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2004年10月13日 (水)

デリダ死す

 フランスの著名哲學者ジャック・デリダさんが8日深夜から9日未明にかけて、膵臟がんのためパリの病院で死去した。74歳だつた。AFP通信などが傳へた。/1960年代以降、プラトンからニーチェ、ハイデッガーまでの西洋哲學全體を尖鋭的に批判・解體し、西洋中心主義を問ひ直す「脱構築」の思想を展開。テキストを異なる視點から讀み替へる手法は、世界の思想・文學などの研究に大きな影響を與へた。(「佛哲學者のジャック・デリダさん死去」)

 デリダの文章は例へば次のやうなものである。

 資本主義理論を檢證しようとすれば、ひとつの選擇に直面する。ネオテクスト的な唯物論を斥けるか、それとも社會は客觀的な價値をもつと結論するかといふ選擇である。もし辨證法的な脱状況主義に固執するならば、われわれはハバーマス的なディスクールとコンテクストのサブテクスト的パラダイムとのあひだで選擇をしなければならない。主體が、眞理を實在として含むテクスト的國家主義のコンテクストに組み込まれてしまふのだといふことができる。ある意味で、コンテクストのサブテクスト的パラダイムと云ふ前提は、實在が集合的無意識に由來すると述べてゐるのである。

 ……この素晴らしい文章に關しては後で記さう。新刊書店の哲學書の棚を覗いたら、何新聞か不明だが訃報のコピーが掲げてあつて、淺田彰のこんな談話が載つてゐた(メモ帳に急いで書き寫したが、間違ひは無い筈)。

 ニヒリスティックな言葉遊びではないかといふ批判を呼んだが、やむなくさうなつてゐたのであつて、要約の暴力に逆らつた點は尊敬に値する。

 「要約の暴力」とはよく云つたものだ。慥かに上に掲げたやうな文章を他人がどのやうに要約してみせても、デリダは「俺の云ひたい事はそんな事ではない」と幾らでも言ひ逃れ出來よう。要するに、要約出來ないのである。それにしても、上の談話を讀む限り、淺田は結論としてはデリダの文章を「ニヒリスティックな言葉遊び」と認めて仕舞つてゐるが、それで良いのだらうか。褒め殺しと云ふ奴だらうか。

 ところで、「資本主義理論を檢證しようとすれば」で始まる上の華麗なる文章だが、實はデリダの文章ではない。生物學者のリチャード・ドーキンスが「ポストモダニズム・ジェネレーター」なるコンピューター・プログラムを利用してでつち上げた、出鱈目な文章なのである。「これはデリダの文章ではない」と看破つた讀者がゐたら御聯絡ください。別に何も上げませんが。ドーキンスによれば、この文章の「製造法」は下記の如くである。

 http://www.elsewhere.org/cgi-bin/postmodern/といふサイトを訪れるたびに、それは、非の打ち所のない文法的原則を使つて、自動的に、今まで見たこともない、とてもすばらしいポストモダンの論述をつくりだす。そこにちよつと立ち寄つてみたところ、それは私のために、「ケンブリッジ大學英文學科のデイヴィッド・I・L・ヴァーサーとルドルフ・ドゥ・ガルバンディエ」(そこには詩的正當性がある。なぜなら、ジャック・デリダに名譽學位を與へるのがふさはしいとみなしてゐたのはケンブリッジ大學だつたからである)による「資本主義理論とコンテクストのサブテクスト的パラダイム」と題する六〇〇〇語の論文をつくりあげた。(「假面を剥がれたポストモダニズム」、『惡魔に仕へる牧師』所收、早川書房)

 ケンブリッジ大學云々とは、デリダが一九九二年に同大學から名譽博士號を授與された事を切掛けにその業績に對する賛否両論が巻き起こつた經緯を指す。ポストモダニズムの徒らに晦澀なばかりで空疎な文章をパロディでからかつてみせたドーキンスは、さらに辛辣にポストモダニズムの知識人を批判する。

 あなたは、とくに言ふべきことをもたない知的詐欺師なのだが、學間の世界で成功し、崇めてくれる弟子連中を集め、あなたの著書のぺージを叮嚀に黄色のマーカーで塗りたくる學生を世界中にもちたいといふ強い野心をもつてゐると假定してみてほしい。あなたはいかなる文體をつくりあげるだらう? 明快な文體でないのは確かだらう。なぜなら、明快さは、中身のなさを露呈させてしまふからだ。おそらくあなたは、次のやうな類の文體をつくりだすことになるだらう。

 この後、引用されるのはフェリックス・ガタリの文章である。デリダで肩透かしを喰はせて仕舞つたので、「本物」を紹介しておかう。

 ここに明らかなとほり、線上に竝んだ有意的な鎖の環、あるいはこの著者たちのいはゆる原エクリチュールと、この多指示的・多次元的な機械状の觸媒作用との間には、一對一の對応關係はいつさい存在しない。尺度の對稱性、横斷性、それらの擴張の非論證的な直感的性質――これらすべての次元が、われわれを排中律の論理から脱出させてくれるし、先ほど糺彈の的とした存在論的な二項對立を斷念するわれわれの立場を強化してくれる。

 さらにジル・ドゥルーズ、ジャック・ラカンと云つた「知的詐欺師」の大物達の文章が俎上に載るが、頭がをかしくなりさうなのでもう止める。ドーキンスの文章は、數年前に岩波書店から邦譯の出たアラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの『「知」の欺瞞』に對する好意的な書評である。その岩波がいまだに「ポストモダン・ブックス」などと云ふシリーズを續々と出してゐるのは、ポストモダニズムの巨頭を「崇めてくれる弟子連中」や「著書のぺージを叮嚀に黄色のマーカーで塗りたくる學生」が後を絶たないからなのであらう。さすが日本は先進國である。

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コメント

デリダの本は何冊讀んでも理解出來ないと思ひますが、ドーキンスの主張は「盲目の時計職人」、「惡魔に仕へる牧師」の2冊を讀めば理解出來ます。

と、言ひますか、木村さん先日は何の聯絡もせず、いきなり現金書留をお送りしました、誠に申譯ありません、暫くお逢ひ出來ないかもしれませんが、今後とも宜しくお願ひ致します。

追記
以前、「讀んでは不可ない」と書いたドーキンスの「虹の解體」も3刷を見たら誤譯の部分は直つてゐましたので、又、買ひました。


投稿: 菊地 孝仁 | 2004年10月13日 (水) 17時23分

 先日買つた「虹の解體」は初刷です。失敗。

 「公務」の殘金、わざわざ濟みませんでした。暫くお逢ひ出來ないとなると、こちらからも近くお送りするものがあるかも知れません。

投稿: 木村貴 | 2004年10月14日 (木) 00時21分

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