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2005年7月31日 (日)

野暮は論外

 ちよつと古いが、石原慎太郎都知事の「フランス語は國際語失格」發言への反應で、唯一微笑ましかつたのがこれ。フランスが好きならフランスの才氣を感じさせるやうな事をやつて呉れ。裁判なんて野暮は論外だ。

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日經ビズテック

 最新號が出ました。松原先生の連載「パソコンとハムレット」第四囘は、「政治を超えるものがある」。バックナンバーもあるから買つた買つた。

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2005年7月28日 (木)

テロと西洋文明

 七月七日のロンドン爆破テロから五日後、オランダの裁判所で、ある殺人事件の公判が開かれた。昨年十一月、映畫監督のテオ・ファン・ゴッホがアムステルダムの路上でイスラム過激派の若い男に銃殺された事件である。
 ゴッホはイスラム社會での女性虐待を告發する映畫「服從」で、女の裸體にコーランの言葉を描いてみせ、イスラム教徒の反感を買つた。自轉車で仕事場に向はうとしてゐたゴッホに二十六歳の男は六發の銃彈を浴びせ、喉を引き裂く。遺體の上に「神の意思による」と記した聲明文を殘し、警官と銃撃戦の末逮捕された。
 男の名をムハンマド・ブイエリと云ふ。モロッコからの移民の二世で、オランダとモロッコ雙方の國籍を有してゐる。テレグラフの報道によると、法廷に立つたブイエリは裁判官に向ひ、殺害の事實關係を認めたうへでかう言ひ切つた。「我が教への名において行動したのだ。もし自由の身になつたら同じ事をやるだらう」。そして傍聽席にゐた被害者の母親に向き直り、かう言つた。「お前の痛みは感じない。同情も感じないと認めざるを得ない。お前の爲に感ずる事は出來ない、なぜならお前は信者でないからだ」。

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2005年7月21日 (木)

縱書きは頭が良くなる

 石川九楊『縦に書け!』(祥傳社)を讀む。日本語は縱に書くべしと云ふ趣旨には概ね同意するが、ところどころトンデモな記述が。

 住むはずの住居や鑑賞し楽しむはずの美術品はもとより、人間と社会のための生産、サービスの組織である企業までが投資、投機の対象となり、株や債券等、金融商品という名の、ほとんど使用価値がゼロの、俗に言う「ただの紙切れ」の商品が、大手を振ってまかり通っています。(20-21頁)
 企業を投資対象とする事が許されないなら、株式會社と云ふ制度を廃止しなければならなくなるのですが。債券が怪しからぬのなら、政府は國債を發行出來なくなり、企業は社債を發行出來なくなり、經濟は滅茶苦茶になつて仕舞ふのですが。
 最近の新聞では、知りたい情報が読めて、「なるほど」と納得できる記事が少なくなっています。不十分なデータのような記事が多く、また、独りよがりで、書いている記者だけが楽しんでいるようなコラムもよく目につきます。これは新聞記者の質が低下したということではなく、パソコンを使って記事を書くようになったせいです。(118頁)
 確かに、手で書いてゐた昔の新聞記事は良かつた。戰前の朝日新聞なんかもう最高でした。
 私は、以前、会社勤めをしていたことがありますが、そのときに、経営計画や企画書は縱書きにすべきだと思いました。[中略]当時の経営者も社員も、計画を立てるとなると、奇想天外と思えるほど楽観的な右肩上がりの図を描くのです。事実、過大なベースアップと将来を見越しての大量採用の翌年は、利益が激減し、ベースアップゼロというおかしな結末を迎えました。これも経営計画が横書きされるが故に出現する問題点です。縱書きにしていれば、もう少し抑制が働くのですが、横書きになると、歯止めがきかず、どんどんと昂揚し、先走り、舞い上がってしまうのです。(169-170頁)

 と云ふ事は、今のやうにバブルが破裂して元氣の無い時代は、横書きを獎勵すべきですね。縱に書く悲觀的な社員は首。それから、縱書きで企劃書を作つてゐたお蔭で經營が成功した會社はあるのでせうか。あるならホリヱモンに教へてやらないと。さて最後に極めつけ。

