた、それを「アンチ」は強調するが、挑發的なのは批判の常套手段であり、全く問題がない(問題視するのは批判を封殺するのが目的である)。「会長」が、殊さら福田氏の人格を論ひ、福田氏の發言を恰も誹謗であるかのやうに見せかけるのは、「みなさん! 福田氏の言ふ事を聞かないやうにしましょう! 聞いてはいけません!」と云ふ事であり、要は、福田氏の論理を、第三者には知らせないやうにしようと云ふ事なのである。なぜそんな事をするか。福田氏の論理は、理性のある人間ならば、受容れざるを得ない眞實だからである。福田氏の論理を打破れないから、周圍の人間の目から福田氏の論理を隠蔽しよう――それが「アンチ」の「戰術」なのである。

投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月 3日 (土) 12時59分

>左様でございますね。そういうことわざの対象は、お利口さんのお鳥様についてのもので背うから、世界三(四)大馬鹿の1つ(2つ)武蔵大和、を別名としている会長には通用いたしません。

 馬鹿ではなく大馬鹿でしたね。

>ただ、過去に、アレクセイさんのARGUMENTという掲示板を野崎と一緒になって散々荒らして、閉鎖に追い込んだ貴様さんのおっしゃるお言葉ともいえませんなあ。因果はめぐる小車のという言葉もあるじゃああーりませんか。

 アレクセイとその「友人」のホランドが私の掲示板を先に荒らしたのであつて、私は反撃したに過ぎません。その事實がなぜ、会長が私のブログを荒らして良い理由になるのだか教へて貰ひたいものです。

 大量のコピー&ペーストは「どぶねずみ以下、ゴキブリ以下、エイズウィルス以下の畜生野郎」しかやらない迷惑行爲ですので、お止め下さい。

投稿: 木村貴 | 2006年6月 3日 (土) 13時39分

アレクセイのところ、閉鎖になつたの?それは僥倖。

えーと、アレクセイは俺に反論出來ないからアク禁にしたのだと「会長」も認めざるを得ない筈ですが? それとも、たちの惡い荒しである「会長」は、自分がアク禁にされたのも當り前だと暗に言ひたい訣ですか?

それにしても「会長」の行動、あからさまに個人攻撃になりつゝありますね。最早「福田恆存粘着」から「野嵜粘着」「木村さん粘着」に。
「会長」は、福田さんを潰したい、野嵜を潰したい、木村さんを潰したい、と、さう願つてインターネットを荒してゐる状態ですね。

他人を陷れる劃策をする一方で、口調だけは馬鹿叮嚀。「会長」は赤シャツそのまんま。福田恆存は高校を辭めさせられる時、生徒に『坊つちやん』を朗讀して聞かせたさうです。金儲けが好きなら、わざわざ校長に楯突いて教師を辭めさせられるなんて事はしませんね。


インターネットでは、他人の文章を轉載し捲る奴が惡質な厨だと相場が決つてゐる。

投稿: 野嵜 | 2006年6月 3日 (土) 17時14分

と言ふか、俺がいつアレクセイのところを荒したと「会長」は言ふのだらう。アレクセイが「正しい」と思つてやつてゐる事を俺もやつた、それだけの話だ。そこでアレクセイが俺を「荒し」と呼ぶのなら、それは本質的にアレクセイ自身が荒しである事を證明してゐるに過ぎない。

と言ふか、福田氏の「言行不一致」を非難してゐる「会長」は、アレクセイの言行不一致もまた非難すべきであつた。それをしないでひたすら俺を非難したのは、ただ、俺を罵る事だけが「会長」の目的だからだ。「会長」は、眞理や正義ではなく、ただ、個人攻撃だけに興味を持つてゐる。

