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2006年4月26日 (水)

世界共和國の惡夢

 岩波新書リニューアル版第一册、柄谷行人『世界共和国へ』を買ふ。砂を噛むやうな文章で拾ひ讀みするだけでも辟易する。まどろつこしいので結論を見る。
 

人類はいま、緊急に解決せねばならない課題に直面しています。それは次の三つに集約できます。
  1 戦争
  2 環境破壊
  3 経済的格差
 これらは切り離せない問題です。ここに、人間と自然との関係、人間と人間の関係が集約されているからです。そして、これらは国家と資本の問題に帰着します。国家と資本を統御しないならば、われわれはこのまま、破局への道をたどるほかありません。

 柄谷氏は文藝評論家でもある筈だが、彼が掲げる三つの「課題」は政治の領域に屬する事柄ばかりである。それでも論じ方によつては本質的な人間論になり得よう。しかし「単に政治問題を政治問題として論じ」れば、それこそ「諸君!」や「世界」の誌面を毎月賑はすやうな、數箇月で誰も讀まなくなる政治パンフレットの類に堕す。柄谷氏の著書は正しくそれなのである。例へば戰爭に關する處方箋はかうである。

 われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、それによって国際連合を強化・再編成するということです。たとえば、日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものです。各国でこのように主権の放棄がなされる以外に、諸国家を揚棄する方法はありません。

 柄谷氏には先づ支那や北朝鮮に「軍事的主権の譲渡」を呼び掛けて貰ひたいものだと云ふ皮肉はさて置き、假に世界中の國が國際聯合に軍事的主權を目出度く譲渡し終へた暁には、國聯は現在のアメリカをも凌ぐ強大な力で「一極支配」を恣にする事になる。その時若し國聯が不正な武力行使で特定の國を侵略したら、一體全體、誰が止めるのか

 「常に正しい人間が國聯の軍事力を掌握すれば間違ひは起こらぬ。若し武力行使をしたとすれば、それは正しいのだ」と正直に答へる程、柄谷氏は馬鹿ではないだらう。しかしそれ以外解答は無い。「國聯も間違ふかも知れないから、矢張り軍事力は各國にお返ししませう」では元の木阿彌だからだ。

 ところが現實には「常に正しい人間」が存在しない以上、「國聯は常に正しい」と云ふ虚構を權力で強制し、人間を「統御」しない限り、柄谷氏の「素晴らしい新世界」は存續し得ない。そんな世界に住むのは眞平御免だと私は思ふ。以上のやうな問題點は誰でも氣附くと思ふのだが、柄谷氏の本を熱心に讀む善男善女はさうでもないらしい。

 因みに柄谷氏が擧げた「三つの課題」に就いて私はかう考へる。

 1、戰爭=人間は平和と同じく戰爭をも好む。従つて戰爭は無くならない。無理矢理無くさうとすれば世界は却つて非人間的なディストピアに向かふ。
 2、環境破壊=私有財産制に基づく資本主義を貫徹すれば環境問題は克服出來る。人間は己の財産を大事にするからである。トマス・アクィナス曰く「何人も共通に萬人若しくは多數の人の物であるところの物よりも、專ら自己に歸屬するものの管理に當りより注意深くある」。舊ソ聯や東獨等が示したやうに、自然環境は社會主義の下で寧ろ極度に惡化した。
 3、經濟的格差=人間の個性能力が多種多樣である以上、經濟的格差が生ずるのは自然である。經濟的格差を人爲的に無くさうとすると人間は勤労意慾を失ひ、經濟全體の「パイ」が縮小する事は、此又舊社會主義諸國が證明してゐる。國民の間に百から五までの格差がある國と全員が平等に一である國のどちらが經濟的に豐かかは云ふまでも無い。

 私は政治問題に就いて書くのも好きだ。しかし「最大の問ひ」はそれ以外にあると思つてゐる。

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コメント

快説、樂しく拜讀。「愚者の蜜」に吐き掛ける「木村さんの毒」と云ふところですか。しかし、馬鹿を相手にするのは疲れますね。

投稿: 平成山人 | 2006年4月26日 (水) 09時04分

いつも有り難う御座います。

投稿: 木村貴 | 2006年4月27日 (木) 01時06分

突然失礼します。環境問題は未来の他者から財産を奪っているのですから想像力の問題でもあります。ただし人間のそうした想像力はネーションの枠をこえない場合があります。『世界共和国へ』p95で指摘される「罪の感情」(ニーチェ)への回収などはその例です。また、個人的所有を重視しているつもりでもそれ自体が国家所有にすぎない場合があります。単なる私的所有(個人所有との違いは定本『トランスクリティーク』p253を参照)は税金によって国家に回収されているからです。こうした分析は国家(戦争)/ネーション(環境)/資本(経済)を交換様式として把握し、その相関関係を見ていくことで可能になります。そうした位相を見ていくことの大切さ(及び新たな位相の存在)を本書は教えてくれます。

投稿: 関本洋司 | 2006年4月28日 (金) 11時20分

 コメント有り難う御座います。

>環境問題は未来の他者から財産を奪っているのですから想像力の問題でもあります。

 我々が「未来の他者から財産を奪っている」かどうかを判斷する上で、環境汚染と云ふマイナス面だけに着眼するのは片手落ちです。經濟成長と云ふプラス面にも着目し、その差引勘定を考へなければなりません。「成長より環境」と云ふ特定の價値觀を押し附けられた未來世代が果たして喜ぶかどうか、私は甚だ怪しいとにらんでをります。

投稿: 木村貴 | 2006年4月29日 (土) 00時43分

はじめまして。
「世界共和国へ」の検索結果からこのサイトに来ました。
この本は私にとっては非常に興味深い本でした。
遅らせばせながらこの本についての記事を書きましたのでリンクを張っておきます。

たしかに、現実どうするのかはあまり示されていない本ですね。

投稿: SakuraPlan | 2007年8月 5日 (日) 05時18分

柄谷氏は政治家になつた方が良いと思ふ。

投稿: n | 2007年8月 7日 (火) 20時31分

 柄谷氏が資本主義の「構造的問題」として擧げてゐる「共同体崩壊による人の心の問題」「環境破壊」の雙方とも、事實に即して考へてみると、甚だ疑はしいと私は考へてゐます。

 第一に、柄谷氏は資本主義による「共同体崩壊」の隙を衝く形で宗教やナショナリズムがのさばつてきたと云ふ意味の事を書いてゐますが、そもそも世界の主要な宗教が興つたのは少なくとも近代資本主義の成立以前です。また、ナショナリズムは舊社會主義諸國にもありました。

 第二に、環境破壞も資本主義特有の問題ではありません。寧ろ舊社會主義圈における自然破壊の方が深刻だつた事が明らかになつてゐます。また、資本主義による技術革新は公害や資源の浪費を減らしつつあります。

投稿: 木村貴 | 2007年8月 9日 (木) 01時41分

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