« 憂慮すべき事 | トップページ | プライドだけは一人前 »

2004年11月 4日 (木)

八方美人を賤しむ

 出久根達郎「行藏は我にあり」(文春新書)の後書だけ立ち讀み。題名は勝海舟の言葉に由來する。舊幕臣でありながら維新政府の要職に就いて富貴を極めた勝を、福澤諭吉は「痩我慢の説」で「斷然世を遁れて維新以来の非を改め」よと嚴しく批判した。それに對する勝の返答が「行藏は我に存す、毀譽は他人の主張、我に與からず我に關せずと存候」、すなはち、世で働くか隱退するかは自分で決める、他人がどう云はうと知らぬと云ふものであつた。

 勝の言葉は一見堂々としてゐるやうだが、福澤の批判に何も答へてゐない。同じく福澤から詰め寄られた榎本武揚は、現在多忙なのでいづれ返事するとだけ答へ、結局反論しなかつたが、最初から答へる氣の無かつた勝に比べれば、まだしも道徳的に見える。

 ところが出久根達郎は、この一件について「居直つた」勝が好きであり、「逃げた」榎本も好きだと云ひ、のみならず、彼らを批判した「青つぽいところのある」福澤も好きだと云ふ。好き嫌ひに理窟は無いから誰からも文句は付けられまいと安心して書いてゐるのだらうが、「痩我慢の説」を讀んで、榎本は兔も角、「居直つた」勝が好きだなどとどうして書けるのか。福澤は破廉恥と云ふ言葉こそ使つてゐないが、要するに勝を破廉恥な男だと指彈してゐるのである。それを出久根は何の説明も無しに好きだと云ふ。どんな破廉恥漢でも居直つた姿が堪らなく好きだと云ふ特殊な趣味の持主でもない限り、出久根の文章は誰も理解出來ないであらう。

 重ねて云ふが、好き嫌ひを述べるのに精確な論證は不要だし、「好き」の方だけ擧げておけば誰からも苦情を云はれる心配が無い。しかし、道徳が關はる問題は、好き嫌ひだけで片付ける譯には行かない。いやいや、全うな物書きなら、道徳が關はる面倒な問題こそ、單純な好き嫌ひの話で終らせず、その意味をじつくり考へようとする筈ではないか。

 福澤は「内國の事にても朋友間の事にても、既に事端を發するときは敵は即ち敵なり」と書いた男である。「勝も好きだがあんたも好きだよ」と揉手しながら近付いて來るやうな八方美人を、誰よりも烈しく輕蔑したに違ひない。

|

« 憂慮すべき事 | トップページ | プライドだけは一人前 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30565/1867317

この記事へのトラックバック一覧です: 八方美人を賤しむ:

« 憂慮すべき事 | トップページ | プライドだけは一人前 »