愛國心とは道理も無きこと
愛郷心 愛國心とは妙なものにて道理もなきことなれど 能くもこの日本といふやうな結構な國に生れたと思ふこと度々あり 何故日本がよきとも思はざれども 赤髯よりは緑髮の方が何となくよき心地するなり また小さくいへばよく伊豫松山といふやうなよき處に生れ よく我内に生れ よくも我親の子となり 能くも我身に生れたるよと思ふことあり 勿論理屈上よりいへば最少し金滿家に生れ 最少し才智ある者に生れたらばと思ふことなきにあらねど 感情の上にてはやはり我身を愛し 我故郷を愛し 我親を愛すること奇妙なり 多くの人も皆かかる感情あらんと思はる
正岡子規の言葉。岩波文庫『筆まかせ 抄』(39頁)より。
守るに價する國だから守るのではない。故國だから守る、それだけの事である。
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コメント
貴様
>守るに價する國だから守るのではない。故國だから守る、それだけの事である。
投稿者 kimura39 時刻 01:04 ナショナリズム
家庭のことで言えば、上記は、 孝を尽くすに價する親だから孝を尽くすのではない。親だから孝を尽くす、それだけの事である。となるでしょうか。
何年か前に、刑法の尊属殺人重罰の規定を撤廃する契機となった事件に対する最高裁判決がありました。その事件とは、博識の貴様(キサマではありません、タカシサマであります。貴様の尊敬おくあたわざる呉智英センセーのお説(確か何年か前の中央公論の4ないし5月号に載った ・・にしてこの悪文 というような文章)に従えば、土人は蔑称ではないのだから土人という語を使うことにはなんら問題は無い)に従えば、貴様(キサマも最初は貴人を呼ぶ際の敬称であったのですから、それの使用にはなんら問題は無いでしょうし、私は貴様をタカシサマということで使用していますのでなおさら問題は無いでせう。)ご存知のように、幼いころから実の父親に性的虐待→強姦を受け続けていて、その父親の子供もなんどか妊娠させられた女性が、他の男性と恋仲になって結婚するという話にまでなったのに、父親の強姦はやまず、それどころか結婚も妨害する行為に出たために、女性がその悪魔を殺した事件で、尊属殺人の罪に問われた事件です。さすがの保守的な爺さんの集団である最高裁判事どもも、この事件についてはその女性の行為に同情する声が多数で、一部の法匪を除いて、刑法の尊属殺人条項は憲法違反であるとし、通常殺人の罪で、執行猶予付きの判決を下した事件です。
貴様は、守に値しない国だからではなく、故国だから国を守るのは当然である、というお考えの持ち主であらせられますから、その女性の場合でも、親に値しない親でも親であるからには孝を尽くせ、殺すなどもってのほか、であるというお考えであることは当然でございましょうねえ。
君君たらずとも臣臣たれ、あるいは、大義親を滅す、などという言葉がありますから、国が人民を虐待し、迫害しても国を守らなければならないし、国家のためには刑法の尊属殺人の規定に反しても親を滅ぼさねばならないのでせうか。
投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月 6日 (火) 11時44分
>家のためには刑法の尊属殺人の規定に反しても親を滅ぼさねばならないのでせうか。
は、 ・・・規定に抵触しても・・・
の誤りです。
投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月 6日 (火) 13時57分
>君君たらずとも臣臣たれ、あるいは、大義親を滅す、などという言葉がありますから、国が人民を虐待し、迫害しても国を守らなければならないし、国家のためには刑法の尊属殺人の規定に反しても親を滅ぼさねばならないのでせうか。
別にそんな特殊な話は誰もしてゐないと思ひますが?