 こんなことを想像してください。漢字の元になった甲骨文には、およそ四千ほどの文字がありますが、もしその頃にワープロがあったとしたら、いまはどんな社会となっていたでしょう。正答は、現在もなお神権的王が絶対的権力を有する古代社会を脱けてはいなかったということになります。書くことで字数を増やし、表現力を高め、それに応じて社会のあり方を変えてきたのですから、文字が最初に登録した四千字のままで止まった社会は、古代そのままで何も変わりません。(53頁)

 古代社會にワープロがあつたら、今はどんな社會になつてゐたか――。誠に深遠な問ひですが、私の囘答は石川先生と少々異なります。多分、電源が無くて右往左往する古代人の樣子を描いた壁畫が發見されるでせうね。なほ、原文は勿論すべて縱書き。

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2005年7月 5日 (火)

アフリカの貧困

 6日から英國グレンイーグルズで始まる主要國首腦會議(G8サミット)に合はせ、世界各地で同じ日にロックコンサートを開き、アフリカ支援への關心を高めようとする試み「ライブ8」が2日始まつた。東京を皮切りにロンドン、ローマなどで開催。全世界で計200萬人以上の結集を見込んでゐる。 /20年前にエチオピア饑餓への關心を呼びかけた同樣の企劃「ライブ・エイド」の生みの親でロック歌手のボブ・ゲルドフさんが仕掛けた。ロンドンのハイドパーク會場では、ロックバンド「ピンク・フロイド」が四半世紀ぶりに復活することもあつて、20萬5千人分の無料チケットがすぐにはけた。U2やポール・マッカートニーさんも出演した。 http://www.asahi.com/international/update/0703/001.html
 アフリカ支援、結構な事である。「ライブ8」の效果が早くも現れたのか、七月三日付朝日新聞朝刊國際面記事「英、農業補助削減狙ふ」によれば、サミット議長國のイギリスでは、欧州連合(EU)の農業補助金制度の見直しを提唱してゐると云ふ。
 英國によるかうした外交姿勢は、EUの農業補助金への批判につながつてゐる。「EUが域内の農家を保護してゐるために、競爭力の弱いアフリカの小規模農家が壓迫されてゐる」との論理だ。/英國の對アフリカ支援の推進役であるブラウン財務相は6月29日、ロンドンでのユネスコ主催の會合で演説。農業補助金を批判して「先進國の僞善をこれ以上、無視するわけにはいかない」とさへ言つた。/農業補助金は獨佛主導でつくられ、主にフランスなど農業大國が恩惠を受けてゐる。
 イギリスの政治的思惑は兔も角、理屈のうへではブラウン財務相の云ふ通りであつて、ヨーロッパが巨額の税金で自國の農民を保護してゐる爲に、アフリカの農民は販賣競争で苦戰を強いられ、困窮から脱する事が出來ずにゐる。以前引用した事のあるジョージ・オーウェルの文章を再び引く。
 たまに彼ら[左翼の諸政黨]は、イギリスの勞働者がアジアやアフリカの收奪からある程度利益を受けたことは認めたが、しかしつねに、われわれは收奪をやめてもなんとか繁榮を維持できるといふふうに思はせた。事實、多くの勞働者は自分たちが搾取されてゐると聞かされて社會主義に走つたのだが、しかし世界的立場から見れば、彼らこそ搾取者だつたのである。(ジョージ・オーウェル「作家とリヴァイアサン」、小野協一譯)http://kimura39.txt-nifty.com/hell/2005/04/post.html
 アフリカの貧困を救ひたければ、各國政府は農業補助金をはじめとする保護制度を廃止すべきだし、國民もその決斷を支持すべきである、假令農民の收入が減らうとも。かう云ふ結論にボブ・ゲルドフやU2が贊成して呉れるかどうかは分からないが、「自由な交易は経済厚生を向上させる」と云ふ經濟學の原理に照らせば少なくも選擇肢の一つに入れざるを得ないし、常識的にも自分の懷を痛めずに他人を救へるなどと云ふ蟲の良い話はあり得ない。

 「ライブ8」は日本でもやつたらしいが、貧困について深く考へて貰ふ爲、觀客に經濟學の教科書を配つたと云ふ話は聞かない。朝日新聞もイギリスが貧困救濟を口實に農家切捨てを狙つてゐると非難がましく報ずるばかりで、ではどうすれば良いのかと云ふ疑問には答へてゐない。他人を救つてやらうと云ふ人間がその方策について知的に貧困であり、その貧困を克服しようと努力しない事、これは經濟的貧困より遙かに深刻な道徳的罪惡である。

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