« 轉 居 | トップページ | あまカラ氏の誤解(2) »

2006年4月15日 (土)

あまカラ氏の誤解(1)

 「あまラ日記」の「ある思想家の末路」より。

 ところが松原においてはこれがいつの間にか文学は政治より重要な問題だ、という意識に変質している。例えば、かつて講演で松原が「北朝鮮による拉致問題などどうでもいい」と放言したのを聞いたことがある。まあ、聴衆向けのリップサービスであろうし、大目にみたいところではあるがその神経を疑わざるをえない発言であった。

 あまカラ氏が聽いたとみられる平成十六年十月の早稻田における講演で、松原正氏は慥かに「拉致問題などどうでもいい」と「放言」したが、それだけで話を止めた譯ではない。平成十八年四月二日の「闇黒日記」でも指摘してゐるやうに、では政治は何をすべきかと云ふ自らの考へを明確に述べてゐた。又、別の講演では「拉致された人が歸らない方が良いと云つてゐる譯ではない。歸つて來た方が良いに決まつてゐる」とも發言してゐる。殘念ながら上記二つの講演の正確な記録が手元に無いので、代りに平成十六年十一月の國語問題協議會における講演記録(「國語國字」第183號所收)から拉致問題に触れた箇所を引用する。

 今の人たちは、痛切な問題、大切な問題に對してどうしてかうも鈍感なのでせう。拉致問題もさうです。最近でこそ政府も政黨もマスコミも騒いでゐるけれど、それ以前はどうだつたか。政府は拉致の事實を掌握してゐながら、事なかれ主義で默殺し續けた。國の役割は國民の生命財産、安寧秩序を守ると云ふ事にしか無いのですよ。國民の中の三百人、千人はおろか一人であつても二人であつても外國に拉致されたのなら、しかも國家意志の發露として國家機關に拉致されたのなら、その犯罪國家に對して武力行使を含めた強硬措置を以て臨むべきです。まあ、平和呆けの現在の日本が武力發動するのは無理としても各種の嚴しい制裁措置は當然取られるべきです。私が總理大臣なら、「よし、歸さないと云ふなら仕方無い。これ以上、拉致問題の協議なんかやらない。お前の國とは一切附合はない。あとは制裁あるのみだ」と言つてやる。まさにそれだけの話ぢやないですか。ところが、こんなに長い間、數百人も拉致されたのに何の制裁も加へてゐない。それを今頃になつて、何で騒ぐのか。騒げるやうな空氣になつたから騒いでゐるのでせうよ。(「福田恆存の思ひ出」)
 至極眞當な發言だと私は思ふが、あまカラ氏は如何であらうか。

|

« 轉 居 | トップページ | あまカラ氏の誤解(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30565/9607600

この記事へのトラックバック一覧です: あまカラ氏の誤解(1):

« 轉 居 | トップページ | あまカラ氏の誤解(2) »