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2005年3月31日 (木)

それほど大事か「日本資本主義の精神」

 株式上場とか經濟とかについては餘り詳しくないのだが、東京證券取引所の「株主分布調査」によれば、日本の株式時価総額のうち既に二割強を外國人が握つてゐる。これで經營の在り方が變はらずにゐられる筈が無い。日本人は日本人同士、株主への配当はそこそこにして、從業員第一、「日本資本主義の精神」で末永くやつて行きませうや、などと云ふ牧歌的なやり方がいつまでも通ずる筈が無い。

 攘夷打拂令でも出して、日本の資本市場から外國人を一掃するか。出來る筈が無い。そんな事をしたら、日本の會社は外國で商賣出來なくなり、あつと云ふ間に左前になる。左前になつたら愛社精神どころではあるまい。大量解雇しなければ倒産して仕舞ふ。日本の會社が如何に慈愛に滿ちてゐようと、會社は所詮會社である。家族でもなければ教會でもない。

 「日本資本主義の精神」が或る時代の産物であつたやうに、商賣の世界で西洋の流儀が力を強める時代にはそれに應じた「資本主義の精神」が必要だし、さうでなければやつて行けない。所詮、企業の在り方なんぞ、時代につれて移り變はるものである。必死になつて守るべきやうなものではない。日本文化を守りたいのならば、もつと他に守るべきものがある筈である。

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2005年3月22日 (火)

只の晝飯なんぞありはせぬ

 ライブドア堀江氏による電波ジャックが意圖され、『正論』路線を行くフジサンケイグループがおびやかされてゐる今日
 と云ふメールを頂戴しました。別に堀江氏の肩を持つ譯ではありませんが、自分達と思想の異なる人間から買ひ占めに遭ふのがそんなに嫌ならば、フジサンケイグループの經營陣はそもそもフジテレビやニッポン放送の株式を上場しなければ良かつたのです。株式上場とは、會社を公の場に賣りに出すリスクと引換へに、資金調達力の強化や信用度の向上と云ふメリットを手に入れる行爲です。上場しておきながら、自分の氣に入らない人間には株を渡したくない、經營權を取られたくない、と云ふのは身勝手に過ぎません。
 意思決定に關する最初の原理は、「無料の晝食(フリーランチ)といつたものはどこにもない」といふことわざに言ひ盡くされてゐる。自分の好きな何かを得るためには、たいてい別の何かを手放さなければならない。意思決定とは、一つの目標と別の目標との間のトレードオフを意味するのである。(グレゴリー・マンキュー『マンキュー經濟學(Ⅰ)ミクロ篇』 東洋經濟新報社、足立英之他譯)

 非上場による經營權の自由と、上場による資金調達の自由とがトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)の關係にある事を、フジサンケイグループの經營陣は分かつてゐなかつたのです。

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『アメリカの何が偉大か』

 參考圖書。

 Dinesh D'Souza,What's So Great About America (Washington,D.C.:Regnery Publishing,2002)

 著者はインド生まれのアメリカ人政治學者。本の題名だけ見ると感情的なアメリカ萬歳論と誤解されるかもしれないが、論の進め方は極めて論理的、實證的である。第二章のタイトル「植民地主義に萬歳二唱」は、E.M.フォースターの「民主主義に萬歳二唱」を踏まへたものと思はれる。西洋文明は植民地主義の元凶だから怪しからぬ、とインテリはすぐ云ふが、インド人は獨立後も英語を使つてゐるし、猛暑の中スーツを着、ネクタイを締めて職場に行くし、毎朝新聞を讀んでゐるし、イギリスに倣つた二院制の國會を保持してゐるではないか。これを要するに、西洋文明の少なくも或部分には普遍的な價値がある。すなはち、植民地主義にも良い面はあつたのだ。植民地主義に萬歳を三囘唱へろとは云はないが、二唱くらゐしても罰は當たるまい。著者ディネシュ・ドゥスーザはかう説くのである。

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