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2004年10月23日 (土)

驚き得ぬもの

 西洋人は、その知の歴史を通じて、常に、いかなるカテゴリーにもそれを成り立たせるための必要十分條件があると信じてきた。たとへば、正方形は長さの等しい四本の線分と四つの直角からなる二次元の對象物である。これらの特性を缺いてゐるものは決して正方形たりえず、これらの特性を備へてゐるものは必ず正方形である。/しかし、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは、その著書『哲學探究』のなかで、西洋における必要十分性の體系を打ち崩した。ヴィトゲンシュタインは、「ゲーム」「政府」「病氣」といつた複雜で興昧深いカテゴリーに當てはまる必要十分條件を確立することは決してできないだらうと述べた。/ヴィトゲンシュタインの議論には、最も分析的な西洋人哲學者たちさへ、大いに納得(といふよりむしろ狼狽)させられた。たとへ面白くないものでも、たとへ一人でプレイするものでも、たとへその主目的がお金を稼ぐことであつても、それはゲームたりえる。逆に、たとへ面白いものであつても、たとへ數名の人々が樂しい相互作用を通じて行ふ非生産的な活動であつても、それは必ずしもゲームとは限らない。一方、かうしたヴィトゲンシュタインの指摘が東洋で必要とされることはなかつた。「複雜なカテゴリーを規定する必要十分條件はない」と宣言したところで、東洋人がそれに驚くことなどまづあり得なかつただらう。(リチャード・E・ニスベット「木を見る西洋人 森を見る東洋人」、村本由紀子譯、ダイヤモンド社)

 世界は複雜であり、簡單な「必要十分條件」に還元出來るほど單純なものではないと云ふ信念は、日本人の間に廣く行渡つてゐる。だからニスベットが云ふ通り、「複雜なカテゴリーを規定する必要十分條件」の存在を否定したヴィトゲンシュタインの主張を讀んだところで、「驚くことなどまづあり得な」い。ところが實際には、西洋人の思考を自らのものとした訣でもないのに、ヴィトゲンシュタインの哲學に大仰に驚いてみせるインテリが我國には少なくない。滑稽千萬である。

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