嫉妬、この人間的なるもの
男性と女性のあいだの軋轢が、人間が進化させてきた配偶心理から生じてゐるといふ事實は、一部の人々にとつては衝撃的だらう。それはひとつには、この事實が廣く流布してゐる通念に反してゐるからだ。男女間の軋轢が生じたのは、特定の文化的習慣が人間本來の自然な調和をこはした結果なのだといふ見方を、大部分の人が身につけてしまつてゐる。しかし、女性が性的な暴力を受けたときに感じる怒りや、男性が妻を寢取られたときに感じる憤りは、人間が進化させてきた配偶戰略から生じたものであつて、資本主義や文化や社會化の結果ではない。進化は、繁殖成功度といふ非情な判斷基準にしたがつて進行していく。その過程で生みだされる戰略がどれほど反感を招くものであり、その戰略の結果がどれほど忌まはしいものだらうと關係ない。(デヴィッド・M・バス『女と男のだましあひ――ヒトの性行動の進化』 狩野秀之譯、草思社)現代科學は、動物の進化や宇宙の起源のみならず、人間の男女間の感情についても合理的に解讀しつつある。女はなぜ強姦に烈しい怒りを覺えるか。劣等な遺傳子を持つ子供を強制的に生まされるコストを負ひかねないからである。男はなぜ女の浮氣に憤るか。自らの遺傳子を殘せないうへ他人の遺傳子を持つ子供を育てるリスクを抱へ込むからである――。バスは進化論の成果の一つである進化心理學を驅使しかう説く。その説明は極めて合理的であり腑に落ちるものである。
バスは科學者らしくかう云ふ。「人間の性戰略の多岐にわたるレパートリーを理解してはじめて、われわれは自分たちがどこから來たのかを知ることができる。なぜさうした戰略が進化してきたのかを理解してはじめて、人類がこれからどこへ向かふのかをコントロールできる」。恐らくその通りであらう。しかし、そのやうな理窟を理解したからといつて、男が自分の女房を寢取られた時に落ち着いてゐられるやうになる譯ではないし、女が強姦された時に冷靜に振る舞へるやうになる譯でもない。いやいや、そのやうな場合に決して心穩やかにしてゐられないやうに自然淘汰は人間を進化させたのである。怒りや嫉妬を知らない人間は生存競争に敗れ、子孫を殘せないのである。
個人としての人間が怒りや嫉妬と云つた苦惱から逃れる事は出來ない。従つて、例へば、合理的ならざる宗教の存在意義が消える事は無いのである。
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