投稿: 野嵜 | 2006年6月 3日 (土) 21時08分

>と言ふか、無知は怖いですね、知らなければ何でも言へる。会長氏、知らないで適當な事を言つてゐるに過ぎません。
投稿 野嵜 | 2006/05/21 21:43:36
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>と言ふか、「会長」のは明かに中卒の僻みですな。
投稿 野嵜 | 2006/05/29 20:02:45
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>學問出來なかつた事のルサンチマンがある。
 ルサンチマンてなんでざあますの、教えてくらさいな。
投稿 福田恒存をやっつける会会長 | 2006/05/29 21:55:47

「と言ふか、」で文を始めるのは、「ちゅーか」、「つーか」で話を始める連中と同レベル。
↓野嵜はこの「投稿者: あ」と同類。日本語になっていない。

http://543.teacup.com/No_Z/bbs?OF=90&BD=1&CH=5
(無題)  投稿者: あ  投稿日: 6月19日(月)22時03分47秒 wbcc3s12.ezweb.ne.jp
つーかキモいんだよ旧字ばっか使いやがって。それで頭良く見せかけたつもり?この低脳がw

>「会長」が福田氏を誹謗する背後には、學問出來なかつた事のルサンチマンがある。俺の指摘は正解だつた訣だ。

「ルサンチマン」などという単語を平気で使う野嵜は「國語の傳統」も何も考えていない。

辭書を引くと佛語で ressentiment,強者に對する弱者の憎悪や復讐衝動などの感情が内攻的に屈折している状態で、「怨恨【ゑんこん】」、「遺恨【ゐこん】」と譯すらしい。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%B3&stype=0&dtype=2

最近、野嵜を名乘る人物が「日本の知性、野崎健秀です。このサイトの過去ログをみました。いいか、きつく申し渡したぞ。国語の勉強でもしたまえ」などと專ら「2ちゃんねる」の落書き版に書きまくっているらしい。本物の野嵜なら自分の名前を「野崎」とは書かないし、「国語」でなく「國語」と書くはずで、一目で僞者とわかる。下手な芝居だが知らない人は騙されるかもしれない。

>黄の正かな非難は、「蝶々」がなんで「てふてふ」なんだギコハハハ式の、無知に基いた好い加減な非難でしかない。

1年前、2005年6月末の野嵜の文。いまだに意味不明。彼の文は文末を省いた標語のような形がほとんど。相手の各論を突くだけで全體として言いたいことが傳わって來ない。

「福田恒存をやっつける会会長」氏は各地の掲示板を徘徊しているようで、私の掲示板にも幾つか書き込みをして來ましたが、彼は自分の home page や掲示板を持っていないようなので、此方から回答や質問などをしたくても意思疎通の方法がありません。

自稱「正字正假名派」は目下、單なる福田恆存個人の本の宣傳屋か敎條主義の宗敎團體と化しており、全く辯證法になっておらず、これでは大衆を動かすことができません。

「常用漢字」「現代假名遣い」の縛りを無視した出版社や新聞社、編輯・校正者養成學校でも創って實社會で動きを見せる必要があります。

尤も、其の場合、當然、羅馬字だけや假名だけの日本語による新聞社や出版社も出て來る結果になります。それはそれでいい。
「戰後」國語改革からの自由とはそういう物です。

もし、本當に「假名遣い」が同音語の辧別のためにあるなら、漢字を廢して「表意假名」だけで「くわうかい(黄海)を とほり(通り)、こうかい(紅海)へ かうかい(航海)に でても(出ても) こうくわい(後悔)しない」と書いても意味を辧別できるはず。
しかし實際は「醫療」も「衣料」も「いれう」で、「科學」と「化學」は「くわがく」で區別できない。
以前、「假名の缺陷でなく假名だけで書く缺陷だ」と某「舊假名派」が反論したようだが、それは「假名では同音語の辧別など不可能、同音語の書き分けは漢字の役割」であるのを認めたことになり、「科學、化學」という漢字さえ書けば讀み假名は兩方とも現代假名遣いの「かがく」でいいという結論になり、これは「終戰」直前表記派の自殺點。

世間の出版社の多くは「擴張新字體を使わない」事を決めており、其れは「常用表外字は正字だけ」にしている限定的「正字派」。「戰後」の漢字簡略化に逆らっています。
「常用漢字」の枠など無意味となっており、寧ろ、この「枠」のせいで略字と非略字が混在し、學習負擔を增していると言えます。

