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2005年10月30日 (日)

吾は點に與せん

 電車の棚にトンカツ辨當を忘れる。それは兔も角、政治主義者の孔子も私的な自由に憧れ、尊重したと云ふ美しい逸話。論語先進篇より。

 點、爾は如何と。瑟を鼓すること希なり。鏗爾として瑟を舍きて作つ。對へて曰く、三子者の撰に異なりと。子曰く、何ぞ傷まんや。亦各々其の志を言ふなりと。曰く、莫春には、春服既に成る。冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風じ、詠じて歸らんと。夫子喟然として歎じて曰く、吾は點に與せんと。

 [弟子達に將來の抱負を聞いてゐた孔子は、最後に曽皙に向かひ、]「點(曽皙の名)よお前はどうぢや」と問うた。曽皙は今まで先生と兄弟弟子三人の問答を聞きながら、静かに瑟をポツンポツンとひいてゐた。コトリと音をさせて瑟を置いて立ち上がり、「私は三君の抱負とはおよそ種類を異にしてゐますから」と遠慮した。ところが、孔子は、「めいめい思つたことを言ふのだから、何も遠慮することはいらないよ」といつた。そこで、曽皙は答へて、「晩春の好時節に、春服に輕く着替へをして、元服したばかりの二十歳ぐらゐの青年五、六人と、十五、六歳のはつらつとした童子六、七人を連れて郊外に散策し、沂の温泉に入浴し、舞雩の雨乞ひ臺で一涼みして、歌でも詠じながら歸つてきたいと存じます」と言つた。これを聞いた孔子は、深い溜息をつきながら、「わしも點の仲間入りがしたいものだなあ」と言つた。(吉田賢抗通釋)

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2005年10月25日 (火)

出版計劃・野望篇

 若し私が正字正假名遣復權の爲の本を作るとしたら。

 (1)百頁程度のコンパクトな入門書。「正字正假名はなぜ美しいか」「正字正假名はなぜ合理的か」の二部構成とする。
 (2)正字正假名による名文撰。『本物の國語で味はふ日本の名作』『絶版文庫で味はふ本物の國語』等。
 (3)正字正假名で書かれた、兔に角面白い本。知的興奮を味はへるなら内容問はず。
 (4)正字正假名の用語辭典は、作らない。時間・勞力がかかり過ぎるし、現在市販されてゐる國語辭典(大抵正假名遣が記載されてゐる)で當座の用が足りるから。
 (5)『語源の樂しみ』。假名遣と語源の關係についてのコラム集。(1)の入門書で書くにはディープ過ぎる語源の蘊蓄話をこれでもかと云ふくらゐ詳しく書く。誰も知らない田舍の地名の由來等、思はず膝を打つ話題滿載。

 どこかの殿樣か御大盡が養つて呉れれば喜んでやるのだが。特に(1)(2)(3)。

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2005年10月24日 (月)

撰んだのは日本人

 國語問題關係者の集りで、誰だつたか「日本中のパソコンに入つてゐるファイルを全部正字正假名に變へて仕舞ふウィルスが出來ませんかね」と冗談を云ひ、思はず笑つて仕舞つた事がある。確かに新種のウィルスでも誕生してくれない限り、正字正假名が一時的にでも復活する望みはまづ無い。何故か。
 まづ政治的な手段を考へよう。正字正假名を義務づける法律を國會で作らせよう。民間まで直接縛る事は無理でも、役所が公文書の表記を正字正假名に變へ、「新聞・出版もこの表記を尊重する事が望ましい」と一言通達しさへすれば、お上に弱い日本人の事、忽ち右に倣へで正字正假名が復活するだらう、かつて略字新假名が瞬く間に廣まつたやうに……否。
 そもそも正字正假名を義務づける法律なんぞ出來る筈が無い。今は戰後のどさくさではない。大衆民主主義の世の中である。國會議員や高級官僚と雖も、大衆や、大衆を顧客とする新聞・出版界の意に反して略字新假名を廢止出來る道理が無い。裁判に略字新假名の不正を訴へても無駄だ。裁判官も大衆の便利を第一に考へるからである。
 では文化的手段に轉じよう。日本の代表的知識人や文學者、それも出來れば全員に、正字正假名で書いて貰はう。正字正假名でなければ原稿を渡さないと出版社や新聞社に通告して貰はう。知識人文學者が大衆に範を示せば、正字正假名の文章が當り前になれば、そこで初めて、政治的手段が成功する可能性も生ずる……否。
 そんな夢のやうな話が實現可能なら疾くの昔に實現してゐる。日本の知識人文學者の大部分は國語表記なんぞに關心は無い。關心が多少あつても現状を變へようとまでは思はない。或いは喰ふ爲にはそんな閑人のやうな事を言つてゐられない。福田恆存はじめ正字正假名派知識人の多くが健在だつた頃からさうだつたのだから、今更何をか云はんや。
 サミュエル・ジョンソンは云つてゐる、「人類は知的な苦勞への甚しい嫌惡を持つてゐる。しかし知識が簡單に入ると想定しても、多分大部分の人間はわづかな手數をかけてそれを手に入れるよりは、無知のままで滿足する方を撰ぶだらう」。正字正假名派はまづ、この苦い眞實を噛み締めるべきである。文部省や國語審議會や日教組が惡いから「不正字不正假名」が普及したのではない。日本人自身がそれを撰んだのだ。こんな國で正字正假名が自然に復活する事はあり得ない。
 繰り返すが、政治を動かさうとしても無駄である。まづは文化的手段に着手するしかない。個人で出來る事に限りがあるとすれば、組織でやらざるを得ない。難しいのは、明確な目的意識を持つた指導者が全體を纏めないと組織は迷走すると云ふ事である。

