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2005年6月12日 (日)

國語の破壞についての簡潔な報告

 最近の、と云つてももう大分前からだが、岩波文庫の國語表記は非道い。黄帶(日本文學[古典])・緑帶(現代日本文學)で文語文の著作は歴史的假名遣で表記する事になつてゐるが、振假名は「現代かなづかい」が大半である。

 たけき者も遂[つい]にはほろびぬ、偏[ひとえ]に風の前の塵に同じ。(『平家物語(一)』 1999年7月16日第1刷)

 歴史的假名遣は「つひに」「ひとへに」である。

 よしや惜[おし]むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令[たとえ]ば……(幸田露伴『五重塔』 1995年11月15日第89刷)
 歴史的假名遣は「をしむ」「たとへば」である。

 これが青帶(日本思想、東洋思想等)になるともう無法地帶で、文語文の著作でも「現代かなづかい」で表記されてゐる。

 諺にいわく、腹は背に替え難し。(福沢諭吉『文明論之概略』 1996年12月10日第3刷)
 歴史的假名遣では「いはく」「替へ」である。
 秀吉の信長に仕えたるは天文の末、弘治の始にてその齢二十前後の時にあるべし。(山路愛山『豊臣秀吉(上)』 1996年2月16日第1刷)
 歴史的假名遣では「仕へ」である。この『豊臣秀吉』では御叮嚀に、愛山が引用した古文書まで「現代かなづかい」に改められてゐる。例へば次は「吉田物語」の一節。
 一には信長の野心限りなく、漸く国境を犯されんとするを危く思い、義昭の依頼を好機会として喧嘩に名義を附けたる事情もあるべし。毛利家既に敵となりたる上は信長再び包囲攻撃の逆境に陥りたるものなれば、本願寺も此に生気を吹き返えし更に敵対の色を顕わしたり。
 歴史的假名遣では……面倒なのでもう書かない。

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