「会長」さんは、「異常でない親であつても子供は反抗しなければならない」「異常でない國であつても國民は反體制でなければならない」と考へてゐるやうですが、それこそ變な考へではないですか。
投稿: 野嵜 | 2006年6月 6日 (火) 18時31分
詭弁の特徴のガイドライン
1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
3:自分に有利な将来像を予想する
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
8:知能障害を起こす
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「会長」の議論、いくつあてはまるかな。
投稿: fankee_jr | 2006年6月 6日 (火) 20時07分
>「会長」さんは、「異常でない親であつても子供は反抗しなければならない」「異常でない國であつても國民は反體制でなければならない」と考へてゐるやうですが、それこそ變な考へではないですか
私がいつそういうことを言いましたか。私の文章からそういう意味を汲み取ったとしたら、早稲田大学文学部誤卒業の文学士サマは、4年間文学部で何を学ばれたのでせうかね。
投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月 6日 (火) 20時45分
>私がいつそういうことを言いましたか。
では、あなたは何を言つてゐるのですか?
>「異常でない親であつても子供は反抗しなければならない」「異常でない國であつても國民は反體制でなければならない」
さう云ふ事を「会長」さんは全く言ふ積りが無い、と、さう解釋してよろしいでせうか。ならば、「会長」は、「親に子供は無闇に反抗しないでも良い」「國に國民は無闇に反抗しないでも良い」と考へてゐる訣です。
と云ふ事は、木村さんの意つてゐる事に一々「会長」が反對すべき理由はない、とさうなるぢやないですか。
「さうなる」「さうならない」、「会長」は、その邊を、曖昧にせず、根據を擧げて、はつきり述べて下さい。さうでないなら、「会長」は、やくざのやうに因縁を附けてゐるだけ、と云ふ事になります。
投稿: 野嵜 | 2006年6月 6日 (火) 23時48分
そもそも。
>君君たらずとも臣臣たれ、あるいは、大義親を滅す、などという言葉がありますから、国が人民を虐待し、迫害しても国を守らなければならないし、国家のためには刑法の尊属殺人の規定に反しても親を滅ぼさねばならないのでせうか。
このやうな質問をする事自體が何かをかしいのではないですか。
自分の意見をはつきり言つたら何うですか。質問にすり替へて、自分の意見をはつきり言はない、と云ふのは何うか(してゐる)と思ひます。
はつきり言つて「会長」のその手の言ひ方は、詭辯ですね。
>私がいつそういうことを言いましたか。
相手にさう言はせる事が「会長」の目的です。「会長」は、わざと曖昧な言ひ方をして、相手を「釣つてゐる」のです。さう云ふ「議論」の仕方が「あり」だと「会長」は思つてゐるのですが、さう云ふ言ひ方は詭辯ですから許されません。詭辯は許されません。
投稿: 野嵜 | 2006年6月 6日 (火) 23時54分
しかし会長は素晴らしく頭の切れる方ですね。私の名前が偶々「貴」だと云ふ事に目を附けて、「貴樣」呼ばはりして喜ぶ鋭い方は、小學生時代以來、初めてです。閑話休題。
>貴様は、守に値しない国だからではなく、故国だから国を守るのは当然である、というお考えの持ち主であらせられますから、その女性の場合でも、親に値しない親でも親であるからには孝を尽くせ、殺すなどもってのほか、であるというお考えであることは当然でございましょうねえ。