投稿: hwangdongyang2002 | 2006年7月23日 (日) 13時55分

http://kimura39.txt-nifty.com/hell/2006/06/post_58c3_2.html
もう終わりましたが、「W杯報道を中止せよ」は確かに其の通り。

日頃「愛國心」を嫌惡している朝日新聞等の媒體【メディア】が、いざ世界杯【ワールドカップ】となると日本全體が蹴球ファンであるかのような報道をして「日本應援」の大騒ぎ。

世間では日本代表を應援しないと「非國民」扱いされたようです。

一面やテレビ欄で日の丸の寫眞を出しており、朝日新聞とテレビ朝日の二枚舌には呆れ果てました。
これでは卒業式の「日の丸」への起立をした敎師を辯護した報道は何なのか。

日本代表が途中で敗退して、やっと報道がまともになり、朝日が投書欄で「W杯報道に違和感」という意見を載せたり、大會が終わると「素粒子」で「これでアナウンサーの絶叫を聞かされずにすむ」と他人事【ひとごと】扱い。

この朝日新聞では、戰爭をさんざん煽【あお】って、負けたら戰爭を人のせいにして責任逃れをしたのも「さもありなん」と想えました。

投稿: 黄東洋hwangdongyang2002 | 2006年7月23日 (日) 14時04分

訂正
「W杯放送を中止せよ」でした。
失禮しました。

投稿: 黄東洋hwangdongyang2002 | 2006年7月23日 (日) 14時06分

黄東洋樣

投稿有り難う御座います。何だかどこからが引用でどこ迄が地の文だか良く分からないので當惑してゐるのですが、見當をつけてお答へします。なほ野嵜さんの批判は別の然るべき場所でやつてください。

>自稱「正字正假名派」は目下、單なる福田恆存個人の本の宣傳屋か敎條主義の宗敎團體と化しており、全く辯證法になっておらず、これでは大衆を動かすことができません。

正字正假名キャラの着ぐるみでも着て街頭に立ちませうかね。

>「常用漢字」「現代假名遣い」の縛りを無視した出版社や新聞社、編輯・校正者養成學校でも創って實社會で動きを見せる必要があります。

良いですね。しかし問題は先立つ物。

>尤も、其の場合、當然、羅馬字だけや假名だけの日本語による新聞社や出版社も出て來る結果になります。それはそれでいい。
「戰後」國語改革からの自由とはそういう物です。

同感です。カナモジ新聞やローマ字本、大いに結構です。さう云ふ新聞や書籍が賣れるかどうかは別問題ですが。

>もし、本當に「假名遣い」が同音語の辧別のためにあるなら、漢字を廢して「表意假名」だけで「くわうかい(黄海)を とほり(通り)、こうかい(紅海)へ かうかい(航海)に でても(出ても) こうくわい(後悔)しない」と書いても意味を辧別できるはず。
しかし實際は「醫療」も「衣料」も「いれう」で、「科學」と「化學」は「くわがく」で區別できない。
以前、「假名の缺陷でなく假名だけで書く缺陷だ」と某「舊假名派」が反論したようだが、それは「假名では同音語の辧別など不可能、同音語の書き分けは漢字の役割」であるのを認めたことになり、「科學、化學」という漢字さえ書けば讀み假名は兩方とも現代假名遣いの「かがく」でいいという結論になり、これは「終戰」直前表記派の自殺點。

ええと、今一つ飲み込めませんが、少なくも私はさう云ふ特殊な主張はしてゐないと思ひますので、御勘辧下さい。

>世間の出版社の多くは「擴張新字體を使わない」事を決めており、其れは「常用表外字は正字だけ」にしている限定的「正字派」。「戰後」の漢字簡略化に逆らっています。
「常用漢字」の枠など無意味となっており、寧ろ、この「枠」のせいで略字と非略字が混在し、學習負擔を增していると言えます。

仰る通り、略字と「非略字」の混在は問題です。ですから全部「非略字」、即ち正字體で統一すれば良いのです。全ての漢字には正字體があるのですから、簡單でせう?

