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2005年7月21日 (木)

縱書きは頭が良くなる

 石川九楊『縦に書け!』(祥傳社)を讀む。日本語は縱に書くべしと云ふ趣旨には概ね同意するが、ところどころトンデモな記述が。

 住むはずの住居や鑑賞し楽しむはずの美術品はもとより、人間と社会のための生産、サービスの組織である企業までが投資、投機の対象となり、株や債券等、金融商品という名の、ほとんど使用価値がゼロの、俗に言う「ただの紙切れ」の商品が、大手を振ってまかり通っています。(20-21頁)
 企業を投資対象とする事が許されないなら、株式會社と云ふ制度を廃止しなければならなくなるのですが。債券が怪しからぬのなら、政府は國債を發行出來なくなり、企業は社債を發行出來なくなり、經濟は滅茶苦茶になつて仕舞ふのですが。
 最近の新聞では、知りたい情報が読めて、「なるほど」と納得できる記事が少なくなっています。不十分なデータのような記事が多く、また、独りよがりで、書いている記者だけが楽しんでいるようなコラムもよく目につきます。これは新聞記者の質が低下したということではなく、パソコンを使って記事を書くようになったせいです。(118頁)
 確かに、手で書いてゐた昔の新聞記事は良かつた。戰前の朝日新聞なんかもう最高でした。
 私は、以前、会社勤めをしていたことがありますが、そのときに、経営計画や企画書は縱書きにすべきだと思いました。[中略]当時の経営者も社員も、計画を立てるとなると、奇想天外と思えるほど楽観的な右肩上がりの図を描くのです。事実、過大なベースアップと将来を見越しての大量採用の翌年は、利益が激減し、ベースアップゼロというおかしな結末を迎えました。これも経営計画が横書きされるが故に出現する問題点です。縱書きにしていれば、もう少し抑制が働くのですが、横書きになると、歯止めがきかず、どんどんと昂揚し、先走り、舞い上がってしまうのです。(169-170頁)

 と云ふ事は、今のやうにバブルが破裂して元氣の無い時代は、横書きを獎勵すべきですね。縱に書く悲觀的な社員は首。それから、縱書きで企劃書を作つてゐたお蔭で經營が成功した會社はあるのでせうか。あるならホリヱモンに教へてやらないと。さて最後に極めつけ。

 こんなことを想像してください。漢字の元になった甲骨文には、およそ四千ほどの文字がありますが、もしその頃にワープロがあったとしたら、いまはどんな社会となっていたでしょう。正答は、現在もなお神権的王が絶対的権力を有する古代社会を脱けてはいなかったということになります。書くことで字数を増やし、表現力を高め、それに応じて社会のあり方を変えてきたのですから、文字が最初に登録した四千字のままで止まった社会は、古代そのままで何も変わりません。(53頁)

 古代社會にワープロがあつたら、今はどんな社會になつてゐたか――。誠に深遠な問ひですが、私の囘答は石川先生と少々異なります。多分、電源が無くて右往左往する古代人の樣子を描いた壁畫が發見されるでせうね。なほ、原文は勿論すべて縱書き。

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コメント

お久し振りです。
此の度は暑氣拂ひに恰好の話題を拜讀して愉快でした。世の中には素つ頓狂な事を書く人がゐるものですね。それに對する尊兄の輕々とした突つ込みも、吉本興業的お笑ひセンスを凌駕してゐて笑へました。

それにしてもワープロ乃至パソコンの登録漢字、數は兎も角、正字フォントはもつと充實して欲しいものですね。
あつ、かういふ眞面目なコメントをこの記事に附するのは野暮ですか。折角の暑氣拂ひを臺なしにしてしまふやうで……。

投稿: 北面窟 | 2005年7月21日 (木) 10時21分

 有り難う御座います。漢字の正字體は決めにくい要因もあるやうですけれども、どれが正字體かは兔も角、色々な字體さへ揃へて呉れれば、後は使ふ側で撰べるのですが。但し、「蝉」「掴」「涜」だの、「唖」「鴎」「祷」だの、無理矢理拵へた嘘字はこれ以上「充實」して貰ひたくないものです。

投稿: 木村貴 | 2005年7月21日 (木) 22時59分

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