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2006年2月15日 (水)

moral sensibility

 英語による思考法は日本語の思考法とはまつたく別のプロセスを經て機能する。それを會得するには、まづ日本語とどう違ふかをはつきり認識してかかるのが、じつは最も近道なのである。しかしこのためには、かなり高度の日本語の知識を必要とする。日本語の水準は高ければ高いほどよい。この點私は英語の幼兒教育を重視しない。それどころか、大人になつてから英語を學ぶことに大きな利點を認めるものである。それは何かと言ふと、日本語に關するゆるぎのない自信である。自國語こそどんな人からも取りあげることの出來ない個人の財産であり、コミュニケーションの利器である。
 此處迄の件りは、藤原正彦先生が讀んで大いに喜びさうな内容である。しかしその先が全然違ふ。
 終はりに本辭典は、日本の英語研修者が英語の獨自性を探求するプロセスにおいて、英語の体質である捉はれることのないvisionと、moral sensibilityを自然のうちに感得せられることをひそかに願つて編まれたものであることを申し添へておく。
 英語を話す民族の捉はれることのない想像力や道徳的感性を日本人が自分の物に出來るかどうかは兔も角、この文章の筆者は他民族に謙虚に學ぶ姿勢を忘れてゐない。アメリカ人は經濟力軍事力だけが取り柄で道徳心は日本人の足下にも及ばない、などと書くやうな夜郎自大のナショナリストとは對照的である。引用は『日英語表現辭典』(ちくま學藝文庫)の「はしがき」より。筆者は最所フミ。  

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