いいえ。何故さう云ふ歸結になるのだか凡人の私には理解しかねます。子は「親が親である」と云ふ事實だけで親を敬はなければならないのですが、同樣に、親は「子が子である」と云ふ事實だけで子を慈しまなければなりません。それは別に力み返つて主張する迄も無い、當たり前の人情だと思ひますが、世間には時折、當たり前の人情を持たない輩がゐて、そのやうな輩は「例外」として扱はなければならないでせう。それが「親を殺しても良い」と云ふ結論になるかどうかは別として。
さて私は精一杯眞劍に答へましたので、たまには会長にもお答へ願ひませう。会長は、どのやうな場合であれば、人は人を殺しても構はないとお考へなのでせうか。私を偉さうに問ひ詰めるからには首尾一貫したお考へをお持ちの事でせう。尊屬殺、戰爭、革命、復讎と云つた全ての場合に通用するお考へをお聞かせ下さい。別に完璧である必要はありません。思ふ所を率直にお答へ下さい。眞劍にお答へ戴けなければ、これ以上議論を續ける意味がありませんので、心おきなくアクセス禁止に致したく存じます。
投稿: 木村貴 | 2006年6月 7日 (水) 02時03分
老婆心乍ら、頭の切れる会長におかれましては、以下の點に御留意の上、御囘答戴きたく存じます。
(1)「故國」と「政府」とは別物である。愛國心とは現在の自民黨政府や將來の民主黨政府や共産黨政府を愛する心ではない。
(2)従つて、「國家」と「國民」との關係は、「親」と「子」との關係とは微妙に異なる。何故なら、日本に於いて「國家」と云ふ言葉は「故國」「政府」兩方の意味に甚だ曖昧なまま使はれてゐるからである(よつて再び老婆心乍ら、会長におかれましては「国」或は「国家」と云ふ言葉を「故國」「政府」どちらの意味でお使ひなのか明確な文章をお書き下さい)。
(3)子を虐待する親はゐるが、國民を虐待する故國は存在しない。國民を虐待するのは政府である。より正確に云へば、同じ國民である。例へば昔のソ聯の國民を虐待したのは故國ロシアの山や河でなく、ソ聯政府であり、黨指導者と云ふ名のソ聯國民であつた。
投稿: 木村貴 | 2006年6月 7日 (水) 02時35分
木村貴様
書き忘れましたので追加します。
> 会長は、どのやうな場合であれば、人は人を殺しても構はないとお考へなのでせうか。私を偉さうに問ひ詰めるからには首尾一貫したお考へをお持ちの事でせう。尊屬殺、戰爭、革命、復讎と云つた全ての場合に通用するお考へをお聞かせ下さい。別に完璧である必要はありません。思ふ所を率直にお答へ下さい。
一般化することはきわめて困難ですが、正当防衛、過失、世間の常識から見て鬼畜のようだと考えられる仕打ちをした親(これも正当防衛に含まれるかもしれませんが)、などの場合には殺してもよいでしょうね(過失の場合には、死んでも仕方ないと言うことになりますか)。
戦争・革命などの場合についてはよくわかりません。卑怯者の私のことですから、そういう場合には逃げるのではないでしょうか。復讐の場合には、復讐の理由によります。
これで宜しいでしょうか。
なお、別の場所で書きましたように、木村様の主張に対する私の投稿はあくまで感想ですので、今後書くかもしれない感想に反論されて、お前の意見はどうだといわれたとしても困ります。
投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月12日 (月) 12時43分
6月7日付の木村様のご質問に対する長文の回答を書いて送信したと思っていましたが、今見ましたらどうも届いていないようです。控えもありませんし、届かなかったことで拍子抜けがして、改めて書く元気もありませんので、気が向いたらまた投稿します。
簡単に言えば、観念的には故国と政府は別のものであるが、現実には両者は渾然一体となっていて弁別できず、同じものと考えられる。したがって、愛国心と愛政府心はほぼ同じであるし、現実に世界中そうなっている。
それであるから、国民を虐待する国家(故国)=政府は存在したし、現実にも存在している、というか、国民を虐待するのが国家=政府の実態であって、自国民を虐待しない国家というものは、堯舜の時代ならいざ知らず、古今東西の歴史上存在しなかったし、現在も存在しない、と断言できます。