投稿: 木村貴 | 2006年7月23日 (日) 20時39分

>ええと、今一つ飲み込めませんが、少なくも私はさう云ふ特殊な主張はしてゐないと思ひますので、御勘辧下さい。

「假名の缺陷でなく假名だけで書く缺陷だ」は野嵜の書いた文です。この人は相手の各論を細かく突くのは得意ですが、全體としては何が言いたいか、論點が定まっていません。

まあ、世俗の國語傳統表記派もいろいろあるようで、必ずしも一人が代表者ではないとは言えます。
「食道」と「食堂」が兩方「しよくだう」というのも不便です。

>仰る通り、略字と「非略字」の混在は問題です。ですから全部「非略字」、即ち正字體で統一すれば良いのです。全ての漢字には正字體があるのですから、簡單でせう?

その通りです。
「常用漢字枠」など覺えるだけ無駄です。新聞で「だ捕」と「拿捕」が頻出しており、これは「拿」が本來、常用であることの證據です。

また、「現代假名遣い」は表音化の一里塚だったはずですが、今の日本では「現代假名遣い」の先を行く「わたしわそーゆーのがすきです」式の表音主義を「誤り」とするのですから、もう「戰後國語改革」の表音主義の方針すら無意味になっています。

尚、「福田恒存をやっつける会会長」は相當、無禮で輕率な人物で、私や人の投稿に對して勝手な決め付けで嘘八百を並べて罵詈雜言を書き捲くっています。つまり、人の惡口しか書けない。

この手の人物は、日本の文字状況をするといった巨視的な論議が一切できず、自分が批判されたから嫌だとか、相手が氣に喰わないといった私的感情以外に書くネタがありません。

そもそも、福田恆存個人の言動や性格をいくら批判して何の意味があるのでしょうか。
「会長」は單なる「福田恆存批判オタク」で、誰も關心持っていない故人を引っ張り出して罵倒しているだけ。天下國家に關わることではありません。

投稿: 黄東洋hwangdongyang2002 | 2006年8月29日 (火) 16時33分

>>「常用漢字」「現代假名遣い」の縛りを無視した出版社や新聞社、編輯・校正者養成學校でも創って實社會で動きを見せる必要があります。

>良いですね。しかし問題は先立つ物。

>>尤も、其の場合、當然、羅馬字だけや假名だけの日本語による新聞社や出版社も出て來る結果になります。それはそれでいい。
「戰後」國語改革からの自由とはそういう物です。

>同感です。カナモジ新聞やローマ字本、大いに結構です。さう云ふ新聞や書籍が賣れるかどうかは別問題ですが。

所謂「正字正假名」の儘の本も賣れるかどうか別問題です。
しかし、そういう出版が爲されないのは、「舊字舊假名」や「羅馬字だけ、假名だけ」のような「變わった表記の本」は「賣れない」という決めつけが出版界にあるからでしょう。
賣れるかどうかでなく、賣るかどうかで、要するに啓蒙と宣傳、廣告が重要です。
尚、羅馬字、假名表記であれば、所謂「歴史的假名遣ひ」で假名だけの表記にする方法(こくくわいをかいくわいする=國會を開會する)や、「歴史的假名遣ひ」での羅馬字化(kokukwai wo kaikwai suru=國會【こくくわい】を開會【かいくわい】する)もあり得ます。假名・羅馬字運動が必ずしも表現音主義とは限りません。

投稿: 黄東洋hwangdongyang2002 | 2006年9月 3日 (日) 18時51分

>賣れるかどうかでなく、賣るかどうかで、要するに啓蒙と宣傳、廣告が重要です。

啓蒙・宣傳・廣告も重要かも知れませんが、それ以前にまづ内容でせうね。

投稿: 木村貴 | 2006年9月 3日 (日) 23時59分

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