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2005年10月22日 (土)

訂正

 國語問題協議會講演會の懇親會の開始時間を六時から五時半に訂正しました。又、「秋期」の語を削除しました。
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/kouenkai77a.htm

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2005年10月17日 (月)

國語問題協議會「第七十七囘講演會 御案内」

國語問題協議會ウェブサイトより。日附が「十月十九日」となつてゐますが、インターネット讀者向け特別サーヴィスと思つてください。講演會そのものは「十一月十九日」です。


盛秋の候、皆樣には益々御健勝のことと存じます。

さて、左記の通り、本協議會の秋期講演會ならびに懇親會を開催致します。萬障御繰合せの上御出席賜りますやう御願ひ申上げます。

平成十七年十月十九日

                                           國語問題協議會事務局長 谷田貝 常夫

* 事務局 〒一四六―〇〇八五 東京都大田區久ヶ原三丁目二十四ノ六
* 電 話 〇八〇―三四一一―五五〇一
* 電 送(ファックス) 〇三―五九〇八―九三五六
* 電子メイル 0359089356@mail.keikaibox.com
* 電網頁 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/

                記

* 一、日 時---十一月十九日(土)午後二時三十分より
* 二、會 場---日本倶樂部 大會議室(有樂町 國際ビル八階) 千代田區丸の内三丁目一の一(〇三―三二一一―二五一一)
* 三、演題と講師
o 翻譯あれこれ---飜譯家・評論家 中村保男
o 小學校に於ける歴史的假名遣の教育---都立足立高等學校教諭 中澤伸弘
o これからの假名遣戰略を考へる---高崎齒科醫院院長 高崎一郎
* 四、懇親會---講演會終了後、同所別室にて午後六時五時三十分から
* 五、會 費---講演會參加費一千圓、懇親會費六千圓(學生は割引あり)

※事務局のファックスと電子メイル番號が變更になつてをりますので御注意ください。

※會場の國際ビルは帝國劇場のあるビルで、JR東日本山手線「有樂町」驛、東京メトロ有樂町線「有樂町」驛下車すぐ。

※『國語問題協議會四十五年史』は刊行が遲くなつてゐますが、年内の豫定です。

※刊行豫定の『國語問題協議會通卷DVD』は、當協議會機關誌『國語國字』の第一號から百八十五號までをDVD一枚に納めたもので、會員は大幅割引となります。

                                                                以上

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2005年10月 2日 (日)

ローマが燃えるのを見ながら

 御陰樣で松原先生の講演會を無事に終へる事が出來ました。皆樣有り難う御座いました。本日のお話の關聨情報。

 [週刊朝日は]間缺的に横紙破りの蠻勇を揮ふのもよいが、「輕薄短小」となつた朝日ジャーナルを横目に見つつ、もつと巧妙な手口で保革を問はぬ知的・道義的怠惰を剔抉して貰へまいか。[中略]オーウェルはヘンリー・ミラーを評して、「ローマが燃えてゐる時も、焔を直視しつつヴァイオリンを彈く」と言つた。週刊朝日がまさか、『諸君!』の尻押しは出來まいが、ニクラスだの新一萬圓札だのといふ無難な話題を提供するだけでなく、せめてもの事、焔を直視しながらヴァイオリンを彈いて貰ひたいと思ふ。(松原正「週刊朝日の糞度胸」、地球社『續・暖簾に腕押し』所收)

 そのオーウェルのミラー評を含む文章は次の通り。
 彼[ミラー]は「革命的」作家たちの大多數よりもはるかにしつかりと西洋文明のやがて來たるべき沒落を信じてゐると私は思ふ。ただ彼はそれについて何かする義務を感じないだけだ。彼は、ローマが燃えてゐる時にヴァイオリンをひいてゐるのだ。しかしこんなことをする連中の多くと違つて、自分の顔を炎に向けてひいてゐるのである。(ジョージ・オーウェル「鯨の腹のなかで」、鶴見俊輔譯、平凡社『オーウェル評論集3』所收)

 オーウェルによれば、西洋にも焔を直視せずにヴァイオリンばかり彈いてゐる手合ひは少くないらしいのですが、日本に「焔を直視しながらヴァイオリンを彈」く、すなはち、公と私の二元論を理解して物を書く知識人が殆ど存在しない事は確かです。

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