投稿: 福田恒存をやっつける会会長 | 2006年6月12日 (月) 13時13分
斷言しても仕方がないと思ひますがねえ。何んなに力強く斷言しても、根據が提示されてゐなければ話にならない。どうして「会長」さんはそれが解らないのでせうか。馬鹿だからです。
投稿: 野嵜 | 2006年6月12日 (月) 19時41分
大體、全ての國民が政府の虐待を受けてゐる國家なるものは、存在のしやうがないではないですか。損をする人がゐれば得をする人がゐる、それが世の中と云ふものです。「会長」さんのやうに、簡單に割切つて考へるのは何うか(してゐる)と思ひます。
投稿: 野嵜 | 2006年6月12日 (月) 19時43分
また、「國家=政府」なる圖式が成立たないのは、日本が三權分立の立場をとつてゐる事を見れば自明だと思ひます。
投稿: 野嵜 | 2006年6月12日 (月) 19時44分
さて、「会長」どのは、親が子供を虐待するのは當り前であり、政府が國民を抑壓するのは當り前であると、さう言ふだらうか。「さう云ふ現實がある」と、その程度の事は言ふだらう、が「さうあるべきである」とまでは決して言はないだらう。「会長」は、親の虐待にしても國家に據る國民の抑壓にしても、「あるべきでない」とは考へてゐるだらう。
ならば「親は子供に愛されるやう振舞ふべきである」「政府は國民に支持されるやう振舞ふべきである」と云ふ意見に、「会長」は反對しないであらう。
さて、「親が子供に愛されるやう振舞ふ」時、「政府が國民に支持されるやう振舞ふ」時、「子は親を愛するのが當り前」になるし、「國民は政府を支持するのが當り前」になる。何うだらうか、「会長」は同意しないだらうか。せざるを得ないと思ふ。
ならば、「國民が國家を愛するのは當り前」と云ふ結論は、「会長」の立場であつても支持せざるを得ない結論ではないか。それとも、「会長」は、國家は永遠に國民に憎まれる存在であつて貰はなければ困るだらうか。
ところで、國民が國家に忠誠を誓ふやうなそんな「愛國心」でなければならない、と云ふ法は無い。愛國心とは、國家への忠誠心ではなく(そのやうなものが「當り前」として強要されるとしたら眞つ平御免である)、國土への愛着心である筈である。
國と言ふと、「会長」は政治的側面からしか考へる事が出來ず、即座に「國家である! それ以外に考へられないし、考へる事は許されない!」等といきり立つて叫ぶだらうが、國語の本來の意味から言へば「くに」は郷土である。「最う一度生れて來るのならばこの國に生れて來たい」と、さう思へるのが愛國心である――と、慥か福田恆存が述べてゐたと記憶するが、さう言ふと「会長」は「福田恆存の言ふ事だから、全て否定すべきである!」と叫ぶだらうか。
投稿: 野嵜 | 2006年6月12日 (月) 20時45分
>一般化することはきわめて困難ですが、正当防衛、過失、世間の常識から見て鬼畜のようだと考えられる仕打ちをした親(これも正当防衛に含まれるかもしれませんが)、などの場合には殺してもよいでしょうね(過失の場合には、死んでも仕方ないと言うことになりますか)。
「世間の常識から見て鬼畜のようだと考えられる仕打ち」とは一體何ですか。譯が分かりません。
>戦争・革命などの場合についてはよくわかりません。卑怯者の私のことですから、そういう場合には逃げるのではないでしょうか。復讐の場合には、復讐の理由によります。
会長がどうするかなんぞ誰も訊いてゐません。そもそも「尊屬殺」「戰爭・革命」「復讎」をバラバラに答へてどうするのですか。全部に通用する意見を聞かせて呉れと云つたでせう。他人を批判するなら、ちつとは整合性のある議論をして下さい。
>これで宜しいでしょうか。
宜しい譯がないでせう。あなたは馬鹿ですか。と云ふか馬鹿である事は最初から分かつてゐたのですが、私は親切な男なので本日まで附き合つて仕舞ひました。さやうなら。演説は自分のサイトで好きなだけおやり下さい。
投稿: 木村貴 | 2006年6月12日 (月) 23時22分